しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

JR西日本「四国くるりきっぷ」で乗り鉄・撮り鉄 (2021.12.23~25)

2021年12月31日 | 令和元年~
観光目的で四国に行ったが、乗り放題の切符なので多くのJR四国の特急に乗ることができた。


2021年12月23日

・・・・・・・・・

岡山~大歩危・特急【南風1号】
大歩危駅で降りて周辺を歩いてみた。



・・・・・・・・・

大歩危~高知・特急【しまんと5号】
特急駅とはいえ無人駅で、かずら橋がホームにあった。



・・・・・・・・・

高知~土佐久礼・特急【あしずり5号】
高知市内を見物して土佐久礼に行った。



・・・・・・・・・

土佐久礼~窪川・特急【あしずり7号】
土佐久礼はコミック「土佐の一本釣り」でも知られた港町。」



・・・・・・・・・

窪川~宇和島・各駅停車

乗客一人、運転手一人の区間が一時間以上つづいた。椅子に寝ころんでいた。



2021年12月24日

・・・・・・・・・

宇和島~八幡浜・特急【宇和海10号】

ラッピングがかわいらしい、この区間は高原列車の様になり、海を見下ろし、ミカン畑が天に届く。





・・・・・・・・・

八幡浜駅前~保内庁舎前・伊予鉄南予バス

八幡浜駅前からバスに30本ほど揺られ川之石へ行った。


川之石は多くの近代遺産が残った町。(八幡浜市保内町)




・・・・・・・・・

八幡浜~伊予市・特急【宇和海8号】
伊予市駅でおりて、郡中の町歩きをした。




・・・・・・・・・

郡中~松山市駅
(伊予鉄道)

伊予鉄の郡中線に乗り、終点松山市駅まで乗った。




・・・・・・・・・

2021年12月25日



・・・・・・・・・

県庁前~道後温泉~松山駅前・伊予鉄道路面電車(城南線)

松山市役所前でお城と電車を見た。県庁前から電車に乗って道後に行き、復路は松山駅まで乗った。




道後温泉の、「飛鳥乃湯」前の蜷川実花さんの路面アートはすばらしく奇麗だった。




・・・・・・・・・

松山~岡山・特急【しおかぜ18号】
松山駅から「しおかぜ」に乗って岡山駅まで帰った。


松山から岡山まで3時間近くかかるが、酒を飲みながら海を見ていると、時間は気にならない。
やはり瀬戸内海は美しい。

(松山~今治間)


・・・・・・・・・



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR西日本「四国くるりきっぷ」で見た四国のお城 (2021.12.23~25)

2021年12月31日 | 令和元年~
JR西日本の「四国くるりきっぷ」は切符代が9.500円で、3日間
岡山駅から四国の全JRが特急・鈍行乗り放題のトクトク切符。
それを利用して四国に行った。


2021年12月23日

高知城(高知県)
時間があったので高知駅から歩いて、はりまや橋を見てから登城した。




・・・・・・・・・・・・・・・・


2021年12月24日

宇和島城(愛媛県)
朝の散歩で登城した。




大洲城(愛媛県)
大洲の町歩きをするつもりだったが、たいぎになって車窓風景をみただけ。
肘川の流れとお城がきれいだった。





・・・・・・・・・・・・・・・・

2021年12月25日

松山城(愛媛県)
松山城も朝の散歩で登城した。





道後湯月城(愛媛県)
路面電車の中から見た。
写真左の道後公園が道後湯月城。なぜ日本100名城に選ばれているのか不思議だ。





海山城(愛媛県)
山城跡に展望台として模擬天守が建っている。





今治城(愛媛県)
日本100名城、天守閣が車窓からよく見える。





新居浜の城(愛媛県)
たぶん個人の趣味での、お城風な建物。





川之江城(愛媛県)
丘の上に聳えるので、比較的車窓から長く眺めることができる。



・・・・・・・

丸亀城
丸亀城も長く車窓から見えるが、今回は海側の席に座っていたので見ることはなかった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡部仁左衛門

2021年12月31日 | 銅像の人
場所・愛媛県伊予市灘町






岡部仁左衛門

黒住教郡中教会所は明治10年現在地に創立された。
境内には岡部仁左衛門像がある
花かつおの創始者岡部仁左衛門は、昭和35年逝去した。
氏の功績を称え黒住教郡中教会所境内に銅像が建立され、
昭和38年5月盛大に除幕式が行われた。


郡中の削り節

大正5年、岡部仁左衛門は郡中港の近隣で削り節を創業。ヤマニ。
大正6年、城戸豊吉は郡中港の近隣で削り節を創業。ヤマキ。
大正7年、明関友市は郡中港の近隣で削り節を創業。マルトモ。

「郡中まち歩き」  伊予市商業協同組合 令和3年








撮影日・2021.12.24
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤谷豊城

2021年12月30日 | 銅像の人
場所・愛媛県伊予市灘町


萬安港(ばんあんこう)

波止普請は、海難事故防止と産業振興の両面から当地方の人々にとって長年の夢であった。
村方その他の自分によるものを「自普請」と呼んだが、この波止普請は「自普請」で、忽那島から石材を、高ノ川村から材木を購入した。
天保5.6年完成。
築造により郡中は飛躍的に発展を続けた。
又、港内への土砂の堆積を防ぐため堀り積み上げたのが五色浜グランドの粥喰山。
文化9年から昭和29年頃まで140年余に亘り、当地方の発展の源はこの港にあった。
「郡中まち歩き」  伊予市商業協同組合 令和3年







「郡中まち歩き」  伊予市商業協同組合 令和3年


藤谷豊城

第6代郡中町長。
町内各神社を合祀して五色浜神社を造営。
現在の五色浜プールの東側に魚付林の松を植栽した。
碑の文字は秋山好古、撰文は伊予鉄社長井上要。
立像は太平洋戦争中に金属供出された。
昭和48年、現在の胸像を建立。








撮影日・2021.12.24


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウルトラマン

2021年12月30日 | 銅像の人
場所・高知県高岡郡四万十町琴平町 四万十町役場


四万十川沿いの町、窪川に行くと役場に「ウルトラマン」がいた。
なぜ窪川にウルトラマンがいるのだろう?





窪川駅にはウルトラマン列車がいた。
この一両車両の列車で宇和島駅まで乗った、
乗車時間は2時間半ほどだが、
そのうち半分以上はワンマン運転手でワンマン乗客だった。






土讃線の利用促進にウルトラマンを活用しているようだ。




撮影日・2021.12.23


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青柳裕介像

2021年12月30日 | 銅像の人
場所・高知県高岡郡中土佐町久礼

中土佐町久礼を全国区に

青柳裕介

漫画『土佐の一本釣り』で久礼の名を全国的に有名にした、漫画家・青柳裕介氏。
彼の功績を称えた石像が、久礼の海を見渡すふるさと海岸に建っています。

(中土佐町の観光パンフレット)







日本埋立浚渫協会HP

カツオの名産地は?
大方の答えは高知県ではないだろうか。実は、水揚量を基準にすると、全国約29万tのなかで高知県は2万tに満たない程度で、主なところでは静岡県が約7万t、その他、三重県や宮城県が多い。

藁を燃やしてタタキにするという独特の調理法が、高知県をカツオの名産地として知らしめることになったことは確かだろう。
そして、もうひとつ、これも確かと思われる要因がある。昭和52年から「ビッグコミック」で16年間にわたり連載された大ヒット漫画「土佐の一本釣り」の影響である。


「いごっそう」が愛した港町
 この作品は、中土佐町久礼を舞台に、中学校を卒業しカツオ船に乗り組んだ、純平という少々古風でケンカっ早い少年が主人公。海に生きる男たちのなかで悩み、壁にぶつかりながら一人前の漁師になっていく姿をさわやかに描いた。1歳年上の恋人・八千代との愛や周辺の人間群像、土佐の純朴で豪放な風土などが、人気を呼び、映画化もされている。

 舞台となった久礼港は、小さな港だが、漫画の影響でカツオ漁の基地として知られるようになった。
高知市から南西へ47km、東は土佐湾に面し他の三方を山に囲まれた中土佐町では、山々の尾根の先端が太平洋に突き出して複数の岬を形成し、岬のあいだには小規模な天然の良港が点在する。
久礼港はそのうちのひとつだ。地元のカツオを「日本一」と自負する町の中央には、地物の魚が並ぶ久礼大正町市場があり、町の台所として大勢の人々が集まる。そんな風景が毎日見られる、生粋の漁師町である。
しかし、久礼港のカツオの水揚量は年間わずか200〜300t程度。実際は椎茸や木材の流通をメインとした商業港である。
県内にはれっきとしたカツオ漁港はいくつもあるにもかかわらず、この港町が作品の舞台に選ばれたのは、作者である故・青柳裕介氏の「いごっそう」(高知の方言で頑固者)を地で行ったこだわりである。









撮影日・2021.12.23

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児島惟謙

2021年12月28日 | 銅像の人
場所・愛媛県宇和島市丸之内

今も宇和島市民の誇り。
「大津事件」の大審院長。
結果は、ロシアとの関係悪化せず、欧米からは近代国家と認識され国威が高まった。


「その時歴史が動いた8」 NHK取材班  中央出版 2001年発行

いまから百年あまり前、
西洋近代国家の仲間入りをめざしていた日本に
ロシア皇太子ニコライがやってきた。
のちのニコライ二世、ロシア最後の皇帝である。
当時、ロシアは日本にとって大きな脅威だった。
明治24年(1891)5月11日、事件は起こった。
警備にあたっていた巡査・津田三蔵がニコライに斬りかかったのだ。
事件の対応をめぐり、日本は大きく揺れた。
ロシアとの戦争を避けるため、
犯人を死刑にしようとする伊藤博文と明治政府。
生まれたばかりの法制度を守ろうと、
死刑に反対する児島惟謙と裁判官たち。
多くの裁判官が政府の圧力に屈するなか、
法を守ることこそ裁判官の職務であると訴える児島の言葉が、
裁判官の心を揺さぶる。
明治24年5月27日、判決の日を迎えた。







「歴史誕生12」 NHK取材班 角川書店  平成3年発行

パニックは東北の山村まで広がり”国民総懺悔”の世論が形成されていった。

津田姓、三蔵名を禁止する
事件に対して謝罪しようという動きは東北の山村にも及んだ。
山形県金山町では、事件二日後に緊急村会議が召集され、条例が制定された。
一条 本村住民は津田の姓をつけてはならない。
二条 本村住民は三蔵の名をつけてはならない。

・・・

焦点となった犯人の処罰

司法省は、犯人は殺人を犯したわけではなく、傷つけただけなのだから暗殺未遂を適用するのが妥当であるという意見が示された。

政府としては何としても極刑にもちこみたい。
これに対して、政府に真っ向から反対したのが、現在の最高裁判所長官にあたる大審院長児島惟謙である。



・・・・・・・・・・・・

Wikipedia
児島 惟謙は、明治時代の日本の司法官、政治家。
大津事件の際には、大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜き、「護法の神様」などと高く評価された。
後に貴族院議員、衆議院議員。

・・・・・・・・・・・・






撮影日・2021.12.24




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊佐庭如矢

2021年12月28日 | 銅像の人
場所・愛媛県松山市道後温泉

明治22年、温泉郡道後町が発足。初代の町長さん。





NHKテレビの人気番組「ブラタモリ」によれば、
この町長さんが道後温泉本館を建築し、路面電車の敷設を市街地→道後・三津浜→道後敷設に尽力したそうだ。







撮影日・2021.12.25

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行基

2021年12月27日 | 銅像の人
場所・兵庫県神戸市北区有馬





(Wikipedia)

行基

行基(天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧。
朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成し、畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説いた。
併せて困窮者の救済や社会事業を指導した。
布施屋9所、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地に整備した。
当初、朝廷から度々弾圧や禁圧を受けたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。
その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。
この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。

日本地図を作成したとの伝承もある(行基図)。



撮影日・2021年11月30日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少年法然

2021年12月27日 | 銅像の人
場所・兵庫県神戸市北区有馬町   極楽寺




(Wikipedia)

法然上人

法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。
はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、
承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、
のちに浄土宗の開祖と仰がれた。法然は房号で、諱は源空げんくう、幼名を勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人とも。

浄土宗では、
善導を高祖とし、法然を元祖と崇めている。

浄土真宗では、
法然を七高僧の第七祖とし、法然聖人/法然上人、源空聖人/源空上人と称し、元祖と位置付ける。
親鸞は『正信念仏偈』や『高僧和讃』などにおいて、法然を「本師源空」や「源空聖人」と称し、師事できたことを生涯の喜びとした。








撮影日・2021年11月30日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする