マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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旧大塔町天辻の盆踊り

2015年03月18日 07時28分07秒 | 五條市へ
天辻の地蔵堂には二人の男性がおられたが、早めに来たと云う。

村人が集まるのは19時半を過ぎ。

抽選会商品を持ちこんでいた区長に取材の主旨を伝えて取材撮影に臨む。

ストロボ焚いてもいいのかどうか尋ねたところ、「ワシがえーいうたら皆誰も文句は云わんからどうぞ」である。

浴衣を着た子供たち、爺ちゃん婆ちゃんや両親ともどもやってきておよそ50人もなった。

参拝者はそれぞれローソクを灯して地蔵仏に手を合わる。

そして受付に盆踊りの祝儀を納める。



受け付けた祝儀は名前を書いてお堂に貼っていく。

子供たちはお楽しみのアテモンやスーパーボール掬いに熱中する。



盆踊りは20時過ぎころから始まった。

踊り子さんは天辻区以外に阪本からもやってきた。

「踊る」には区長に声を掛けて承諾を得ていたと云う。

踊り始めは「開き」やと云って手舞いの踊り。



ちっちゃな子供はまだ踊ることもできずにアテモンの商品を持って見るだけだ。

太鼓打ち・音頭取りは簾出身のHさん。

母親の出里が天辻。

親戚みたいなものだけに村人同様に接せられる。

踊りはほぼ休むことなく「祭文」、「やっちょんまかせ」、「はりま」、「かわさき踊」など。

「それやっせ それやっせ」、「それどっこい」の囃しについつい身体が動いてしまう。



地蔵堂の周りは村人が座るためのもの。

村の行事に迷惑をかけないように気を配る撮影位置に身体を据えた。



右手に扇をもって踊るのは「大文字屋」。

手にした扇を広げて前に突き出すように踊る。



それを上に揚げる。

文化財調査があった平成24年の踊り子は村の人だけで舞っていた。

普段着姿でたったの4人だったと話す。

「今年は阪本組も来てくれて盛り上がった。えーときに来たな」と区長は喜んでいた。

天辻の盆踊りには特に決まった衣装もない普段着であるが、中断中の天誅踊だけは模擬刀・衣装で踊っていたそうだ。

普段着で舞っていた親子連れは阪本の泉井一族。

たまたまお盆に戻っていた大阪住まいの家族というやに聞く。

「あんた、平成19年に阪本に来てはったでしょ」と声をかけられた。

ずいぶん前のことであるが、よく覚えておられる。

音頭取りのリズム・口調は若干、阪本と違うように聞こえる。

阪本の音頭取りをされているⅠさんは伸びる声。

実に惚れ惚れするお声であったことを覚えている。

Hさんはやや早めだがこれまたえー声である。

Hさんが云うには何年か前に簾、天辻、阪本の音頭取りから習ったそうである。

天辻で披露するのは今年で4年目になるそうだ。



扇を手にした踊りは「なんちき」にも登場した。

「あーなんきち どっこい」の囃しで踊りが判る。

「なんきち」は踊りの途中で向かいあった二人が掛けあいのように踊る。

ときには3人に舞うこともあるが、人数が少ないことから掛けあいは見られなかった。



長丁場の踊りに音頭取りは何度か交替されて進行する。



音頭取りが替って「政吉踊」になった。

「かわさき踊」では扇を広げたままに前へ突き出すようにするが、「政吉踊」は扇をすぼめたままで踊る。

村を救った中村屋政吉は死罪。

弔う踊りの姿である。

「そりゃやっちょんまかせ」の囃しがある「やっちょんまかせ」にぽんぽんと膝を打つ「祭文」やリズムが心地いい「かわさき踊」は一度聴いたら忘れない曲だ。



「なんきち」の掛けあいを娘さんとともに踊る婦人は阪本住民。

親から子へ連綿と受け継いでいる踊りを舞う。

再び音頭取りは本谷さんに替って踊りの〆は「やってきさ」。

「やってきさの踊りはお手々が五つ 五つたたいて尻をふる 恋し恋しと鳴くせみよりも 鳴かぬ蛍が身をこがす 揃たそろたよまわり子がそろた 秋の出穂よりよくそろた 踊り済んで来たにぎりめし出しやれ うまいにしめと冷や酒を 踊り気違い見る奴あほじゃ 音頭取るのはど気違い」の唄が地蔵堂に広がった。



浴衣姿の女児も踊り子の舞う姿を真似て輪のなかに入っていった。

踊り納めの「やってきさ」を踊って、場は村の会食に移った。



太鼓縁台を隅に移してお堂に敷きつめるゴザ。

テープルも並べた。



注文したオードブルや柿の葉寿司に巻きずし。

区長の挨拶・ねぎらい・乾杯でいただく場はお堂いっぱい。

このころの時間は22時だ。

天辻は昭和の初めには80戸もあったそうだ。

今では15戸になっているが、家置を残してお盆に戻ってくる家もあるだけに実際はもっと多くあるようだ。

今では会食料理は注文商品。

元区長の発案でそうしたと云う。

中入りのご馳走はにぎりめしや家で作った料理だったようだ。

そのことを言い現わしているのが「やってきさ」の台詞のように思えた。

会食を済ませたら抽選会が始まる。

5等はオーブントースター、4等は扇風機、3等はテーブルコンロ、2等はマッサージ機、1等が掃除機。

賞品はそれだけでなく、特等はなんと地デジテレビである。



当たった人は手を挙げて雄たけび。

周りの人たちから拍手喝さいを浴びて賞品を手に入れた。



こうして天辻の盆踊りが終わった時間は23時半。

かつてはその後も踊り続けていたようだ。

解散後も男性たちは地蔵堂に居残って酒宴で一晩明かしたかどうか、後日に行った際に聞いてみよう。

(H26. 8.14 EOS40D撮影)


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大塔地区の天誅踊りにつきまして。 (草村克彦)
2015-11-18 14:48:57
最近、「大塔の天誅踊りは踊られていますか?」というご質問を受け、調べていたんですが、簾地区などの事が書かれていて、大変ありがたいです。貴重な記載だと思います。
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天誅踊 (田中眞人)
2015-11-19 09:40:17
草村克彦さん、コメントありがとうございます。
奈良県教育委員会発刊(平成26年3月)の『奈良県の民俗芸能』<―天辻の盆踊り―>によれば刀を使って躍る「天誅踊」は天辻の「天誅踊り保存会」組織で実施されていたものの、現在は活動していないとのことでした。
「保存会が着ていた衣装や模擬刀は天辻の会所に保管されている・・・天誅踊りは十年以上も行われていない」と記事にありますが、平成24年8月に現地調査した盆踊り演目に「天誅踊」があったと報告されています。
私は平成26年8月14日に訪れましたが、踊りもなく、「天誅踊」の話題も出ませんでした。
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