マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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東包永宵宮赤童子祭り

2015年01月24日 12時03分50秒 | 奈良市へ
昨年に訪れたときには神事を終えていた時間後だった。

この年も訪れた奈良市東包永(ひがしかねなが)町は「ならまちきた」の一角にある。

かつては7月14日・15日に行われていたが、今では集まりやすい第二土曜・日曜に移った町内会の祭りである。

7月6日に通りがかった東包永町。

町内には子供たちが描いた「赤童子祭り」を貼りだして案内していた。

町自治会調べによれば、明治十二年(1879)に大和一円で流行ったコレラ病いが発端。

明治三十五年(1902年)に再び発生したコレラ病いで死者が12名にもおよんだと伝える。

それから数年後の明治41年(1908)には天然痘、ペストも発生したそうだ。

その後も流行り病いは止まらず、大正五年、九年にも発生した。

東包永町においても患者が発症したコレラ病。

悪病を祓い断ち切るために守り神である赤童子を祀って夏祭りをしたと云う。



会所に掲げたお軸は2幅。

右が中央に天照皇太神を配して左右に春日大明神・八幡大菩薩の文字軸は三社託宣だ。

左が祭りの主役の町内守護神の赤童子像。

昨年に訪れた際に自治会長らとともに拝見した赤童子軸を納めた箱には「明治弐年(1869)十月」の墨書があった。

流行り病いのコレラ病発症よりも10年前である。

かつては総代家で、7月4日、5日に赤童子を祀ってお祭りをしていたが、昭和10年頃には14日、15日に替えて祀る場を会所に移したそうだ。

赤童子祭りのお供えは赤く染めた餅だ。

翌日の本祭りが終わってから地区85軒に配る赤餅である。

洗い米、塩にアズキを盛った神饌も供えた場に幕を張っている。

下がり藤のご紋がある幕は昭和8年吉日吉祥とある。

一方、会所に張った紅白の幕は昭和38年5月に新調したもの。

東包永町永友会の文字がある。

永友会は町の青年団。現在は休眠中だと云う。



宵宮神事は赤童子・三社託宣に関係する春日大社の神職によって行われる。

祓えの儀、祝詞奏上に一同揃って唱える「神拝詞」のなかの大祓詞。

正式には中臣の祓えであると云う。

参詣者の顔が写るように「ここから撮ってや」と云われて立ち位置を移動する。



ついでにとお願いされた記録の撮影。

神職からは春日大社の記録を残したく、持参されたデジカメを渡されての撮影を手伝った。

玉串奉奠で終えた自治会役員はローソク立て、行燈などを会所に整える。

この日の夕方は子供が大勢やってくる町内の夏祭り。

昨年同様にガラガラ抽選引き、金魚すくい、みたらしだんごなど手作りの夜店で賑わう。

(H26. 7.12 EOS40D撮影)