一日早く架けた牛頭天王宮のテンノオイシキの注連縄や大草鞋に雌雄の草鞋を拝見して立ち寄ったA家にお邪魔した。
玄関を入ろうとしたときに気がついた軒下の木の棒。
見た瞬間にわかった旧暦閏年に立てた棒状の塔婆である。
千森に旧暦閏年の庚申さん行事があることはわかっていた。
平成27年2月15日に訪れた牛頭天王社が鎮座する地である。
社と地蔵堂の間にある祠があった。
左手に先祖供養の石塔。
右は庚申さんの石塔である。
年代等は見えなかったが、調べた人がいる。
津浦和久氏である。書き纏めた史料は『民俗社会の地域的差異について-庚申塔婆の現状とその分布』。
私も旧暦閏年に行われる地域の在り方を調べている。
大いに参考にさせてもらっている史料である。
その稿には若干であるが大字笠の庚申さんも書いてあった。
行事の名は「塔あげ」。
それだけであった記事にあった詠みは「トウアゲ」だが、Aさんは「トアゲ」と呼んでいた。
A家が残していた塔婆に願文がある。
奥の一本は下げてもらうのもご迷惑なので諦めて、手前の塔婆を拝見する。
それには梵字が五文字で「奉修 南無青面金剛天子講内安全子孫長久五穀豊穣祈祷上中組平成十八年三月二十六日」とあった。
塔婆の材は杉の木。
行事のときは葉付きで奉った。
花立てと塔婆作りは上/中組と奥組の垣内が毎回交替して担う。
塔婆はそのときのヤドがもらう。
泥棒除けになるという塔婆はA家に残されていた。
ちなみにその奥にある塔婆は11月にしたとAさんが云っていた。
ちなみに地蔵堂の前に建っている庚申石塔は「安永九庚子(1780)天 西国九月吉日」の刻印があるらしい。
(H28. 7.13 EOS40D撮影)
玄関を入ろうとしたときに気がついた軒下の木の棒。
見た瞬間にわかった旧暦閏年に立てた棒状の塔婆である。
千森に旧暦閏年の庚申さん行事があることはわかっていた。
平成27年2月15日に訪れた牛頭天王社が鎮座する地である。
社と地蔵堂の間にある祠があった。
左手に先祖供養の石塔。
右は庚申さんの石塔である。
年代等は見えなかったが、調べた人がいる。
津浦和久氏である。書き纏めた史料は『民俗社会の地域的差異について-庚申塔婆の現状とその分布』。
私も旧暦閏年に行われる地域の在り方を調べている。
大いに参考にさせてもらっている史料である。
その稿には若干であるが大字笠の庚申さんも書いてあった。
行事の名は「塔あげ」。
それだけであった記事にあった詠みは「トウアゲ」だが、Aさんは「トアゲ」と呼んでいた。
A家が残していた塔婆に願文がある。
奥の一本は下げてもらうのもご迷惑なので諦めて、手前の塔婆を拝見する。
それには梵字が五文字で「奉修 南無青面金剛天子講内安全子孫長久五穀豊穣祈祷上中組平成十八年三月二十六日」とあった。
塔婆の材は杉の木。
行事のときは葉付きで奉った。
花立てと塔婆作りは上/中組と奥組の垣内が毎回交替して担う。
塔婆はそのときのヤドがもらう。
泥棒除けになるという塔婆はA家に残されていた。
ちなみにその奥にある塔婆は11月にしたとAさんが云っていた。
ちなみに地蔵堂の前に建っている庚申石塔は「安永九庚子(1780)天 西国九月吉日」の刻印があるらしい。
(H28. 7.13 EOS40D撮影)