マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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榛原長峯長安院の修正会

2014年06月01日 07時45分56秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
正月三日に行われているであろうと思って訪ねた宇陀市榛原長峯。

近鉄電車が通る線路傍にある天満神社。

急な石段を登っていけば大きな門松を立ててあったが村人はいない。

探していたのは天満宮観音堂とされる長安院だ。

神社にあるのは社務所と参籠所。

その場にはお堂は見られない。

参籠所内部であろうと思ったがそうではなかった。

付近の家で尋ねた結果は、線路を渡って山の方。

新興住宅地である天満台のニュータウン。

それより西側にあると教わって走った。

到着すれば行事でたばったクロモジに挿したモチバナを持っていた。

今まさに終わったばかりだと云う。

階段を登れば大きなお堂がある。

それは目指した長安院。

廻りをしていた天満宮の頭屋たちが後片付けをしていた。

幕を外して賽銭箱も奇麗にする頭屋たちは5軒組。

かつては10軒ほどの家筋であった。

いつしか村行事に移ったことで長峯を十数組に分けた当番制にされた天満宮の頭屋。

神社行事が主であるが、この日に行われた修正会も受け持つ。

長安院のご本尊は観音立像。

長谷寺の本尊が造立される前に造られた見本の仏像だと云う。

長谷寺よりも先にあったから「姉さん」と呼ぶと話す頭屋たち。

幕を下ろしていたお堂の回廊に長い棒が置いてあった。



ごーさんの札を挟んだ木の棒はウルシの木は30本。

行事を終えれば神社に移すと云う。

ウルシ棒のごーさんはこれとは別に6本あった。

それはご本尊に供えて祈祷したごーさん。

特別なものであるが、後日に処分するようだ。

ウルシ棒のごーさんは4月のかかりぐらいに苗代に立てる。

イロバナを添えて豊作を祈願すると云うだけに、その頃には長峯を訪れてみたいと思った。

ウルシ棒は他にもあった。

正月初めに祈祷する修正会の次第に沿って僧侶が唱える神名帳の詠みあげ。

日本国中の神社名に神さんを詠みあげるのである。

大和国十五郡、山城の国、東海道十五国、東山道八国、北陸道七国、山陰道八国、山陽道八国、南海道六国、西海道九国だ。

発願、平等利益の際に発声される「乱声」を合図に机を持っていたウルシ棒でガンガン叩く。

これは「ランジョー」と呼ぶ作法である。

かつては子供が叩く床叩きであったが、現在は頭屋が叩く机叩きになったようだ。

仏名教化、三十二相、導師、荘厳目録、発願、祈願詞云、仏名教化、発願、等利益、祈願詞云、仏名教化・・・乱声で二回目のランジョー。

祈願、教化・・・差帳可讀、教化・・・乱声で三回目のランジョー。

成善願、勧請、四仏、錫杖、廻向、発願、五大願、仏名教化・・で終える長丁場の修正会はオコナイとも呼ばれている。

修正会の次第は「昭和五十五年庚申閏二月五日 書寫シ畢ン又 榛原町山辺三 遍立山西方寺 磯田了義」が写し書き記された『長峯長安院観音寺修正会次第』である。

祈願文は寛永二年(1625)春正月元日のものを文久元年(1861)十一月下春に荻原邑天野寺住職教恵房が61歳のときに書写したとある。

長峰邑頭人中の文字もあることから、当時からも宮さんの頭屋がついていたのであろう。

初祈祷の御供は五穀成就を願い、お重に盛った小豆、粟、米、麦、青豆の五穀。



天下泰平・五穀成就・村中安全を願った五枚の花餅もあったようだ。

ごーさん札の版木刷り、ウルシ木刈り、御供集めなど年末は忙しかった。

この日の修正会を終えてやっと正月を迎えられると話していた。

この日のお勤めは玉立(とうだち)の住職だったそうだ。

御供は荘厳目録に沿って、金二丁、大佛供、小佛供、中餅、舞玉、造花、松折敷、柄杓、燈明、藤大豆、僧膳料、白幣があるらしい。

(H26. 1. 3 EOS40D撮影)


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