しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

満州事変 「福山市史」①

2018年01月31日 | 昭和元年~10年
終戦後、東久邇宮首相は「一億総懺悔」を言ったが、さらには
戦争は「一億総責任」であったのも事実。


「福山市史 下」福山市史編纂会著 昭和58年発行 より転記する。
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柳条湖事件が発生すると、新聞・ラジオがその全機能をあげて写真展・映写会・慰問袋・肉弾三勇士などのキャンペーンを行ったので、
福山においても、そうした動きが活発になった。
9月24日、朝日新聞社の主催で市内三カ所(午後2時~4時まで大黒座、6時から盈進商、6時半から誠之館中)で開催された満州事変映画には平日・木曜日の昼間にもかかわらず2.000人以上の観客がつめかけ、夜間も昼間に劣らぬ盛況で、「銀幕に映る我軍の活躍に拍手の波がわき起こったといわれる。

新聞やラジオによって中国への敵愾心を燃やしていた市民は、じかに「我軍の活躍」ぶりに接して狂気したのであろう。
こののち、陸軍省が全面的にバックアップした写真展・展示会・排日資料館や、第5師団・41連隊・在郷軍人会などが主催した軍事・国防後援会などが開かれるが、9月28日福山公会堂に5.000人以上を集めたのをはじめてとして、以後各地でも満員の聴衆を集めたといわれる。


このような中で、市民の側からも積極的な動きが出てくる。
「我が満蒙派遣軍の正当なる行動を支持する」という在郷軍人会福山支部の決議を皮切りとして、9月30日には千田村で500人が参加し村民大会が開かれ「対支問題」に対する強硬な決議を採択している。

福山市でも、
11月23日午後1時から天守閣広場で市民大会が開催され、月曜日にもかかわらず、昼前から各町の旗を押し立てた市民が参集し、5.000人以上と言われた。
「福山市民は一致団結政党党派を超越して当局を支持激励し、東洋永遠の平和と帝国の威信を内外に宣揚せん」という宣言を採択した。
さらに
「①日支の懸案の解決に第三者の干渉を許さず②満蒙の行動は自衛権③国際連盟を反省させる」を決議している。

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8月18日 ソ連軍、占守島に上陸「太平洋戦争通史」

2018年01月31日 | 占守島の戦い

「太平洋戦争通史」筒居譲二著 文芸社 2013年発行 より転記

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8月18日 ソ連軍、占守島に上陸

15日以降もソ連軍による満州侵攻は続き、関東軍との戦闘は継続されていた。
ソ連も対日参戦を急いだため準備不足もあり、また戦力衰えたと言えども関東軍の必死の抵抗もあり、ソ連軍の進撃は予定より遅れていた。

そのような中の18日、マッカサーの要求によって大本営は、陸海軍全軍に対し停戦命令を下した。(自衛行動は24日まで認める)。
しかしソ連軍は、関東軍の降伏と停戦要求を無視した行動を続ける。

18日には、千島列島の最北端にある占守島に上陸。
同島には第73旅団、戦車11連隊などがあり、その反撃により上陸したソ連軍は大きな損害を出している。

その後ソ連軍は日本軍の抵抗を受けず、千島列島の島々に北から南へと次々に上陸。
9月3日までに色丹島や歯舞諸島まで、つまり千島列島全てを占領してしまう。
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占守島、ソ連軍上陸頃の年史

2018年01月30日 | 占守島の戦い
60年安保闘争は、
沖縄は、米帝が占領しているから返還は無い。
千島は、社会主義のソ連だから(帝国主義でないので)、講和すれば千島を返還してくれる。
という一面があった。
事実は逆となり、返還の見通しは全くない。
終戦前後のソ連の行動や、シベリア拘留を思えば、ソ連が千島を戻すことは考えらないが・・・・なぜに、浅はかな思考ができたのだろう?不思議だ。



「日本軍事史年表」吉川弘文館 2012年3月発行より転記する。

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8.6 B-29、広島に原子爆弾を投下
8.6 ソ連首相スターリン、極東ソ連軍に対日参戦を指令
8.8 (8.9未明)日本、モスクワ放送でソ連の対日宣戦布告を知る
8.9 ソ連軍、満州・朝鮮北部・樺太に侵攻を開始
8.9 大本営、関東軍に全面的対ソ作戦発動の準備を発令。関東軍対ソ全面開戦準備を発令
8.11 ソ連軍、南樺太に攻撃を開始
8.11 中共軍、満州への進撃を命令
8.15 大本営、積極進攻作戦中止を発令
8.15 ソ連軍、軍事作戦を継続、北東方面は9月5日まで続行
8.16 マッカサー、天皇・政府・大本営あてに戦闘停止を命令
8.16 大本営陸軍部、即時戦闘行動の停止を発令
8.16 大本営海軍部、即時戦闘行動の停止を発令
8.16 関東軍、戦闘行動停止の終戦命令を発令
8.16 第5方面軍、第88師団に自衛戦闘の実施と南樺太の死守を命令
8.16 ソ連首相スターリン、米大統領トルーマンにソ連軍による北海道北部の占領を要求。18日、トルーマン、これを拒否
8.17 ソ連軍、南樺太の恵須取を占領
8.18 ソ連軍、占守島に奇襲上陸
8.18 占守島の所在部隊、来攻のソ連軍を反撃、ソ連船舶に多大な損害を与える。16時、日本軍、戦闘を停止
8.21 占守島の日ソ両軍、停戦
8.22 南樺太で日ソ両軍の停戦交渉、成立。ソ連軍交渉成立後も無差別攻撃、直後に豊原を空襲。
8.22 樺太からの引揚船、国籍不明の潜水艦に攻撃され沈没。死者約1.700人。
8.23 ソ連首相スターリン、日本兵捕虜50万人のシベリア抑留、強制労働を指令。
8.29 ソ連軍、択捉島を占領
9.1 ソ連軍、国後・色丹島を占領
9.2 降伏文書調印式、東京湾上の米戦艦ミズーリで行われる。
9.5 ソ連軍、歯舞諸島占領。千島全島の占領、完了



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原爆投下、仁科芳雄博士の広島行き

2018年01月25日 | 昭和20年(終戦まで)
二号研究の開発者・仁科芳雄博士は、原爆投下の調査の為
空路も陸路も困難を極める中、広島に向かった。
もし日本が早く開発していたら「原爆の父・仁科芳雄」と呼ばれていた可能性が高い。

博士の地元、里庄町では「原子物理学の父」と呼び、「最初に原爆と断定した」偉人であると誇っている。

「日本軍事史年表」吉川弘文館 2012年3月発行より転記する。

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8.7 大本営、敵が広島に「新型爆弾」を使用したと簡単に発表。
一、昨八月六日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり。
二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり。

8.8 原爆被害調査団(団長参謀本部第二部長陸軍中将有木精三、団員仁科芳雄ら)、広島着。

・・・・8.8 この日、日本時間23時ソ連外相モロトフ、駐ソ大使に参戦宣戦書を手交。
・・・・8.9 B29、長崎市に原子爆弾を投下。
・・・・8.9 23時50分から宮中防空壕で御前会議を開く。
・・・・8.10 午前2時20分、御前会議で第一回の「聖断」下る。

8.10 原爆被害調査団、広島市に投下された爆弾を原子爆弾と認め中央に報告。
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皇太子誕生

2018年01月25日 | 昭和元年~10年
この頃から神社が栄え、昭和20~21年に廃止の危機に至った。

以下転記する。
岡山の女性と暮らし「戦前・戦中」の歩み 発行・山陽新聞社

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昭和7年
12月23日午前7時、
東京市内のサイレンが一斉に鳴り、皇太子誕生を知らせた。
岡山では早朝の号外の鈴音が誕生を報じた。
県下一斉に戸ごとに日の丸を掲げ、岡山・津山市をはじめ各市町村長は、モーニング姿で賀意を表し各神社に安産お礼祈願を行った。
早速小学生や各婦人会の旗行列と神社参拝が実施され、この日から命名式の29日まで奉祝行事が続いた。
不景気に沈む師走の商店街でも祝い酒、鯛が売れ、束の間の活気ある歳末風景に酔った。
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占守島③占守島水際殲滅戦

2018年01月24日 | 占守島の戦い

「陸軍部隊戦史」新人物往来社・2001年7月発行より転記する

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幌莚島のすぐ北方にある占守島へ日本降伏の三日後に、あたかも降伏は認めないかのように不当にもソ連軍が攻撃をしかけ上陸してきた。
占守島の部隊はこれにたいして徹底した自衛戦闘を展開し、最後はソ連軍約6.000名を海岸に追いつめ、崩壊寸前の態勢で矛を収めた。
日本軍死者数百名にたいして、ソ連軍は三千名以上が戦死した。
停戦に際しソ連上陸司令官は「日本軍が総攻撃しなかったことに感謝する」と述べたほど、近代戦まれに見る水際殲滅戦と言われる所以である。

万一占守島の日本軍が無抵抗でソ連軍に明け渡していたら、勢いに乗じて北海道に上陸していただろうし、あるいは東北地方まで占領地を広げていたかも知れない。

実際、占守島の占領後もソ連軍は武力で千島列島を侵攻し続け、8月28日は択捉島、9月1日は色丹島、5日に水晶島と進み、そこでようやく止まった。
北海道まであと一歩という地点である。
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占守島②失われた北の故郷

2018年01月24日 | 占守島の戦い

「北海道の歴史」山川出版社・昭和44年発行 より転記する

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失われた北の故郷

昭和20年8月15日、悪夢のような戦争は終わった。
しかし、北海道の周辺は、むしろそのあとで戦闘がおこなわれたのである。

8月17日、樺太へ侵入したソ連軍とのあいだに、18日には北千島占守島に上陸したソ連軍をむかえて激戦がおこなわれた。崩壊状態の大本営停戦命令が、末端まですみやかに伝達されなかったためである。
まさに、あたら死なずにすんだ尊い生命が、8月15日後の数日に多く失われたのである。

北千島守備隊は、ニュースとして終戦を知っていたが、命令のないまま迎撃し、18日夕刻にいたって停戦、全千島の日本軍は29日までに武装解除された。

島民たちの約半数は小舟で根室方面へ脱出したが、残った住民は、翌翌年、樺太経由で強制送還されたのである。
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大相撲笠岡に来る

2018年01月22日 | 昭和26年~30年
大相撲は昭和33年から本場所が6場所になった。
その1~2年前は4本場所で、九州と名古屋は準本場所と呼ばれていた。
準本場所が無い時代は一門別の巡業が主流だったようだ。

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2018.1.19、宴席(5名)での話。
Oさん・西本町、Iさん・吉浜、Fさん・北木島、Hさん・大島

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談・Oさん

今のホリディのことろ、
あそこにサーカスがようきょうた。
栃錦は来とった。
風呂は「おおゆ」(西本町の銭湯)があった。(相撲の後で力士は)みんなそこへ入った。
巡業はいちんちでおわった。(宿泊は笠岡にしていない)
笠岡にう来たはいっぺんだけ。
幕を張って柱を立てとった。
ワシの記憶では吉葉山が来てねぇん。(一門別のせい?または吉葉山は休場が多かった)
栃錦と千代の山は最後に横綱決戦をやった。

終わったら、
笠岡駅から汽車に乗って福山駅へ向かった。

大起(おおだち)がおった。50貫。大起は岩みたいじゃった。


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大相撲北木島に来る

2018年01月21日 | 昭和26年~30年
漫才師・千鳥の大吾が話す北木島。
いっぽう、映画館が3館、大相撲の興行もある北木島もあった。

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2018.1.19、宴席(5名)での話。
Oさん・西本町、Iさん・吉浜、Fさん・北木島、Hさん・大島
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談・Fさん

小学校の一年生か?その一年前じゃった。
(少学校には幼保に行かず直接進学)

うちのお祖父さんが勧進元じゃった。
お祖父さんが相撲好きじゃった。双葉山の写真があった。
九州の勧進元の紹介でこっちへ呼んだようた。
どっから(四国、福山、笠岡その他)北木へ来たのかはわからん。
小学校へ上がって行ったら(校庭に支度部屋、または有料区域の囲い?)、囲いより大内山の方が高かったことをワシは記憶しとる。
相撲場所は小学校か今の中学校か定かじゃなあない(忘れた)。たぶん小学校。
栃錦と若乃花が組んだのを桟敷で見た。
鏡里と栃錦は来た。
お祖父さんの膝のうえで(ただで)見ょうた。
栃錦と大内山をよう覚えとる。

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大相撲吉浜に来る

2018年01月21日 | 父の話

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2018.1.19、宴席(5名)での話。
Oさん・西本町、Iさん・吉浜、Fさん・北木島、Hさん・大島
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談・Iさん

金浦小学校で見た。
吉葉山を覚えとる。

笠岡へは、学校から見にい行きょうた。
栃錦の尻がきたなかった。若ノ花の尻はきれいじゃたけど、栃錦にはぶつぶつができていた。

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