場所・岐阜県岐阜市 岐阜公園 「若き日の織田信長像」
管理人の趣味に”低山登山”があり、登山道がある山となれば「城跡」「信仰・霊場」が多い。
岡山県・広島県を中心に山城には300~400城は登っていると思う。
中でも、岐阜城への登城は山として、城として、しかも天下取りの城で、さすがに他の山城とは比較にならない存在感や歴史を思わせた。
岐阜城跡は岐阜公園として整備され、長良川に接して、市民や観光客の憩いの場になっていた。
「織田信長」 土橋治重 成美堂 1972年発行
岐阜城
標高338mの金華山頂にあるこの城は、斎藤氏三代が居城としたころは稲葉山城といった。
永禄10年(1567)ここに入城した信長が岐阜城と改称した。
信長によって大改修を加えられた岐阜城は、当時、天下一の絢爛豪華を誇った山城であった。
三層の天守閣をはじめ、各種の櫓が建ちならび、山城の粋を尽くしたが、
居館もまた豪壮で優美なものだった。
宣教師ルイス・ルロイスは手紙に次のように書いている。
≪余がポルトガルおよびインドより日本に来る間に見た宮殿の中では、このように精巧、美麗なものはない。
石垣の石は驚くほど大きく、内部の各室はクレタの迷宮というべく、巧妙な工夫が施され、
第一階には15ないし20の座敷がある。
屏風、板戸の締金および釘はみな純金を使用している。
座敷の周囲の縁は良材を用い、それは鏡のような光沢があり、緑の壁の羽目板には日本、支那の古い歴史画が美しく描かれている≫
現在の天守閣は昭和31年に再建されたもの。
撮影日・2011年8月5日
管理人の趣味に”低山登山”があり、登山道がある山となれば「城跡」「信仰・霊場」が多い。
岡山県・広島県を中心に山城には300~400城は登っていると思う。
中でも、岐阜城への登城は山として、城として、しかも天下取りの城で、さすがに他の山城とは比較にならない存在感や歴史を思わせた。
岐阜城跡は岐阜公園として整備され、長良川に接して、市民や観光客の憩いの場になっていた。
「織田信長」 土橋治重 成美堂 1972年発行
岐阜城
標高338mの金華山頂にあるこの城は、斎藤氏三代が居城としたころは稲葉山城といった。
永禄10年(1567)ここに入城した信長が岐阜城と改称した。
信長によって大改修を加えられた岐阜城は、当時、天下一の絢爛豪華を誇った山城であった。
三層の天守閣をはじめ、各種の櫓が建ちならび、山城の粋を尽くしたが、
居館もまた豪壮で優美なものだった。
宣教師ルイス・ルロイスは手紙に次のように書いている。
≪余がポルトガルおよびインドより日本に来る間に見た宮殿の中では、このように精巧、美麗なものはない。
石垣の石は驚くほど大きく、内部の各室はクレタの迷宮というべく、巧妙な工夫が施され、
第一階には15ないし20の座敷がある。
屏風、板戸の締金および釘はみな純金を使用している。
座敷の周囲の縁は良材を用い、それは鏡のような光沢があり、緑の壁の羽目板には日本、支那の古い歴史画が美しく描かれている≫
現在の天守閣は昭和31年に再建されたもの。
撮影日・2011年8月5日