平成14年から始まったカメラのキタムラ奈良南店(奈良県奈良市杏町153)の写真展は今回で14回目。
今回のテーマは「食を干す」にした。
平成26年10月、奈良県立民俗博物館で開催された第4回「私がとらえた大和の民俗」においても大テーマの「食」に対してサブテーマは「干す」を挙げた。
なんや、またかいなと云われそうだが、限定3枚組の選に漏れた写真が云十枚もある。
博物館の展示以降、さまざまな地で撮った「干す」写真の中から選んだ8枚は色付きの色々。
どこかで見かけたようなありふれた写真であるが、風景的景観にみられる「暮らしの民俗」を少しでも紹介したくて選んだ。
展示期間は3月半ばまでになりそうだ。
展示にあたってはじめて裏張り加工をした。
見やすくなったと、我ながら、これまでの展示を振り返り反省している。
また、エクセルで作った解説シートを今回も用意した。
展示期間は翌月の3月25日まで、枚数にも限りがあるので、お早めに・・・。
(H28. 2.17 SB932SH撮影)
<今回の展示にあたって>
7月末に心臓手術をしたその後の状態が芳しくない。
今回はどうすべきか。
見送るべきか、そうでないか。
迷いに迷って多少元気だった前年の10月20日に伺った店長に声をかける。
今回も展示したいが、どうだろうかと打診した。
打診が遅かったのか、例年ならば正月明けから一カ月間の展示であったが、すでに埋まっていた。
これまで担当していたO店員は育ったお国に帰られた。
後任は誰なのか、聞いていなかった。
彼なら前副店長のTさんから引き継いでいたのでお願いしなくとも展示期間を空けてくれていたと思う。
例年の日程なら、11月末までにテーマを考え、それに沿った写真をどう選び、どう組み立てるかをしていた。
今回は翌年になってもまだまだ間に合うと思って放置していた。
放置していたと云っても、テーマはこれで行こうと思っていた。
それが「食を干す」だ。
前回の13回目テーマは稲作・農耕における「実成りに感謝」だった。
映像は農家が行っている農の風習ごとだが、人物が写っていない写真も展示した。
それを見た風景写真家が云った。
「人が入ってたら風景写真と違うやん」だ。
民俗写真家を名乗っている私は「民俗」が最大テーマにある。
人がいなくとも民俗写真になるような風景写真を選ぶことにした。
それが8枚組の「食を干す」だ。
ぱっと見いは風景写真。
奥底にあるのは人の暮らしや営みである。
仕掛けが風景写真家に判るだろうか。
平成26年10月、奈良県立民俗博物館で開催された第4回「私がとらえた大和の民俗」においても「食」に関する「干す」だった。
そのころに撮った写真は多くない。
3枚組にするには辛いものがあった。
発想したのは基調の色だ。
カンピョウ、ソーメン、キリボシの三枚組すべての白色。
これに尽きると思って統一色で選んだ。
博物館で写真展を見られた人たちは「色」がないと云った。
その通りである。
その声に期待を込めて・・というか、頭に描きながら8枚組の「食を干す」写真は「色」を決め手に選んだ。
特に意識した色は柿色に梅色だ。
軒下に吊るした柿や門屋の前で干していた梅干しをはじめと終わりに、と思ってレイアウトした。
はじめと終わりが決まれば半ばはどうするか。
はじめと終わりは、どちらかといえばインドアに近い。
それならば半ばはアウトドアだ。
天肥ゆる青空を背景に農村景観に広がる「干す」情景を選んだ。
選んだ写真は解説シートに配列する。
取材地やサブタイトルを決めて配置した。
これまでは取材地固有の特徴をそれぞれの項目に書いていたが、やめた。
テーマ全体を包括する文章に仕立てて配置した。
これができあがれば後はプリント依頼をするだけだ。
ただし、である。
これまで不評だった展示写真。
写真の描き方ではなく、印刷そのものである。
額はカメラのキタムラ店で用意していただいている。
その額に透明な板は張っていない。
プリントそのものが嵌っていると思っていただければ判るであろう、印画紙のヨレヨレで波打っているのである。
室内灯の加減もあるが、ヨレヨレ印画紙に波があれば、実に観難い。
ずばり、下から見るローアングルでないと反射光で写真が見えないのである。
写友人たちからは裏打ちするのが当然だろうとお叱りを受けていた。
聞く耳をもってはいるものの、頑固に断っていた。
というのも、展示した写真は被写体になっていただいた方々にさしあげることにしているので、分厚くなった裏打ち写真を貰う立場で考えたら、それではねぇ・・・と、勝手な思い込みで躊躇していたのだ。
今回の展示には人は写っていない。
差し上げることもない。
そういうことで裏打ちを決断したのである。
裏打ちマットシートの貼付け作業費用はだいたいが1枚当たり千円ぐらいのようだ。
マットシートを別途購入して貼り付けることも可能のようだが、素人の私がすれば、裏打ちマットシートを圧着する際に気泡が入ってベコベコになる可能性が高い。
場合によっては反り返ることもある。
どうしようかと店長に相談したら、私がしますとのことだ。
ありがたいお言葉に甘えるが、材料費はお支払いすることで商談?が決まった。
その日から一週間後の1月25日に電話があった。
発注した写真が出来上がったという連絡だ。
数日経った28日にでかけた奈良南店。
予め準備していた解説シートやA3用紙に引き延ばした貼り紙、掲示レイアウト図などをストックしたファイルを持ち込んだ。
4PWに引き延ばした写真はすべてがデジタル撮り。
プリント印画紙はクリスタル。
出来栄えは予想以上に気にいった。
気がかりだった裏打ちマットの厚さは薄め。
ぶ厚さは感じない。
これであれば、今後の展示写真もこうしてみたいと思った。
8枚組の内訳は月ヶ瀬桃香野の「軒下の吊るし柿」、荒蒔町の「農小屋のダイコン干し」、南藤井の「蒼空にマメ干し」、庵治町の「カンピョウ干し」、榛原内牧の「納屋干し燻製」、南藤井の「里の稲架け」、小泉町の「眩しいカキモチ」、鹿路の「干し梅」だ。
一枚、一枚を二人の女性店員さんの目の前で出来具合を見ていた。
「懐かしい」の声の続きにあれも、これもあった、あった、を連発する。
タイトルを見なくとも「吊るし柿」、「ダイコン干し」、「マメ干し」、「カンピョウ干し」、「稲架け」、「カキモチ」に「梅干し」を生活で体験してきた女性であるだけに、写真に声が弾む。
女性店員の記憶にある食を干す写真。
ダイコン干しなら漬物にしたとか、カンピョウ干しなら藁で巻いた竿は滑らないとか、どれもこれも体験者が語れる内容ばかりである。
ところが、副店長や若い男性店員はまったく知らない、始めて見るものばかりだという。
年齢差もあるが、どっちかと云えば、生まれ育ちが新町か、旧村の違いである。
町っ子はこうした情景を見ることもなく社会人になった。
私の生まれ育ちは大阪市内。
町っ子であるが、田舎は旧村だった。
その関係があったかどうかは判らないが、奈良に来て初めて知ったものもある懐かしい情景を展示する。
これらの展示は時期がくれば貼りかえる。
その件については担当を任されたMさんがいる。
出来上がり写真を見るのは初めてだという。
なかでも驚かれたのはカンピョウ干しがあった地域だ。
そこは天理市の庵治町。
自宅からすぐ近くにある処にこれがあったとは、とたいへん驚かれたのだ。
国道沿いにあるくるくる寿司店の「くら寿司」と名高いラーメン店の「天下一品」がある敷地の西側。
こんなところにこれがあったのかと驚くMさんは、どちらかと云えば若手。
あった場所もそうだが、なぜにカンピョウ干しに飛びついたか、である。
話しを伺えば出里は天理市の苣原町。
子供の頃は自宅周辺でもしていた家があったらしい。
苣原町の行事取材に度々出かけたことがあるが、そういう話しは始めて耳にしたのである。
存知している村の人の名を挙げたら、苣原話しが盛りに盛り上がる。
住まいは離れているが消防団に属している。
村で何かが起これば駆けつけるらしい。
それから2週間後に電話があった。
カメラのキタムラ店ではなく、市内番条町が出身のSさんからだった。
展示が始まったと連絡してくれた。
展示の状態を確かめたくて訪れた。
到着するなり声をかけられた。
声の主は河合町に住む元上司のKさん夫妻。
Kさんは私の背中を押して、この道に入るきっかけを作った人だ。
この日は地元でなく、たまたまの入店となった写真をともにする夫妻に巡りあい。
平成25年12月14日、神戸元町で展示された渋谷良一・南岡誠昌宏写真展以来の再会だ。
積もる話しはいろいろあるが、やはり病に伏した身体のことだ。
その場には展示を伝えてくれたSさんもいる。
三人にはできたてほやほやの解説シートを手渡した。
(H28. 2.17 SB932SH撮影)
今回のテーマは「食を干す」にした。
平成26年10月、奈良県立民俗博物館で開催された第4回「私がとらえた大和の民俗」においても大テーマの「食」に対してサブテーマは「干す」を挙げた。
なんや、またかいなと云われそうだが、限定3枚組の選に漏れた写真が云十枚もある。
博物館の展示以降、さまざまな地で撮った「干す」写真の中から選んだ8枚は色付きの色々。
どこかで見かけたようなありふれた写真であるが、風景的景観にみられる「暮らしの民俗」を少しでも紹介したくて選んだ。
展示期間は3月半ばまでになりそうだ。
展示にあたってはじめて裏張り加工をした。
見やすくなったと、我ながら、これまでの展示を振り返り反省している。
また、エクセルで作った解説シートを今回も用意した。
展示期間は翌月の3月25日まで、枚数にも限りがあるので、お早めに・・・。
(H28. 2.17 SB932SH撮影)
<今回の展示にあたって>
7月末に心臓手術をしたその後の状態が芳しくない。
今回はどうすべきか。
見送るべきか、そうでないか。
迷いに迷って多少元気だった前年の10月20日に伺った店長に声をかける。
今回も展示したいが、どうだろうかと打診した。
打診が遅かったのか、例年ならば正月明けから一カ月間の展示であったが、すでに埋まっていた。
これまで担当していたO店員は育ったお国に帰られた。
後任は誰なのか、聞いていなかった。
彼なら前副店長のTさんから引き継いでいたのでお願いしなくとも展示期間を空けてくれていたと思う。
例年の日程なら、11月末までにテーマを考え、それに沿った写真をどう選び、どう組み立てるかをしていた。
今回は翌年になってもまだまだ間に合うと思って放置していた。
放置していたと云っても、テーマはこれで行こうと思っていた。
それが「食を干す」だ。
前回の13回目テーマは稲作・農耕における「実成りに感謝」だった。
映像は農家が行っている農の風習ごとだが、人物が写っていない写真も展示した。
それを見た風景写真家が云った。
「人が入ってたら風景写真と違うやん」だ。
民俗写真家を名乗っている私は「民俗」が最大テーマにある。
人がいなくとも民俗写真になるような風景写真を選ぶことにした。
それが8枚組の「食を干す」だ。
ぱっと見いは風景写真。
奥底にあるのは人の暮らしや営みである。
仕掛けが風景写真家に判るだろうか。
平成26年10月、奈良県立民俗博物館で開催された第4回「私がとらえた大和の民俗」においても「食」に関する「干す」だった。
そのころに撮った写真は多くない。
3枚組にするには辛いものがあった。
発想したのは基調の色だ。
カンピョウ、ソーメン、キリボシの三枚組すべての白色。
これに尽きると思って統一色で選んだ。
博物館で写真展を見られた人たちは「色」がないと云った。
その通りである。
その声に期待を込めて・・というか、頭に描きながら8枚組の「食を干す」写真は「色」を決め手に選んだ。
特に意識した色は柿色に梅色だ。
軒下に吊るした柿や門屋の前で干していた梅干しをはじめと終わりに、と思ってレイアウトした。
はじめと終わりが決まれば半ばはどうするか。
はじめと終わりは、どちらかといえばインドアに近い。
それならば半ばはアウトドアだ。
天肥ゆる青空を背景に農村景観に広がる「干す」情景を選んだ。
選んだ写真は解説シートに配列する。
取材地やサブタイトルを決めて配置した。
これまでは取材地固有の特徴をそれぞれの項目に書いていたが、やめた。
テーマ全体を包括する文章に仕立てて配置した。
これができあがれば後はプリント依頼をするだけだ。
ただし、である。
これまで不評だった展示写真。
写真の描き方ではなく、印刷そのものである。
額はカメラのキタムラ店で用意していただいている。
その額に透明な板は張っていない。
プリントそのものが嵌っていると思っていただければ判るであろう、印画紙のヨレヨレで波打っているのである。
室内灯の加減もあるが、ヨレヨレ印画紙に波があれば、実に観難い。
ずばり、下から見るローアングルでないと反射光で写真が見えないのである。
写友人たちからは裏打ちするのが当然だろうとお叱りを受けていた。
聞く耳をもってはいるものの、頑固に断っていた。
というのも、展示した写真は被写体になっていただいた方々にさしあげることにしているので、分厚くなった裏打ち写真を貰う立場で考えたら、それではねぇ・・・と、勝手な思い込みで躊躇していたのだ。
今回の展示には人は写っていない。
差し上げることもない。
そういうことで裏打ちを決断したのである。
裏打ちマットシートの貼付け作業費用はだいたいが1枚当たり千円ぐらいのようだ。
マットシートを別途購入して貼り付けることも可能のようだが、素人の私がすれば、裏打ちマットシートを圧着する際に気泡が入ってベコベコになる可能性が高い。
場合によっては反り返ることもある。
どうしようかと店長に相談したら、私がしますとのことだ。
ありがたいお言葉に甘えるが、材料費はお支払いすることで商談?が決まった。
その日から一週間後の1月25日に電話があった。
発注した写真が出来上がったという連絡だ。
数日経った28日にでかけた奈良南店。
予め準備していた解説シートやA3用紙に引き延ばした貼り紙、掲示レイアウト図などをストックしたファイルを持ち込んだ。
4PWに引き延ばした写真はすべてがデジタル撮り。
プリント印画紙はクリスタル。
出来栄えは予想以上に気にいった。
気がかりだった裏打ちマットの厚さは薄め。
ぶ厚さは感じない。
これであれば、今後の展示写真もこうしてみたいと思った。
8枚組の内訳は月ヶ瀬桃香野の「軒下の吊るし柿」、荒蒔町の「農小屋のダイコン干し」、南藤井の「蒼空にマメ干し」、庵治町の「カンピョウ干し」、榛原内牧の「納屋干し燻製」、南藤井の「里の稲架け」、小泉町の「眩しいカキモチ」、鹿路の「干し梅」だ。
一枚、一枚を二人の女性店員さんの目の前で出来具合を見ていた。
「懐かしい」の声の続きにあれも、これもあった、あった、を連発する。
タイトルを見なくとも「吊るし柿」、「ダイコン干し」、「マメ干し」、「カンピョウ干し」、「稲架け」、「カキモチ」に「梅干し」を生活で体験してきた女性であるだけに、写真に声が弾む。
女性店員の記憶にある食を干す写真。
ダイコン干しなら漬物にしたとか、カンピョウ干しなら藁で巻いた竿は滑らないとか、どれもこれも体験者が語れる内容ばかりである。
ところが、副店長や若い男性店員はまったく知らない、始めて見るものばかりだという。
年齢差もあるが、どっちかと云えば、生まれ育ちが新町か、旧村の違いである。
町っ子はこうした情景を見ることもなく社会人になった。
私の生まれ育ちは大阪市内。
町っ子であるが、田舎は旧村だった。
その関係があったかどうかは判らないが、奈良に来て初めて知ったものもある懐かしい情景を展示する。
これらの展示は時期がくれば貼りかえる。
その件については担当を任されたMさんがいる。
出来上がり写真を見るのは初めてだという。
なかでも驚かれたのはカンピョウ干しがあった地域だ。
そこは天理市の庵治町。
自宅からすぐ近くにある処にこれがあったとは、とたいへん驚かれたのだ。
国道沿いにあるくるくる寿司店の「くら寿司」と名高いラーメン店の「天下一品」がある敷地の西側。
こんなところにこれがあったのかと驚くMさんは、どちらかと云えば若手。
あった場所もそうだが、なぜにカンピョウ干しに飛びついたか、である。
話しを伺えば出里は天理市の苣原町。
子供の頃は自宅周辺でもしていた家があったらしい。
苣原町の行事取材に度々出かけたことがあるが、そういう話しは始めて耳にしたのである。
存知している村の人の名を挙げたら、苣原話しが盛りに盛り上がる。
住まいは離れているが消防団に属している。
村で何かが起これば駆けつけるらしい。
それから2週間後に電話があった。
カメラのキタムラ店ではなく、市内番条町が出身のSさんからだった。
展示が始まったと連絡してくれた。
展示の状態を確かめたくて訪れた。
到着するなり声をかけられた。
声の主は河合町に住む元上司のKさん夫妻。
Kさんは私の背中を押して、この道に入るきっかけを作った人だ。
この日は地元でなく、たまたまの入店となった写真をともにする夫妻に巡りあい。
平成25年12月14日、神戸元町で展示された渋谷良一・南岡誠昌宏写真展以来の再会だ。
積もる話しはいろいろあるが、やはり病に伏した身体のことだ。
その場には展示を伝えてくれたSさんもいる。
三人にはできたてほやほやの解説シートを手渡した。
(H28. 2.17 SB932SH撮影)