管理人が高校生の頃、映画は「邦画」「洋画」「エロ映画」と三分割されていた。
高校の卒業式が終わってすぐ、福山に友と二人で初めてエロ映画を見に行った。
エロ場面になると、白黒映画からカラー映画に変わり、音楽も微妙に変わった。
その映画を見ながら友は泣いていた。
エロ映画を見て泣くことにびっくりしたが、後に本を読むと、当時のエロ映画は脚本がしっかりして高いレベルだったそうだ。
戦後氾濫し時代を彩ったカストリ雑誌は、どのような人気を得たのだろうか?
毎日新聞社「冷戦・第三次世界大戦」1946-1956 より転記する。
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1947の調査によると、前戯なしの性行為が半数を占めていた。
いわゆるカストリ雑誌は,B5判の大きさで約50ページ、挿絵には女性の裸体。
1946年10月に創刊された月刊誌「猟奇」が草分けで、2万部発行された創刊号はわずか2時間で完売。つづく第二号が戦後初の発禁処分を受け、一躍有名になった。
問題になったのは小説「性愛告白譚・H大佐夫人」。約6万部刷ったうち回収できたのはわずか873部だったという。
46年から49年にかけて百数十誌が創刊されては消えた。
内容はエログロ・犯罪、実話、猟奇もの。
「接吻について」という論文を巻頭に載せたり、
「ズロース物語」女性の下着史があったりで、当時の世相をストレートに表していた。
日本人の貧弱なセックス・イメージを広げる役割を果たした。
やがて「夫婦生活」を機に小型本化し、さらに本格な性研究誌「人間探求」などが登場すると勢いを失った。
高校の卒業式が終わってすぐ、福山に友と二人で初めてエロ映画を見に行った。
エロ場面になると、白黒映画からカラー映画に変わり、音楽も微妙に変わった。
その映画を見ながら友は泣いていた。
エロ映画を見て泣くことにびっくりしたが、後に本を読むと、当時のエロ映画は脚本がしっかりして高いレベルだったそうだ。
戦後氾濫し時代を彩ったカストリ雑誌は、どのような人気を得たのだろうか?
毎日新聞社「冷戦・第三次世界大戦」1946-1956 より転記する。
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1947の調査によると、前戯なしの性行為が半数を占めていた。
いわゆるカストリ雑誌は,B5判の大きさで約50ページ、挿絵には女性の裸体。
1946年10月に創刊された月刊誌「猟奇」が草分けで、2万部発行された創刊号はわずか2時間で完売。つづく第二号が戦後初の発禁処分を受け、一躍有名になった。
問題になったのは小説「性愛告白譚・H大佐夫人」。約6万部刷ったうち回収できたのはわずか873部だったという。
46年から49年にかけて百数十誌が創刊されては消えた。
内容はエログロ・犯罪、実話、猟奇もの。
「接吻について」という論文を巻頭に載せたり、
「ズロース物語」女性の下着史があったりで、当時の世相をストレートに表していた。
日本人の貧弱なセックス・イメージを広げる役割を果たした。
やがて「夫婦生活」を機に小型本化し、さらに本格な性研究誌「人間探求」などが登場すると勢いを失った。