しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

横綱・琴桜

2021年06月13日 | 銅像の人
場所・鳥取県倉吉市東仲町








二所一門の大横綱の大鵬さんから、「さくら、さくら」とかわいがられ、猛稽古で横綱になった琴桜。
遅咲きで、比較的短命の横綱だったが、
立ち合いの”ぶちかまし”で押し出す相撲は”猛牛”と呼ばれた。


この猛牛は名とは正反対に、容ぼうが温厚で知的な雰囲気のお相撲さんだった。






以下は、

【倉吉市のHP】

前佐渡ヶ嶽親方(第53代横綱「琴櫻」)は倉吉出身で、その偉業を称え銅像が造られました。
郷土をこよなく愛し、春恒例の「桜ずもう」には佐渡ヶ嶽部屋の力士とともに参加しており、名誉市民に選ばれています。

1940年11月26日生
鳥取県東伯郡倉吉町鍛治町出身
身長182cm、体重150kg
倉吉町の借家地で、警察官の子として生まれました。
警察官の父より柔道を仕込まれ、中学生では段位を認めてもらうほどの腕前でした。勧誘され、佐渡ヶ嶽部屋に入門しました。

1959年一月場所に初土俵、1963年三月場所にて新入幕を果たしました。強烈なぶちかまし、のど輪で一気に攻める押し相撲を得意とし、「猛牛」との異名を取りました。
1967年九月場所後大関昇進。
1968年七月場所幕内初優勝。
1973年一月場所後第53代横綱へ昇進。幕内最高優勝5回。
1975年2月1日に引退相撲が開催されました。
引退後は親方として、琴風、琴ノ若(現・佐渡ヶ嶽部屋親方)ら多くの力士を育て、合計24人の関取を育てるなど、相撲の普及、後進の育成にも情熱を注ぎました。





撮影日・2020年10月13日


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 孝子像(笹川良一) | トップ | 二十四の瞳 (映画村) »

コメントを投稿

銅像の人」カテゴリの最新記事