マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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松尾の奉納ジンパイ

2011年11月25日 08時19分00秒 | 山添村へ
前日の宵宮と同様に出発前に稽古をする。

同じ作法をするのだが座る位置が異なる。

横一列になって並ぶ要人たち。

当家、ヒワヒワ、ガシャガシャ、笛、太鼓、鼓の順である。

この順は、お渡りやジンパイとも替ることなく体制は崩さない。

出発前の練習とされる稽古はジンパイとは呼ばない。

「神さんの前でするからジンパイ(神拝)なのだ」という指導役の長老は3年前に勤められた。

それは「人身御供からきた神事芸能だ」と話す。

その話によれば、かつて「若い娘さんを殺してしまった それが弓と矢になった それゆえにヒワヒワと呼ぶ弓は祭りのすべてを終えて最後に捨てる」のだという。

まずは宵宮と同じく遠瀛(おおつ)神社でジンパイ。



カヤの木の石、松尾の水神さん、辻のカヤの木に峰寺の水神さんへの巡拝だが、当家が持つ大御幣は上げたり下さげたりする。

この日の雨は大粒となったが作法は変らない。

傘を持って行われるジンパイであった。



そして六所神社に到着した一行。

宵宮と違って先頭を歩くのはモチを入れた八寸の重箱をオーコで担ぐ御供担ぎ。

当家の親戚筋だ。



一同は呼吸も揃ってお渡りをしていく要人たちはすぐさま本殿には向かわない。

石段も昇らずに長屋へと向かうが、御供担ぎは石段を登っていき神さんに供える。



要人たちのジンパイを一目見ようと集まった村人たち。

当家から用意されたお菓子にモチやミカンが配られる。

手にした人たちの笑顔が優しい。

配るのは峯寺の組頭。

「祭りの下支えや」と言って配っていく。



要人たちは長屋に登って「みなさまご苦労さんです これよりジンパイ(神拝)をさせていただきます」と挨拶の向上を述べる。

宵宮と同様に村方氏子衆の歓迎を受けて宵宮と同じ5品盛りの肴とお酒の場となった。

それを終えて村方氏子衆にジンパイを披露される。

集まっていた村人たちにもジンパイが披露されたあとは峯寺の神さんに奉納される。

鳥居から潜っていくには長屋から下なければならない。

奉納する前には村人へ。

それが終われば神さんへとなるわけだ。

石段を登ってきた一行は本殿左側に入る。

そこには小さな石がある。

それを中心に時計回りでぐるぐる回る要人たち。



大御幣は上下に振りながら三べん回ってジンパイをする。

それを終えて拝殿に上がる。

宵宮ではそこでジンパイをされたが本祭ではせずにさらに神殿へと進む。

神殿と拝殿の間の玉砂利に菰を敷いた場で横一列になって参拝をする。

ゆっくりと6回されるジンパイ。



それを終えて当家は振られた大御幣は神殿に納められた。

奉納を終えた要人たちは再び長屋に移った。

そこで始まったのは宵宮で見られなかったヒワヒワ、ガシャガシャ、鼓の三役のジンパイ披露である。

神さんに奉納されたあとは村方氏子衆にもそれがなされたのだ。



三役が広げた扇を手にして煽ぐのは「埃を払って扇で清める 次は寄せるように扇で煽ぐ」と話す松尾の長老。

そのような所作であった三役が勤めるジンパイ。

宵宮では神さんの前で、本祭は村役に対してであった。

長屋を降りてもう一度ジンパイがされた。

村人への披露である。

こうしてすべてのジンパイの奉納神事を終えると弓持ちは鳥居下の付近に立つ。

そしてヒワヒワと呼ばれた弓を曲げて放つ。

射るように曲げた弓は前方の山に向かって放たれたのである。



以前に拝見した峰寺のジンパイではそれを伺うことを知らなかった。

それも宵宮であっただけに本祭は拝見していない。

的野は未だ拝見していない。

三カ大字でされている祭りの形式が異なるのか、確かめるには2年続けて拝見しなければならない。

(H23.10.15 EOS40D撮影)


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