場所・大阪市天王寺区茶臼山「天王寺動物園」
この市長さんは、近代都市大阪にとって大恩人だそうだ。
御堂筋や地下鉄の都市計画の他に教育、築港・・等々。
管理人が一番気になるのは会津藩の武家出身、
戊辰戦争とその後の斗南藩の開拓を経験している。
白河以北一山百文と言れ、中でも会津藩は冷遇されてきた。
そういう状況下で高官にまでなったのは、
才能や努力や人間性が並外れて高かった人なのだろう。
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池上四郎 (大阪市長)
(Wikipedia)
池上 四郎
生誕 1857年5月11日
陸奥国会津現(現福島県会津若松市)
死没 1929年4月4日(71歳没)
東京府
出身校 藩校日新館
職業 朝鮮総督府政務総監
大阪市長
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池上 四郎(いけがみ しろう、1857年5月11日〈安政4年4月18日〉 - 1929年〈昭和4年〉4月4日)は、日本の警察官僚、政治家。
第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監。
生涯
1857年、陸奥国耶麻郡(現・福島県会津若松市)で生まれた。
11歳のときに戊辰戦争を経験する。兄の友次郎は、鳥羽・伏見の戦いの正月五日の戦で戦死。
父・武輔は井深宅右衛門の第二遊撃隊の組頭として越後小千谷で新政府軍と戦い、負傷する(北越戦争)。
開城後は再興を許された斗南藩へ父母に連れられ一家六人で移住し、開拓農民として辛苦の生活を体験する。
1877年、池上は警視局一等巡査として採用された。
1880年、石川県警部となり、1882年、石川県警察部第一部長に進んだ。
1913年、市政浄化のため、池上は嘱望されて、肝付兼行の後任として大阪市長に就任した。
天王寺公園内にある像
財政再建を進める一方、都市計画事業や電気・水道事業、さらには大阪港などの建設などの都市基盤を整備し、
近代都市への脱皮を図ると同時に、以下の政策を実行および計画を実施して、大大阪時代初期まで大阪市政を担った。
池上は1915年に天王寺動物園を開園させ、1919年に全国初の児童相談所・公共託児所を開設した。
1923年には大阪電灯株式会社より事業を買収し、電灯供給事業を市営化した。
同年9月1日に発生した関東大震災では、いち早く大阪港から支援物資を東京に送り、被災者の救済を行った。
御堂筋を拡張し大阪のメインストリートとする計画は、池上の市長時代に立案され、続く関一市長時代に実現し、
後任の関市政時代に大大阪時代の全盛期を迎えることとなった。
また、市庁舎の新築、博物館や図書館などの教育施設や病院の整備など、社会福祉の充実にも注力した。
1935年、大大阪時代を実現させた池上の功績を称え、大阪市民の手によって銅像が建立された。
この銅像は太平洋戦争最中の1942年、金属供出により撤去されたが、戦後の1959年6月に市政70周年を記念して再建された。
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撮影日・2025年7月25日
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