写真展の案内状が届いた。
写真展は「第20回入江泰吉と水門会写真展」だ。
併催に一門の秀作展もある。
差出人の名前は記載されていないが5月3日の10時より会場にいるとある。
写真家集団「水門会」は昭和40年ころから写真家・入江泰吉さんの自宅で集っていた弟子・友人・親戚など。
いつしか地名にちなんだ会名で呼ぶようになった。
展示作品に入江泰吉氏、井上博道氏の名もある。
「私がとらえた大和の民俗」写真展の仲間でもある松井良浩氏もあれば、同じくFB知人でもある藤井博信氏の名もある。
お話はしたことはないが、矢野建彦氏や森本康則氏、椿本久美夫氏の名もあるが・・。
どなたか送ってくださったのか、である。
案内状に一門・秀作展入賞者名にただ一人、知り合いの名があった。
Mさんだ。
もしかとすればご仁ではないだろうかと思って出かけた写真展は奈良イトーヨーカドー5階にある奈良市美術館。
なんと、受付におられたのは著名な矢野建彦氏・森本康則氏。
思わず自己紹介をさせてもらって名刺交換した。
早速、展示作品を拝見する。
入口付近におられた、これまたFB知人のJNP奈良第2支部・支部長の吉崎喜寿さんだ。
昨今はFBで撮影地や状況などの情報交換をさせてもらっている。
昨日も来ていたという吉崎さんはこの日も。
支部の写真展の申し込みに来られたそうだ。
吉崎さんと別れて展示作品を拝見していたらお声がかかった。
声の主は先月に行われたJNP和歌山第二支部の写真展でお会いしたJNP奈良第1支部のTさんだ。
写真展も通い合うJNP繋がりは奈良に戻って再開した。
なかなか先へ進まない展示会。
入江泰吉氏、井上博道氏の特別出展辺りで20分間も経過する。
そこからは水門会の人たちの作品となる。
高畠節二氏は「日本アルプスの聖地-槍穂高」をテーマに6枚組。
さまざまな彩色でとらえた崇高の山を紹介する。
一枚、一枚がテーマ色で6枚を開設するCOLORの世界。
一門の人たちと思われる女性閲覧者とともに感動していた。
それを見て高畠節二氏がとらえたときの状況を説明してくださる。
ざっくばらん語り口で場を和ませる。
向こう側に飾ってあった「極楽寺跡」の毛筆書体で紹介するしだれ桜。
場は書いていないがすぐに判る室生小原の景観だ。
「四季折々」をテーマに紹介する矢野建彦氏の作品だ。
12年前に発見したと話す。
それは平成13年に東方出版より発刊された共著の『奈良大和路桜百選』に紹介されたと思うが、それであれば年代が逆転する。
記憶は曖昧だ。
小原のしだれ桜は平成18年4月に撮らせてもらった。
前年の平成17年6月はこの場で鉦を叩いて数珠繰りを始めに虫送り行事を取材したことがある。
そういう場であるということも閲覧者の女性に話してしまう民俗サガがついつい出てしまう。
ちなみにサブテーマに書かれた毛筆書体はパソコン文字ではなく奥さんが書いたという。
素晴らしいコンビネーションに憧れを感じる。
場を移動して椿本久美夫氏の作品を拝見する。
テーマ「上鴨川住吉神社神事舞」だ。
奈良県では見たこともない神事の在り方に興味をもつ。
上鴨川住吉神社は兵庫県加東市上鴨川が所在地。
座の儀式に配膳されるアゼマメ。
秋のマツリを象徴する食べ物だ。
県内行事に茹でたアゼマメを喰する地域が数か所あることを思い出した。
鼻高面を被るリョンサンの舞やビンササラを持って舞う田楽もある。
ヒラヒラの帽子を被った男たちが舞い踊る姿は県内事例には見られない姿だ。
春日若宮おん祭に出仕される田楽座の高足(こうそく)を思い起こす「高足」もあった。
写真を隣で見ていた女性にそれらの特徴を思わず解説してしまうのだ。
その場にやってきた男性。
この年の3月に仕事を退職されたMさんだ。
その月もおふくろと会っていたという。
その話は89歳になったおふくろからも聞いている。
おふくろ繋がりは写真繋がりでもある。
初めてお会いしたのは平成14年11月23日。
高取町のたかとり祭りであった。
写真撮りでもあったがその日はおふくろも連れていた。
高取でばったり会った会社の仕事仲間におふくろもびっくりしていた。
作品作りにどっぷり浸かるようになったMさんは昨年4月8日の新薬師寺のおたいまつでもお会いした。
仕事仲間は写真仲間。
いずれもおふくろが現役だったころにお世話になったと話す。
松井良浩氏のテーマは「修験」。
昨年の7月10日に拝見した「熊野古道・奥駆の祈り」から6点を展示していた。
藤井博信氏は「かたち」がテーマだ。
存知しているお二人の作品をMさんとともに拝見する。
私なりの解説を入れて一枚、一枚。話し込めば話し込むほど時間がかかる写真展の枚数は多すぎる。
気になったらついつい喋ってしまうこれもまたサガであるが、ブログでは省かせていただく。
ぐるりと回遊して一門の秀作展。
写真家集団の水門会の作品とは明らかな差がある。
プロはプロなりに切磋琢磨。
実力は大きな差が見受けられるのだ。
申し訳ないがMさんの作品もこうすればもっと良くなると話してしまった。
11時半の受付を経て2時間も経っていた。
お腹が減っていたのを察知されたMさん。
5階にある飲食街へと一旦は会場を出る。
ギリギリセーフの写真解説時刻。
並べた長椅子に何人かが座っていた。
画像を映し出す機械も持ち込んで解説される森本康則氏。
掲げたテーマを語りながら撮ったときの状況を説明される。
横で勝手支援をする高畠節二氏の語り口でどっと笑いの渦が・・・。
会場の雰囲気作りは見習いたいものだ。
30分解説されて次へ移る。
今度は「佐渡」をテーマに10枚組写真を展示していた近藤芳嗣氏だ。
開口一番に「豆腐屋の・・」ですぐに判った近藤豆腐店。
昭和25年創業の近藤豆腐店の看板をつけた搬送車は度々遭遇するどころか、大型スーパーで販売する商品も・・。
口コミで美味しさを広げる豆腐味は未だ味わったことがない。
評判は聞いているが、我が家の価格帯に合致しないので購入したことがない。
一度味わったら毎度買うようになってしまうと思えてならないので、未だに・・・、である。
さて、「佐渡」をテーマにした組写真は佐渡の風土をとらえたと話す近藤芳嗣氏。
私にとって興味をもつのは伝統的な民俗行事だ。
いくつかはMさんにも話ができるような行事であるがさっぱり判らない一枚の写真があった。
佐渡金山と思われる洞窟内部での祭りごとを紹介する一枚。
人物は動きがあるように見えるが静止状態。
眼を描いた仮面を装着した人物。
どこかで見たような図柄だ。
福岡県博多を代表する仁和加面を思い起こす仮面の人物に表情はあるようで動きがない。
Mさんは本物の人間だと思われたが、私はそうではないように見えた。
解説を終えた近藤さんに尋ねたのは言うまでもない。
やはり人形だったのだ。
解説場近くにおられた写真家・藤井博信氏。
「かたち」をテーマにした6枚組。
一枚目は菊のご紋。
思わず枚数を数えてしまう16枚のご紋。
鎌倉時代、後鳥羽上皇が好んだ菊を自ら愛用したご紋は、その後の後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇も自らの印として継承され慣例化。
十六八重表菊は皇室の紋として定着したそうだ。
いくつかの寺社で見られる16枚のご紋は八重でなく十六一重表菊。
遠目では違いが判り難い。
それはともかく知りたかったのは當麻寺護念院の中将姫蓮華座像。
聖衆来迎練り供養会式において拝見させてもらったが、それはお練りときのこと。
安置されている座像は見たことがなかった。
おおきく見える御仏。
ありがたい「かたち」を拝見して思わず手を合わす。
藤井博信氏とともに拝見した他の写真家作作品群に見惚れていたら滞在時間が4時間半。
出会いも数々、見ごたえある写真展であった。
(H27. 5. 3 SB932SH撮影)
写真展は「第20回入江泰吉と水門会写真展」だ。
併催に一門の秀作展もある。
差出人の名前は記載されていないが5月3日の10時より会場にいるとある。
写真家集団「水門会」は昭和40年ころから写真家・入江泰吉さんの自宅で集っていた弟子・友人・親戚など。
いつしか地名にちなんだ会名で呼ぶようになった。
展示作品に入江泰吉氏、井上博道氏の名もある。
「私がとらえた大和の民俗」写真展の仲間でもある松井良浩氏もあれば、同じくFB知人でもある藤井博信氏の名もある。
お話はしたことはないが、矢野建彦氏や森本康則氏、椿本久美夫氏の名もあるが・・。
どなたか送ってくださったのか、である。
案内状に一門・秀作展入賞者名にただ一人、知り合いの名があった。
Mさんだ。
もしかとすればご仁ではないだろうかと思って出かけた写真展は奈良イトーヨーカドー5階にある奈良市美術館。
なんと、受付におられたのは著名な矢野建彦氏・森本康則氏。
思わず自己紹介をさせてもらって名刺交換した。
早速、展示作品を拝見する。
入口付近におられた、これまたFB知人のJNP奈良第2支部・支部長の吉崎喜寿さんだ。
昨今はFBで撮影地や状況などの情報交換をさせてもらっている。
昨日も来ていたという吉崎さんはこの日も。
支部の写真展の申し込みに来られたそうだ。
吉崎さんと別れて展示作品を拝見していたらお声がかかった。
声の主は先月に行われたJNP和歌山第二支部の写真展でお会いしたJNP奈良第1支部のTさんだ。
写真展も通い合うJNP繋がりは奈良に戻って再開した。
なかなか先へ進まない展示会。
入江泰吉氏、井上博道氏の特別出展辺りで20分間も経過する。
そこからは水門会の人たちの作品となる。
高畠節二氏は「日本アルプスの聖地-槍穂高」をテーマに6枚組。
さまざまな彩色でとらえた崇高の山を紹介する。
一枚、一枚がテーマ色で6枚を開設するCOLORの世界。
一門の人たちと思われる女性閲覧者とともに感動していた。
それを見て高畠節二氏がとらえたときの状況を説明してくださる。
ざっくばらん語り口で場を和ませる。
向こう側に飾ってあった「極楽寺跡」の毛筆書体で紹介するしだれ桜。
場は書いていないがすぐに判る室生小原の景観だ。
「四季折々」をテーマに紹介する矢野建彦氏の作品だ。
12年前に発見したと話す。
それは平成13年に東方出版より発刊された共著の『奈良大和路桜百選』に紹介されたと思うが、それであれば年代が逆転する。
記憶は曖昧だ。
小原のしだれ桜は平成18年4月に撮らせてもらった。
前年の平成17年6月はこの場で鉦を叩いて数珠繰りを始めに虫送り行事を取材したことがある。
そういう場であるということも閲覧者の女性に話してしまう民俗サガがついつい出てしまう。
ちなみにサブテーマに書かれた毛筆書体はパソコン文字ではなく奥さんが書いたという。
素晴らしいコンビネーションに憧れを感じる。
場を移動して椿本久美夫氏の作品を拝見する。
テーマ「上鴨川住吉神社神事舞」だ。
奈良県では見たこともない神事の在り方に興味をもつ。
上鴨川住吉神社は兵庫県加東市上鴨川が所在地。
座の儀式に配膳されるアゼマメ。
秋のマツリを象徴する食べ物だ。
県内行事に茹でたアゼマメを喰する地域が数か所あることを思い出した。
鼻高面を被るリョンサンの舞やビンササラを持って舞う田楽もある。
ヒラヒラの帽子を被った男たちが舞い踊る姿は県内事例には見られない姿だ。
春日若宮おん祭に出仕される田楽座の高足(こうそく)を思い起こす「高足」もあった。
写真を隣で見ていた女性にそれらの特徴を思わず解説してしまうのだ。
その場にやってきた男性。
この年の3月に仕事を退職されたMさんだ。
その月もおふくろと会っていたという。
その話は89歳になったおふくろからも聞いている。
おふくろ繋がりは写真繋がりでもある。
初めてお会いしたのは平成14年11月23日。
高取町のたかとり祭りであった。
写真撮りでもあったがその日はおふくろも連れていた。
高取でばったり会った会社の仕事仲間におふくろもびっくりしていた。
作品作りにどっぷり浸かるようになったMさんは昨年4月8日の新薬師寺のおたいまつでもお会いした。
仕事仲間は写真仲間。
いずれもおふくろが現役だったころにお世話になったと話す。
松井良浩氏のテーマは「修験」。
昨年の7月10日に拝見した「熊野古道・奥駆の祈り」から6点を展示していた。
藤井博信氏は「かたち」がテーマだ。
存知しているお二人の作品をMさんとともに拝見する。
私なりの解説を入れて一枚、一枚。話し込めば話し込むほど時間がかかる写真展の枚数は多すぎる。
気になったらついつい喋ってしまうこれもまたサガであるが、ブログでは省かせていただく。
ぐるりと回遊して一門の秀作展。
写真家集団の水門会の作品とは明らかな差がある。
プロはプロなりに切磋琢磨。
実力は大きな差が見受けられるのだ。
申し訳ないがMさんの作品もこうすればもっと良くなると話してしまった。
11時半の受付を経て2時間も経っていた。
お腹が減っていたのを察知されたMさん。
5階にある飲食街へと一旦は会場を出る。
ギリギリセーフの写真解説時刻。
並べた長椅子に何人かが座っていた。
画像を映し出す機械も持ち込んで解説される森本康則氏。
掲げたテーマを語りながら撮ったときの状況を説明される。
横で勝手支援をする高畠節二氏の語り口でどっと笑いの渦が・・・。
会場の雰囲気作りは見習いたいものだ。
30分解説されて次へ移る。
今度は「佐渡」をテーマに10枚組写真を展示していた近藤芳嗣氏だ。
開口一番に「豆腐屋の・・」ですぐに判った近藤豆腐店。
昭和25年創業の近藤豆腐店の看板をつけた搬送車は度々遭遇するどころか、大型スーパーで販売する商品も・・。
口コミで美味しさを広げる豆腐味は未だ味わったことがない。
評判は聞いているが、我が家の価格帯に合致しないので購入したことがない。
一度味わったら毎度買うようになってしまうと思えてならないので、未だに・・・、である。
さて、「佐渡」をテーマにした組写真は佐渡の風土をとらえたと話す近藤芳嗣氏。
私にとって興味をもつのは伝統的な民俗行事だ。
いくつかはMさんにも話ができるような行事であるがさっぱり判らない一枚の写真があった。
佐渡金山と思われる洞窟内部での祭りごとを紹介する一枚。
人物は動きがあるように見えるが静止状態。
眼を描いた仮面を装着した人物。
どこかで見たような図柄だ。
福岡県博多を代表する仁和加面を思い起こす仮面の人物に表情はあるようで動きがない。
Mさんは本物の人間だと思われたが、私はそうではないように見えた。
解説を終えた近藤さんに尋ねたのは言うまでもない。
やはり人形だったのだ。
解説場近くにおられた写真家・藤井博信氏。
「かたち」をテーマにした6枚組。
一枚目は菊のご紋。
思わず枚数を数えてしまう16枚のご紋。
鎌倉時代、後鳥羽上皇が好んだ菊を自ら愛用したご紋は、その後の後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇も自らの印として継承され慣例化。
十六八重表菊は皇室の紋として定着したそうだ。
いくつかの寺社で見られる16枚のご紋は八重でなく十六一重表菊。
遠目では違いが判り難い。
それはともかく知りたかったのは當麻寺護念院の中将姫蓮華座像。
聖衆来迎練り供養会式において拝見させてもらったが、それはお練りときのこと。
安置されている座像は見たことがなかった。
おおきく見える御仏。
ありがたい「かたち」を拝見して思わず手を合わす。
藤井博信氏とともに拝見した他の写真家作作品群に見惚れていたら滞在時間が4時間半。
出会いも数々、見ごたえある写真展であった。
(H27. 5. 3 SB932SH撮影)