海の想い出
茂平では漁業の人は多くは無かったが、住む人みな海と関わりながら暮らしてきた。
風景・・・笠岡湾には漁船が浮かび、三洋汽船が黒い煙を吐いていた。沖には4~5艘繋がった運搬船がよく見えていた。山の畑から見る瀬戸内海は何処を向いてもきれいだった。
茂平港・・・エンジン付きの漁船と手漕ぎの農船が繋いであった。海は底まで見えていた。
鞆の祇園さん参り・・・港には観光船が来て、漁船もお参りに行った。笠岡の花火は漁船が見物に行っていた。
遊び・・・子供は夏休みの水泳(波止と苫無)場所だった。苫無では干潮になると小魚を獲って遊んだ。
貝類・・・あさりとツブを獲った。海草ではトコロテンを採っていた。
どんがめ・・網にかかったドンガメを食べることがあった。焼く時に独特な匂いがあった。
苫無の白砂青松・・・砂浜では漁師が網の手入れをし、網を焚く小屋が並んでいた。小学校の海水浴場にもなっていた。
夕涼み・・・暑い夜は樋門から波止の辺りで夕涼みをしていた。磯には夜光虫がいた。
樋門・・・樋門は男の子供たちの格好の遊び場で、樋門の上から上級生は下級生を突き落とし泳ぎを教えていた。
火葬場・・昭和40年頃まで死者は土葬だったが、伝染病で死んだ人が海岸で焼かれた。