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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

嬉しいリハビリ姿を見る

2019年01月22日 08時39分24秒 | むびょうそくさい(おかん編)
20日も21日の午後も、そして22日の朝食も目眩を発症したが、嘔吐はなかったと話すおふくろ。

調子はよろしく体調も良い。

翌日の23日は定例の月曜風呂。

介護してくださる二人がベッドごと運んで病室にやってきた。

そのときの姿がぐったり。

目も開けられない症状だったから心配した。

目を開けずに伝えた言葉はか細い声で「喉はカラカラ」だった。

専用のストロー付きボトルを手渡せば口元にストローを・・であるが、お茶を吸い込む力が足らずに液体のお茶が口に入らない。

カラカラ状態は解決しないと思って病室に用意していたのど飴を口に入れてやる。

舌でころころ動かして唾液が出だす。

そのうちに潤った口の中。

大きな声で伝えられるようになった。

一時は心配したが、喉の潤いを取り戻せば元気な姿に戻ってくる。

開いた口から出た入浴時の様子に目眩。

少しはあったようだが、嘔吐まではいかない。

気分的なこともあるのだろうか。

その証拠に23日の昼食はガッチリマンデー。

ではなく、何事もなかったかのような顔で、がっちり完食した。

嬉しい姿はいつ何時・・・というような心配は常に抱えているが、希望をもった。

病室からの携帯電話もない、というのはえーことであるが、顔を見るまでは安心できない。

そう思って、翌日の24日は神戸から見舞いにやってくる実弟夫婦と落ち合う。

先について病室で見たおふくろの顔はハリがある。

声もすこぶる元気な状況に、気持ちが晴れやかになる。

この日の昼食も完食して、起き上がり体勢で到着を待っていた。

昨日の晩からぐっすり眠って気がついたら朝の7時。

看護士さんに起こされて気がつく始末。

眠りから覚めて、ぱっと目が開く。

そのままの調子で昼間の完食が嬉しかったが、なんでそんなに寝ることができたと聞けば、要望はしていないが、睡眠薬を服用したという。

研修生のOさんが云うには、寝付は悪く、ちょっとの目眩の訴えに、少しの睡眠時間しかとれていないことがわかって飲ませることにしたという。

功を奏してぐっすり身体を休めたおふくろも気分は上々、である。

道理、である。

二泊三日で自宅に戻っていた長安寺町に住むNさんは小さく切った富有柿に丸々1個の富有柿をくれはったという。

切った富有柿は早速よばれた。

とても美味しかったと喜んでいた。

本日、我が家も昨日に買った豊水梨をもってきたが、N家で栽培された富有柿に軍配だ。

今日の目的は2通の委任状である。

おふくろが私に託する委任の仕事は住民票がある大阪・住之江区役所に受け取る再交付個人情報通知カードの受け取り。

もう1通は限度額適用認定証交付申請に受け取るおふくろの認定書である。

予め作っておいた自筆欄に氏名を書いてもらうが、両手が震えて文字には見えない名前が書かれる。

何度か練習もしたが、「田」の字が流れて「甲」になる。

「中」は「由」でもないような文字になる。

そんな自筆サインに受け付ける人は、再度来てくださいというだろう。

名前が書けなきゃどうするのだ。こういう親をもつ子どもは多いと思うが、代筆するしかない。

そう、思うのである。

この記事を読まれたかたは頷かれるのか、それとも何やってんだ、というのか・・・。

そんな明日の所用のことをしていたときに、病室にひょっこりと顔を見せた実弟夫婦とは2週間ぶりのご対面。

以前は寝たきりだったが、この日は起き上がっている状況にびっくり。

本格的なリハビリはまだまだ。

ベッドから離れる訓練はこれまでたったの1回。

その後に発症した目眩に嘔吐でずっと来てきたが、ようやく第一歩を踏み始めたばかり、である。

神戸から直行で近鉄電車に乗ってやってきた近鉄奈良駅。

下りておふくろ見舞いに食べさせてあげたい果物三つに搗きたてのヨモギ餅をもってきてくれた。

なんでも奈良の駅に立つのは初めて。

駅から下りて南に向かう東向き商店街を抜けたら、三条通り。超有名な、テレビで何度も紹介される高速餅搗きの中谷堂。

土産に搗きたてのヨモギ餅をもってきてくれた。

さらに南下して果物店で上等の梨、柿、林檎はおふくろが食べたがっている果物がありがたい。

話していた時間帯。

突然に痛い、を云いだすおふくろ。

背中のコルセットの位置にズレがある。

肩の部分が大きく開いている。

座っている間に身体がずるずると沈んでガードする箇所がズレた。

その加減で骨折した辺りが神経を逆なで、する。

コルセットの位置を若干動かす。

タオルやクッションの位置も調整する。

なんとか痛みは解消されたが、きちんとした方が良いだろう。

予定していた時間になかなかやってこないKリハビリ理学療法士。

このままではいつ来られるのか・・諦めて見舞いの二人を見送って戻った病室に・・いた。

午後3時半に始まった離床リハビリ。

ベッドからスリスリと腰を動かす。

お尻を持ち上げてはスリスリ動く。

右手はベッドの手すりが支え。

力を入れて腰を動かす。

両足はベッドの外。

もう少し、動かしての声に応えて足を投げ出すところまでできた。

ここまでできたらリハビリ理学療法士。

持ちこんでいる新品の軽装靴を履かせてもらう。

こればっかりはまだ自由のきかない身体状態。

脱ぐのはラクにいけるが履くのが難しい。

新品だけに余裕の伸びがないこともあるが・・。

ここまできたら次は自力で立ち上がることができるか、だ。

右手はベッドの手すり。

左手は車椅子の袖。

そこに両手を置いて支えに力を頼って・・・立った。

もちろん、その間はリハビリ理学療法士がおふくろの身体を抱える支援もあってのことだ。

足を少しずつ回転させて後向きになった。

そこで、ゆっくり、そっと、腰を下ろしたら、座れた。

背中の痛みはまったくない。

しんどいこともない、というおふくろは車椅子に乗ることができた。

そこで計る血圧測定。

特に異状は認められない数値である。

ベッドからの離床はなんなくできたのが嬉しい。

車椅子に乗ってからの行先は4階の理学療法室。

さまざまなリハビリ道具が揃っているその部屋でリハビリ運動をする。

10月17日以来の2回目のリハビリ道具は手摺り平行棒。

前回はどういう具合でされたのか存知しないが、説明は聞いている。

この日のリハビリ運動に立ち会ってもらっていいですよと承諾されたので後をついていく。

初めて拝見する4階の理学療法室は広い。

しかも、外の景観が見える気持ちの良い部屋である。

手摺り平行棒の角に近づける車椅子。

一段、二段も下げた平行棒の位置調整。

患者さんの身長に合わせて調整する。

座っていた車椅子から立ち上がったおふくろ。

エイっていうかけ声もなくすっと立った。

両手で平行棒を手すり代わりに身体を支える。

立ちあがれば直ちに血圧を測定する。

測り終われば、そろりと腰を下ろしながら車椅子に座る。

そこでも血圧測定。

測定値はいずれも平穏で、120以下の値に安心する。

これが100以下に下落するとなれば、即刻取りやめになる。

120前後であるなら平穏な状態なのだ。

そしてもう一度、手すりに両手を支えて立ち上がる。

手すりに支えながら、足踏みをする。

背中はピンと伸ばして真っすぐな姿勢で立つ。

そして足踏みをする。

右足の力が弱いと診断された。

足の力の状態がわかれば、車椅子に座って、またもや血圧を測る。

一動作ごとに測定されて本日はこれまで。

病室に戻ったのは午後4時。

往復車椅子の移動も含めてリハビリ運動は一挙にレベルを上げない。

少しずつ、足の動きを診て筋肉の具合を確かめるのである。

足の踏み込みが弱いのは、お尻の筋肉落ち。

今後のリハビリ運動は筋肉力を高めることになる。

ベッドに戻ってきたら車椅子から身体を自力で動かして移す。

ベッドの手すりに右手を添えて支える。

その次はお尻をベッドにのせる。

その次は、右ひじをベッドにあてながら、身体を落としていく。

そして、横になる。

つまりは右手で身体を支えるのではなく、肘で支えるのである。

手で支えた場合に起こりやすい状況は、手の骨折、或いは負荷がかかって腕が折れることもある。

それを避けるために身体を支える第一の法則は肘当てである。

身体を左右に動かして装着しているコルセットの位置を調整する。

大きな調整はリハビリ担当のK理学療法士にしてもらう。

がっちり力強く、支えた身体をあげてコルセットを下げる。

パジャマの生地をもって下げる。

コルセットをあげる。

これも自力でできるようになれば良い。

そうして体制を調えたらベッドに仰向け。

これより始まるリハビリ運動は足のふくらはぎなどの筋肉揉み。

膝の曲げ伸ばし運動もしてもらう。

この運動を毎日してもらっていたからいとも簡単に立ち上がることができたのだ。

車椅子に乗り移るのが、怖くて移れなかったこともあった。

一週間前のことである。

心配していた筋肉の衰えは若干あるものの、十分な動きをしてくれた。

しかも、膝で支えて横たわる訓練も毎日してきた。

おふくろ本人の動きが早いのにはびっくりするほどだ。

1時間余りのリハビリ運動をしてきたが、疲れもなく、目眩もないというのが嬉しい。

ベッドでお尻筋肉アップもしてもらって気分は上々。

今後の目標は・・と云っておふくろに指示をするリハビリ理学療法士。

来週初めには、車椅子へ自力移動して、ナースステーション前の共用ルームで皆と一緒に美味しく食べるようにしましょう、と云えば、そうしたいという。

頑張る姿が一つ筋の光明を照らす日であった。

(H29.10.24 SB932SH撮影)

CT検査の結果は問題なし

2019年01月16日 09時27分21秒 | むびょうそくさい(おかん編)
午後9時過ぎに鳴った携帯電話。

発信者は病室ベッドに居るおふくろが所有する携帯電話。

伝えたい要望は大きな梅干しをもってきて、である。

ナースの許可も下りて、持ってきて、である。

この日の私は午前中いっぱいが泌尿器科の診察。買いに行けるのは後発するかーさん。

バスに乗ってマツゲンでお買い物を済ましてから到着したようだ。

そのころの私は丁度、会計も終わって処方箋の受け取り。

おふくろが入院している病院だから雨にも濡れずに病室に向かう。

朝に電話があったときに伝えていた連絡事項はもう一つある。

この日の午後12時ころには院内でCTスキャナー検査をすると話していた。

前日の19日は三回もぶれた人生初の目眩症状に驚いてもどした。

循環器内科もある当院。

8日の嘔吐のころから、身体状況については循環器内科医師とも連携していると聞いていた。

目眩を訴える症状に頭の血管状態を調べることになった。

横になっているおふくろの顔はどうしても年老いたように見えるが、起き上がればそうでもない。

寝ている病床姿にどうしても感じる老いであるが、話せば声も十分に、である。

私の午後は通院する歯医者で前歯の差し戻しがある。

昼の食事を済ませて数時間後に行く予定がある。

状況を確認できればナースさんらによろしく、だ。

もし、である。

万が一の結果となれば、医院から電話させてもらいます、と伝えてくれるM看護士。

いつも笑顔で対応してくださるのが嬉しい。

先に連絡があったのは昼食の配膳。

もうすぐ連絡があるだろうと待っているCTスキャナー検査よりも先に食べてしまうことは避けたい。

そのことを伝えた配膳する人は、わかりました、では、検査が終わってから、ということだ。

後は任して食事する地下1階。

食べ終わってからも用事がある。

20日と30日はイオンの日の買物もあれば、酒屋のやまや買いもある。

なにかと忙しいのである。

そのやまやに向かっているときに携帯電話がなった午後1時。

なぜか携帯の留守電に入っていた伝言は「なんら問題はなかった」ということだ。

さて、翌日の21日である。

気にくれるとは思っていなかったと思っていたおふくろはベッドで半起き。

食事を済ませてやや目眩。

昨日の夕飯も同じように目眩をしたが、嘔吐まではいかなかったという。

昨日はリハビリ療法士が行けそうと判断されて車椅子をもってきた。

座らせてあげようと介助しかけた、そのときに目眩を感じたから行けずじまい。

そのリハビリ療法士は金沢まで出かけて研修する。

明日の日曜日は定例の休みだから台風明けの月曜日のリハビリになりそうだ。

昨日の晩も、今朝に昼食も美味しくいただいた。

完食ではないが、美味しくいただけた。

甘い野菜は遠慮したがほとんどを口にしたという。

そのおかげかどうかわからないが、食後に2度も排便できた。

オムツはそれごとに新しくしてくれる。

オムツ料金は医療費には入ってなくて自費である。

一日、2回の場合も稀にあるが、入院してから20日間。

その後のいつ外れるのかわからないが、当面はそうなるから相当な支払いを請求されるだろう。

2時間見舞っている間に二つの要求があった。

一つは美味しかった「長時間発酵ヨーグルト」。

もう一つは使い捨てカイロの補給。

いずれも我が家の近くにある富雄南イオンタウン内にある店舗で売っている。

ちょっと出かけて買ってくると一時的離脱。

30分程度で戻ってきた。

待ちかねていた「長時間発酵ヨーグルト」。

スプーンで掬って、ぺろぺろ。早くも空っぽ。

食欲旺盛になった姿が嬉しい。

(H29.10.20 記)

離床リハビリの始まり

2019年01月13日 10時09分08秒 | むびょうそくさい(おかん編)
10月17日の午後2時より始まった離床を目的としたリハビリ運動。

前日は、まだ心身とも慣れていない状況であるゆえ、車椅子には乗りたくないと云っていたおふくろも今日は30分間も乗って楽しんできた。

この日の離床は難なくできた。

無理もせず、すんなり乗れていましたと話すリハビリ担当のK理学療法士。

疲れもなくベッドに座っていた。

こういう状態が続けば・・一筋の光明が見いだせたという嬉しい姿に手を叩いてしまう。

リハビリ担当の理学療法士が押す車椅子に乗った30分間。

院内の景色を見て廻ってきた。

病床がある2階どころかリハビリ専用の室内も、そして外の景色も診てきたおふくろはとても喜んでいた。

昨日、知らずに内袋を破ってしまった「ゆたぽん」は我が家で使うことにしたが、おふくろ用にあらためて新品で購入した「ゆたぽん」をもってきた。

早速、ナースステーション前にある広い共用ルームにある電子レンジでチン。

もってきてくれたんやと群がるナースに介護士さんたち。

普段利用したことがないのか、時間は・・・。

この部屋の電子レンジはデジタル式でなくアナログ式で時間設定をするタイプ。

随分と昔から什器として利用している電子レンジでは「ゆたぽん」指定の500wタイプであるなら「3分10秒」。

アナログ式だから3分ちょっと先に設定してチンしてください、と何故か私が指示する始末。

古い形式ならお任せされてしまったのだ。

ちなみに何度か「ゆたぽん」が爆発して内部のジェリーが飛び散ったらしい。

時間設定を間違った事例である。

指定時間以上、例えば5分間もチンすれば、高熱になり爆発してしまうのだ。

このことについては外箱に注意書きがある。

かーさんもそれを読まずに内袋を破ってしまった。

みなさん、どうか注意書きは、インスタント食品であっても、冷凍食品であっても書いてあるから、利用される前には必ず、読んでくださいね、である。

その場にいたときに施設師長より声をかけられた。

遅くなりましたが、入院治療計画書が作成できたのでサインを求められたのである。

病名は「第6胸椎圧迫骨折」、症状は「背部痛」、全身状態の評価は「腰部痛著明であり、また離床許可も出ていない状態であり、ベッド上での生活となっている。寝がえり動作は疼痛(とうつう)を伴うこともあり」だ。

治療計画は「全身状態の評価による心身機能・日常生活活動のレベルを考え、その機能・能力の改善・向上に努め」、リハビリ計画は「疼痛軽減を目的にリラクゼーションの実施、筋力維持増強訓練・関節稼動域維持増大訓練を実施、基本動作訓練・ADL訓練を実施する」。

また、栄養摂取に関する計画に「減塩食を提供し、血圧コントロール」がある。

そして入院期間は入院した日から数えて「60日以内」とするが、本人の心身状態の進展具合によっては多少の前後はあるものと伝えられた。

加えて、看護計画は「背部痛や全身状態の観察を行い、安全にリハビリや日常生活を送れるように援助する」とあった。

入院した田北病院は「電子カルテシステム」を導入している医院。

しかも、だ。おふくろが居る病室棟は回復期リハビリテーション病棟。

「脳血管疾患または大腿骨頸部骨折等の患者さまに対して、日常生活能力の向上および在宅復帰を目的としたリハビリテーションを集中的に行う病棟」と明示している。当医院はまた、地域包括ケア病棟もあるから、安心して診てもらえるのが嬉しい。

また、再認定身体調査日が決まった10月26日の午後2時は夜間の心身状況を診ている看護師も立ち会うことになった。

しかも、その日の午後4時ころ。

主治医のⅠ整形外科医師ならびにリハビリ担当のK理学療法士、両名の家族面談も決まった。

家族面談は今後のリハビリをどのようにしていくか、計画的な在り方の相談のようである。

そういった要件を決めて病室のおふくろを見守っていた午後4時。

突然のごとく発症した背中の痛み。

看護士さんがどこですか、と背中を押さえる。

そこではなくもっと上と訴えるおふくろ。

そこ、そこと伝えた部分は骨折した胸椎辺り。

痛みを避けるように集めのバスタオルを背中にあててくれた。

そうしたら痛みが消えたと答えるおふくろ。

リハビリ運動は一機にではなく、徐々に・・・ということになるだろう。

その晩の午後7時前。

夕食は美味しく食べて満足したんやけど・・今夜は朝・昼とも食が進まなかったということで栄養点滴になったと携帯電話で伝えてきた。

翌日の18日。

昼食にきつねうどん食べた。

それは美味しかった。

介護士さんが美味しいからもっと食べてや、と勧められて、かまぼこも野菜もいつも通りの串挿しで食べた。

ところが、だ。

食べた直後の嘔吐で全部をもどしてしまった。

戻すということは何らかの原因がある。

勝手な推測はしないが、何だろうか。

とにかく嘔吐を抑える点滴注射。

その後、続いての栄養点滴。

しかも、予定していた午後のリハビリ運動は中止となった。

横たわってぐったりしているおふくろ。

か細い声で心臓がドキドキする音が聞こえるという。

たぶんに血圧上昇に心拍増し。

心臓が送る酸素量が少ない状態を避けるには深呼吸。

はい、息を吐いて、吸って、といって歩調をとる看護士さんのおかげで落ち着いた。

気になる点は医療費。

支払いはいつになるのか・・。

ナースステーションで尋ねた結果は毎月が16日締めに月末締め。

翌月の初めに請求書を発行するようだ。

オムツ交換もあるし、食事も医療費外請求。

今回の入院は後期高齢者にとっても大きな負担になりそう。

今回の入院は救急車に運ばれてだった。

後期高齢者被保険者証は、かーさんが救急車に乗り込んだときにカバンに入れていた。

救急車が着いた病院受付があったようだ。

そのときに提示した保険証をもって一割負担になるのは間違いないが、高額医療費控除請求は高額療養費制度に則って最寄り管轄の地方自治体に限度額適用認定証交付を申請しなければならない。

限度額は年収によって異なる。

おふくろの年収は年金しかない。不動さんの持ち合わせも高価な貴金属もない。

年金のみの生活でずっと暮らしてきた。

来週にでも住民票がある大阪・住之江区役所に出かけて高額医療限度額適用認定証の交付を受けてきたいが、またもや委任状ということになるだろう。

額適用認定証が受理されたら限度額越えの払い戻しが発生する。

その払戻金については振込口座番号も要るだろう。

心して区役所に臨みたいことだ

帰りがけに声をかけた男性の介護士。

その人曰く、当院は回復期リハビリテーション病棟であるが、退院されても100%には戻らないと忠告される。

私の心臓病もそうだが、手術前の元気な状態には戻っていない。

リハビリ運動をしてきたが、100%復帰ではない。

高齢者であればあるほど、そうなることは重々理解している。

この日はバタバタ日。

帰宅したころの時間帯はもう真っ暗になっていた。

自宅に着いたら書類作成。

阿倍野管理事務センターへ提出する「市営住宅入居者入替申請書」と「一時不在届け」の清書。

いずれも入替を望む理由を先方にわかりやすく、理解されやすいような文にしなくてはならない。

経緯から現在に至ることに、91歳の高齢者は4階まで昇降することが困難であることを訴える件を250文字に纏めて、翌朝に郵便ポストへ投函した。

19日は朝の8時半におふくろからの携帯電話が発信された。

受信のベルが鳴って受話器を耳に当てるが反応はない。

ないうちに切れた。

ゴミ収集車が来ていた関係で表にでていたかーさん。

携帯電話に残された留守電があった。

「今朝は美味しくいただきました」という声が録音されていたのでほっとする。

前回に朝電があったときはてんや、わんやであったが、今回は嬉しい通知であるが、逆にこちらから発信しても受け取ってくれない。

なんとなく不安を感じるが、ベル音を発せさせないようにしているから気がつかないのであろう。

この日は木曜日。週2回の入浴デーである。

着替えとかは前日に袋詰めしていたが、石鹸やシャンプーを入れ忘れに気がついて、早めに着く病室。

ベッドの背もたれを上げて座っていたおふくろは点滴をしていた。

朝の美味しかったと伝えた留守電から1時間半後。

一体、何があったのか。付いてくれている看護師学校研修生のOさんが云うには、食後にもどしたという。

もどしたときの身体状況を訴えたおふくろがいうには目眩が3回も・・である。

人生初めて体験する目眩に気持ち悪くなって一挙に食べたものをもどした。

ナースコールして大慌てで処置する点滴薬に栄養点滴中だった。

すっかり老けた顔で座っていたおふくろは生気を失っているように見えるが、話しているうちに生気を取り戻す。

顔色も普段とおなじくらいに良くなった。点滴薬が効いてきたようだ。

8日に1回目の嘔吐。

次は17日の嘔吐。この日の嘔吐で3回目になる。

目眩が発症することは不整脈が原因と思われる。

心臓を患った私も、術後に不整脈を発症した。

何か月間どころか、1年以上もかけてリハビリ運動したおかげもあって現在は毎日記録する脈拍・心拍計測。

当初はたびたび発症していた不整脈も、たんまにみるくらいに落ち着いた。

おふくろの不整脈の原因はほぼわかっている。

前回に起き上がった直後の食べもどし。

今回も起き上がりの経過後。

なんともない日もあれば、本日のように発症する場合もある。

安静状態で2週間も寝たまま身体は起き上がった段階で異常を訴える。

看護士、ナースも理解しているらしく、その件はさきほどそう話してくれたとおふくろが私に伝えてくれた。

そんな状態では本日の入浴が怖くなったおふくろ。

看護士、ナースにそのことを伝えるO研修生は一日に何回も覗いてくれる。

私が滞在中も血圧計計測。

結果は血圧も心拍もまったく問題のない数値に胸をなでおろす。

映像は現在入院先の月献立表。

毎日が楽しみの食事であるが・・。

(H29.10.16 SB932SH撮影)
(H29.10.17~19 記)

委任状がなければなんもできねぇ

2019年01月12日 10時09分58秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この日は日延べしてもらったおふくろ住処の室内分電盤交換工事。

前日に明日はよろしくお願いしますと電話をしたら午後3時半には立ち会ってくださいと云われた。

立会といっても何もすることはない。

室内分電盤下にあった食卓関係の簡易水屋は10月10日にかーさんが移動しておいた。

その時間に間に合うよう車を走らせるが、先にしておきたい住民票の交付手続きである。

住民票が必要になったのは大阪・阿倍野住宅管理センターに申請する市営住宅入居者入替申請書に必要な添付書類である。

要は在所しているかどうかの確認書類である。

大阪・阿倍野住宅管理センターの要請でもう一件の申請もある。

長期間に亘って不在する場合は一時不在届けを提出しなければならない。

その一時不在届けは復帰した場合にも提出しなければならない。

その都度に必要な書類が住民票である。

この届出には不在状態であることが判断できる。

例えば入院された病院支払った領収書である。

領収書は会計処理の締めきりの関係で来月の初めになる。

入院している病院は田北病院からは翌日の17日に手交された入院治療計画書がある。

入院の原因となった病名も記載されているし、凡その入院期間も計算されている。

それであれば十分に確認できると思うのだが・・・。

ま、とにかく、その2通の申請書に添付を要する住民票は2通。

受付にその旨、申し出たら、委任状が要るという。

委任状はどのような形式であればいいのだろう。

クエッションを出せば見本を提示された。

それでも書き方がわからないから、何をどう書くべきか、別の受付に声をかけたら隣にある担当者を紹介された。

わからないことは担当者に聞け、である。

その人は10日にも教えてくださった人だ。

簡潔明瞭にポイントを指示される。

30秒もかからない早業、である。

急ぎの申請は待ったなし。

おふくろの意思をもって委任されているから、白紙のペーパーを探し出して代筆する。

ハンコはおふくろから預かっている。

便宜上、そうさせていただく。

ちなみに本日の第一の目的は住まいする住居の室内分電盤交換工事の立会。

4階の階段手すりから下を覗いていた業者さん。

やっと来たわという表情があたかどうか。

待たせてしまって申しわけなく、室内に入ってもらう。

それから始まった交換工事はおよそ40分。

その間に済ませておきたい諸々の用事も終えて再び出かけた区役所。

実はと云いながら提示する郵便局の「再配達連絡先」に受取人がおふくろの名前。

差出人は区役所。

配達された日時は10月6日の午後12時7分。

入院している日だけに受け取れない。

「追跡番号問合せ」シートに印字されている保管期限は10月13日。

期限は過ぎていたが、念のためプッシュボタンを押す7桁の郵便番号に2桁の種類番号。

受け付けられたが、返答は期限切れのアナウンス。

こりゃもう手遅れ状態だ、とわかってきた。

念のために指定の問合せ番号に架けてみたら、昨日の15日に差出人宛てにもどしたと云う。

あちゃぁ、である。

時すでに遅しとわかったが、配達されたモノはおふくろの依頼で9月15日に区役所で交付願いをした「個人番号(マイナンバー)」通知の再発行依頼である。

郵便物の転送は10月10日からおふくろが身を寄せる我が家に届くようになった。

尤もおふくろが身を寄せた始まりの日は9月27日である。

4日間も悪戦苦闘したおふくろは10月2日にコールした救急車に運ばれてそのまま入院、安静加療の身である。

届けられる日がわかっておれば、住処で待機していたのだが、間に合わなかった。

しかも送られてきた郵便物は差出人に戻された。

こりゃちょっとやそっとでは手元に届くのは困難になろうと思った。

2通の住民票はおふくろの委任状を添えて提出したが、もう1件は受け取った職員が難色を示した。

後方に座る職員に相談している。

どういう具合に返答しようかという顔で見合わせたような表情でひそひそ話し。

待合室で見ていてそう思った。

受付番号を呼び出されて大阪・阿倍野住宅管理センターに申請する2通は、1通が300円といわれて600円を支払えば手元に差し出された。

もう1件は担当の者が来るまでお待ちください、と伝えられて数分間。

その担当者が現われて別室へ案内する。

来たな、といところだ。

回答は、予想通りの答え。

個人番号(マイナンバー)の通知カードは委任状がなければお渡しできません、だ。

個人情報は家人であってもお渡しできない。

で、あれば郵便配達されたときにおふくろが不在だったら、配達されないのかと詰め寄る。

区役所の担当職員が云った言葉に、えっ、である。

配達は郵便局の管轄。

そちらに依存しているので、そちら任せ、だという。

役所に戻ってくれば区役所の管轄。

責任あるのは「私」です、から委任状がなければ手交できないと言い張る。

しかも、委任状を添えて申請する場合は委任するおふくろを証明するモノが要る。

保険証など顔写真のない証明書であれば2枚。

顔写真付きであれば1枚を持ってくること。

必要要件はそれだけであるが、顔写真があったとしても本人がその場におらなければ意味がない、でしょ、だ。

写真がなければ2枚。

2枚要件には理由がある。

住所、名前等が一致することを確かめるためである。

そんなんで要件が満足できるのか。

個人情報の根幹はどれにあるのか、ほんまに知っているのか、である。

顔写真があろうが、なかろうが、個人情報の要件は名前、住所、電話番号の3種が揃って意味を成す。

これがプライバシー保護要件の根幹である。

例えば、芳名帳に名前、住所を書いた人は多いと思うが、それだけでは要件を満たさない。

電話番号があって、成り立つのである。

ま、とにかく職員が云う委任状の要件はわかった。

それならば、個人情報通知カードは、現在おふくろが入院している病院宛てに再発送してくださいと、いえば、住民票がある居住地でないとダメだという。

そうで、あれば、もう一度、居住地に再送付してくださいと、お願いしたら、それはできないという。

なぜなんだ。受取ができなかった事情があるじゃないかといってもテコでも動かない担当職員。

情にぶれない職員は大したものだ。

尊敬する。

勤めていた仕事場でプライバシー保護に関するリスク管理を進めていた。

がっちがちのプライバシー保護は十分な管理体制でされることが前提である。

組織が崩れたらじゃじゃ洩れ。

そんなことはあってはならないプライバシー保護管理体制は身に染みているから、職員の対応は感服する。

感服はするが、涙が毀れてきた。

こんなにおふくろのためと思って代理する作業にあっちへ、こっちへ。

また、来なくちゃならんと思ったら泣けてきた。

私は奈良県住まい。

阪神高速道路などを利用すれば片道40分ほどで私が生まれ育った住之江に着く。

仮に東京に住んでいたら・・・もう、爆発寸前。

委任状がなくとも本人であるおふくろに手渡すにはおふくろ自身で区役所の出向くしかない。

通知カード申請のときは車に乗せてなんとか区役所で本人確認ができた9月15日。

顔写真付きの高齢者無料パス券をもって本人をじっと見ていた職務に忠実な担当者が、今日もここに居た。

素晴らしいとしか言いようのない担当者に職務人間の「国宝」さんカードがあればさしあげたいくらいだ。

では、おふくろが無事に退院できて、こちらに到着する日はいつになるかわからないが、通知カードは大切に貴方が保管していただけますね、と云えば、ハイという。

職責を全うされる担当者はT。

いつかまたお会いしましょう、と伝えて、区役所を離れた。

この日の用事はもう一つある。

9月27日に当楽させていただいた大阪・住之江の地域包括支援センター。

まさか、入院するとは思わなんだから、その日におふくろの状態もみてもらおうと思って連れていった。

担当することにBさんとも顔合わせができた。

歩行が困難になっているとわかって提供してくださった借用の車椅子。

数日間は我が家の部屋で今からトイレ間への行き来で活用させてもらったが、長期入院と決まった以上は、そのままお借りするわけにはいかないので返却しにきたのである。

あれからの経緯、今日に至るまでの大まかな現状を伝えさせてもらったし、先日に大和郡山市の福祉介護課・調査員の再認定調査委託派遣も連絡があったとことを伝えた。

映像はいっぱい詰めこんでいたチラを取っ払ったあとの団地ポスト。

磁石付きの宣伝カードで溢れている。

こんなところに重要な書類が届いていたとは・・・。

ではなく、この場合は一般書簡である。

本人確認を要するような書簡は玄関受のポストになる。

ただ、一般書簡であっても当人にとっては重要な書簡である場合も多々ある。

個人情報のたまり場は1階にある旧態依然の団地の集合ポスト。

郵便屋さんには申しわけないがおふくろ居住地の4階玄関受けにお願いしたいものだが・・・。

(H29.10.16 SB932SH撮影)

区切りがついた2週目

2019年01月11日 10時17分38秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この日も家族介助と称して病室に居るおふくろに会う。

着いた時間帯は午前10時。

時すでに遅しで本日の入浴介助に介護士さんがベッドごと入浴室前に移動した後だった。

しばらくすればさっぱりした顔で戻ってきた。

今日はいたって良い身体状況である。

それから十数分後に私の携帯電話が鳴る。

発信者は東北仙台に住む実弟からだ。

おふくろの様態を心配してくれた電話だった。

弟の奥さんの母親は介護認定患者。

市の都合かどうかわからないが、自宅ケアしかできないので毎日介護する奥さんがたいへんな様子だと伝えていた。

おふくろは入院して2週間。

そろそろリハビリ運動に入りそうだと伝えたが、見込みはまったくわからない。

退院直後には届け出している住之江と大和郡山市のケアマネジャーにお願いするケアプランニング。

まだまだ先だが、今日は元気にしていると伝えておいた。

それから十数分後にまたもや携帯電話が鳴る。

今度は見知らぬ番号で、あるが市内局番。

もしかとして市の介護関係と思われて受話器をあげる。

声の主は市の介護福祉課の担当者だ。

住之江の地域包括支援センターの委託を受けて介護・介助の再認定手続きに身体状況を診て聞取りする調査員も決まって調査日を決めたいという連絡だった。

調査する日は10月26日の午後2時。

調査員のお名前はOさん。

名前で思い出す9月7日に我が家で行われた初の認定調査の聞取りに担当された方だ。

前回も調査された方なので状況の変化が理解しやすい。

そう思うし、聞き取りの仕方に信頼感がある調査員。

元々は直接介護をしてきた介護福祉士さん。

さまざまな認定者を介護従事されてきた方だったから安心できるし、一部始終を存じておられるのでありがたい選出である。

日程・時刻が決まれば直ちにナースステーションに通知である。

聞き取りされる時間帯に診察などがあれば調査に影響する。

その時間帯は避けていただくようにお願いであるが、実は夜間などおふくろが記憶にない時間帯の身体状況を補足説明できるように立ち会うそうだ。

調査場所は病室ベッドになるか、それともそのころであればリハビリ運動が始まって10日後。

車椅子に座って移動することが可能ならば別室で、ということになるだろう。

電話を終えて病室に戻ったら院長の回診が始まっていた。

週一回の月曜日は院長の回診である。

回診に伝えた言葉は、本日よりリハビリ運動を開始します、ということだった。

それからしばらくしてからおふくろの要求は、しんどくはないけど、首やら肩やらが冷えるので、それ専用の「ゆたぽん」を買ってきて欲しいということだ。

腰にあてる「ゆたぽん」は前日に買っていた。

スーパートライアルにはその商品はなかった。

ココカラファインもなかったが、キリン堂に売っていた。

病院に来る直前。

入庫したばかりの「ゆたぽん」を買って持参した。

すぐさま開封するかーさん。

しばらくしてから、あっ、である。

外箱に説明があった。

それを読まずに内袋も端っこを千切って開けてしまった。

説明書には内袋のままレンジでチンしてくださいとある。そうであれば爆発する、なんてことを言いだした。

チンする時間さえ間違いなければ、そうはならないと判断したが、何かがあっては困るからと使用禁。

腰を温める「ゆたぽん」はなんとかするとして、新たに要求があったのは首や肩の冷えである。

その部分を温める道具を要求されるが・・。

キリン堂に売っていた「首・肩用」。

これだ、と買いに走る。

何度も出かけるキリン堂が病院近くにあるから助かる。

ただ気になる点が一つ。

一般用の「ゆたんぽ」タイプの「ゆたぽん」は3分10秒間の電子レンジでチン。

温かさは7時間も保つが、首・肩用はたったの30分。

なんでや、である。

私が推定したのは患部に長時間あてがうことによって別の危険が発生するかもわからないということだ。

私の判断は長時間にしたら直接あたるのが皮膚なので火傷するのでは、ということだが、わざと30分しか保てない効能は判然としない。

キリン堂の店員さんが云うには低温火傷である。

なるほど、である。

院内にある電子レンジでチンしてあてがったおふくろは温くてえーわー。

でも、すぐに冷めるから・・・と伝えておいた。

(H29.10.16 記)

電子レンジでチンする白元製のゆたぽん

2019年01月10日 09時07分39秒 | むびょうそくさい(おかん編)
腰にあてる「ゆたぽん」は前日に買っていた。

スーパートライアルにはその商品はなかった。

ココカラファインもなかったが、キリン堂に電話したかーさんがいうには入荷したばかりだと。

利用者はおふくろ。

入院患者さんが寒いと訴える病室。

医院はそんな声に「ゆたぽん」を備品として用意している。

だが、数は少ないから取り合うことになる。

一つは医院に借りるとして、もう一つは購入することにした。

季節は10月半ばだけにまだまだ暑い日もある。

そんな時季に暖房用具なんぞを備えて売る店はまずない。

前述したようにトライアル、ココカラファインはまだ入荷できていない。

助かったお店はキリン堂。

ありがいことに数個を入荷できたという。

ゆたぽんは2種類ある。

これまで私も利用していた「ゆたぽん」が足元を温めてくれる。

私の部屋は北側。

11月になれば寒いときもある。

足の裏でも温めたいときに出番がある。

今回、利用するのは入院中のおふくろ。

脇が寒いとかお腹が・・と訴える。

脇は片方でなく両方というから二つも要る。

そういうことで買った「ゆたぽん」であるが、種類はもう一つある。

首・肩用の「ゆたぽん」である。



首に巻く襟巻のように使えるらしい首・肩用の「ゆたぽん」。

これもまたおふくろの要望を叶えたく買ってきた。

効果は抜群。

これは手放せないというだろうな。

(H29.10.16 SB932SH撮影)

毎日が病院通い

2019年01月09日 10時07分41秒 | むびょうそくさい(おかん編)
入院してから欠かせなくなった病室行き。

家族だから見舞いでもない。

おうくろの状態を診て要望を受け付ける。

看護以外に要求することはできる限り叶えてあげたい。

大層なことではなく、あれが欲しい、これが欲しい程度だ。

12日のおふくろは寝たきり状態だった。

冷蔵庫に入れていた一口サイズに切った果物は綺麗になくなっていた。

看護士さんや介護士さんに伝えて食べさせてもらっていたのだろう。

この日にもってきたのは同室におられるNさんからいただいたヒラタネカキ。

この三つのヒラタネカキは私が食い扶持。

おふくろが食べたのは、前日の11日にもらったものだ。

楊枝に挿して一口切ったカキを口に入れてあげる。

甘くて、冷たくて、美味しいという。

ヒラタネカキはどちらかと云えば柔らかいカキ。

おふくろは堅めが好みであるが、このヒラタネカキはとても美味しいと云って目を細めて食べていた。

13日のおふくろも寝たきり状態。

冷や汗や、といって毎度の汗かき状態に着替えは何度も要する。

許可してもらった小梅を一つ食べた。

食べたといっても口の中にほうばっているだけだ。

小梅の味をじわじわ味わう。

小梅は堅い。

私なんぞはカリっ、コリっと歯で噛んで食べるのが一般的。

なんでそうしないのか。

寝た切り病人でなければ気がつかない恐怖感がある小粒の食事。

しかも小梅はまん丸で堅い。

ふとした拍子に喉の奥につるっと滑って入っていけば・・。

喉が詰まって危険なことになる。

その恐怖感があるから、小梅は舐めている。

そのうち、皮と実がちゅるちゅる食べられるようになる。

崩れた小梅は喉に詰まることはない。

しかも長時間に亘って小梅が味わえる。

一石二鳥の食べ方は寝たきり病人にとっては最も食べやすい。

小梅だけでは足らんやろうと思って冷えたナシを食べるかいと伝えたら、欲しいという。

いつもと同じように楊枝にさして口元に運ぶ。

喉にすぽっと落とさないように細心の注意を払って歯で噛ます。

冷たくて、ジューシーなナシが美味しいと云ってくれるのが嬉しい。

帰宅してからわかったことだが、昨日の13日からは点滴がなくなったそうだ。

14日のおふくろ。

嘔吐することもなくぐったり感もないことから10時間に亘ってぐっすり眠ることができたと喜んでいた。

起きたての汗もかかなかったのでサッパリした顔で待っていた。

目は開いてぱっちり起きてくれているとほっとする。

顔色は良いし、声も大きい。

状態が良くなってきたということで午後は起き上がって特別製のコルセット装着を復活することになった。



食事は起き上がって、座って食べたい。

テーブルを前にして食事を美味しく食べたい。

そう云える状態にまで来られたのが嬉しい。

明日の15日は用事があるから来られんが、明後日の16日は月曜日。

楽しみにしている入浴がある。

その入浴時間帯には千円カードの冷蔵庫の期限切れになる。

追加の一枚を買ってボックステーブルに置いておく。

看護士、介護士さんが気づいてくれるはず。

先だっては買ってから数日で切れると思われた冷蔵庫カードの取り扱いを看護士、介護士さんに説明させてもらったばかり。

利用説明パネルは読んだこともないから、私の説明を聞いて、そうやったんや・・・。

また、この日は来週から本格的に始まるリハビリ運動。

事前に可能かどうか見極めの背中から起こし。

食事もその状態であれば摂りやすくなったようだ。

一口サイズに切って用意していた果物類は在庫切れ。

調子は良くなっているようにも思える。

背中に嵌めるコルセット装着は痛いが我慢して少しでも早く治りたいと伝えるおふくろに、16日の月曜日にはその時間帯にまた来るわと云って退室した。

自宅に帰れば住まい入替を電話でお願いしていた阿倍野管理事務センターより「市営住宅入居者入替申請書」が届いていた。

申請書の他に本人誓約書もある。

事務連絡に注意事項もある。

一つは「住民票」の同封である。

もう一つは主治医医師の「診断書」である。

その診断書には“階段昇降は困難・無理”であると復帰後の状況が見込まれることも記す。

現在、おふくろが住んでいる鉄筋市営住宅は昭和52年に掘立小屋のような木造市営住宅から移転した住まいである。

5階建ての4階部屋。

手すりはついているがエレベータ設備はない。

復帰したとしても91歳のおふくろにとっては昇降が困難になることは間違いない。

そういった理由が要る申請書。

転居先は1階を希望するが、空きがなければ待つしかない。

空きはいつ発生するか見込みもないが、申請だけは先行してお願いしておく。

地域包括支援センターに相談した上で管理センターにお願いする書類が届いた。

15日の朝7時40分。

かーさんの携帯電話に残された留守電に録音言葉がない。

折り返し応答した午前8時半。

病室の携帯電話は許可されたもの。

家族との細々とした連絡ごとは必要とされており、むしろ自己の家族間連絡は積極的にしてもらうという医院の考え方のようだ。

おふくろの訴えは、起床したら冷や汗で着衣がびしょびしょ。

インナーの着替えをしてもらったが、寒い、寒いの連呼。

大至急、使い捨てのカイロを持って来てという要求である。

開店直後のアピタに併設のDCMダイキに出かけて肌着にくっつかない用途の使い捨てカイロをもって病室に急行したら看護士さんや介護士さんが対応に大騒ぎ。

寒いにカイロはあてがっているが、個数が足らない。

一人の患者に1個のカイロはスーパートライアルで売っていたという電子レンジでチンして温めるタイプ。

これを一つ用意してくださいとナースさんたちからの要求である。

商品名はわからないが、話しの様子から以前、我が家でも買って利用していた「ゆたぽん」のようだ。

タオルも不足気味なので、急がれるこれは院内のコンビニエンスストア売店で購入だ。

汗はなんどもかくからタオルはたくさんいる。

バスタオルでは分厚すぎるので一般的な厚さのタオルである。

(H29.10.12 SB932SH撮影)
(H29.10.14 SB932SH撮影)

希望とは逆に向かっている身体状態

2019年01月02日 07時03分45秒 | むびょうそくさい(おかん編)
今日も最高気温は29.2度。

降ってわいたような戻りの夏日は身体に変調をきたしそうだ。

一時的な夏日は数日も経てばまた寒くなるだろう。

そんなことも気にすることのない病室は一定の温度。

外の暑さも、寒さもまったくわからない。

行事取材が三日間の立て続けに見舞いすら行けなくなった。

具合が悪くなったとかの身体状態の変化は聞いていないが、おふくろの実際を見れば、そうではなかった。

9日、8日の昨日一昨日のことだ。

少量であるが、食べたものをいきなりもどしたという。

そのときの食事は寝たきりでなく、座った状態だった。

戻した原因はそこにあると云われたそうだ。

そことは・・。

寝たままの期間が長ければ長いほどお腹に空気が溜まるらしい。

起き上がって食べてみましょう、ということでベッドに傾斜をつけて身体を起こす。

もたれた傾斜ではなく、ほぼ真横座り。

座りといっても足は延ばしたままだから座り難いことは確かだ。

その角度になった途端に苦しみだした。

思いもよらぬ嘔吐状態におふくろも驚く。

呼び鈴を押して看護士を呼び出す。

その姿を見た看護師もあっと驚く状況になったという。

嘔吐の吐しゃ物は口から弾けるように飛び散って布団を汚した。

懸命に拭いてはみたものの無理がある。

それで困って呼び鈴を押したということだ。

迷惑をかけてはあかんと思って拭いたものの間に合わない。

そのような状態では満足に食事も摂れない。

そういうことで始まった5時間の点滴。

前夜の9日も点滴。

看護士から目をつむったらあかん、と云われるが・・自然と目が塞がる。

そんな状態だったおふくろの顔は数日前の7日。

緩めてもらったコルセットに喜んでいたときよりも悪化しているように見える。

家族が見舞い・介助に来たらふと目を覚ます。

「今日も来てくれたんや」と喜ぶ顔に老いを感じる。

今年になってからは三回も転倒した。

2月はベランダに干していた布団を下げる際に勢い余って転倒した。

特に異状を感じることはなかったが、念のためと判断してひょこひょこ自宅から遠距離にある浜口交差点近くにある須見整形外科まで歩いて出かけた。

診断してもらったが、骨折はなかったという。

その月は六畳の居間でも転倒した。

その際は柔らかい布団がたまたまあったそこに倒れたからなんともなかった。

その後の6月は自宅1階にあるごみ捨て場で倒れた。

そのときも腰辺りが痛くなった。

その箇所をレントゲン検査してみても骨折が認められなかった。

今回、入院加療した田北病院の検査はMRI検査。

3カ所に亘って検査した結果は「第6胸椎圧迫骨折」である。

腰が痛いから、その部分しか検査していない。

つまりは検査漏れだと思うのである。

6月時点でもっと詳しく検査しておけばと悔やまれる整形外科医院。

歩行困難に陥った8月7日は救急の友愛会病院。

そこではMRI検査もしてもらったが、部位は腰辺りである。

おふくろが痛みを訴えた部位しか検査されなかった。

あのときにもっと周辺を検査してくれたらなぁと思うのは私だけだろうか。

辛い状態で病室に居るおふくろの顔を見るたびに、気がつかんかって、すまんことしたと反省している。

本日、見舞い介助にきた10日の朝。

入浴から戻ってきたおふくろが云うには、半分少し食べたが、おかずは食べる気もしなかったそうだ。

入浴は毎週の月、木曜日であるが、前日は体育の日の祝日。

祝日対応に看護師も介護士もすべてが少なくなる。

それゆえ入浴は該当曜日であっても翌日の平日になる。

そういうことで本日は火曜日の入浴である。

前回の入浴も辛かったという入浴のシャワー。

おふくろはシャワーが苦手で自宅の風呂にも備えていない。

勢いあるシャワーの水滴が顔に当たるのが嫌なので、タオルを顔に当てて防御してもらうようにしてもらったが、それでもびしゃびしゃになるシャワーはほんまに苦手だ。

そうこうしているうちに本日の昼ご飯が配膳された。

今週のメニューによれば本日の昼ご飯は・・。

豚肉、キャベツ、チンゲン菜で料理した厚揚げと野菜の味噌炒め。

もう二品は白菜、春菊のおひたしにキュウリ、ニンジン、錦糸卵の春雨サラダ。

それらはすべて串カツ形式で配膳されるから、ぱっと見てもわけのわからない料理に見える。

おふくろにとってはもっとわからない不思議なものにしか見えないだろう。

見た目も気持ち悪いと云って手を伸ばさないピンク色は何でできているのだろうか。

厚揚げにキャベツはわかるが、ピンク色が豚肉。

私が試食した結果はオモロイ味。

不思議な洋風味付けだと思った。

春雨サラダとは似ても似つかない形。

酢の味が利いたのか、それしかおふくろは口にしなかった。

食欲不振はいつまで続くのだろうか。

この日の夜も5時間の点滴に鳴ったと翌日に訪れたときに話していた。

今のおふくろがしてもらいたいもの。

午後に出かけるおふくろ不在の住居にある植物の水やりだ。

おふくろは毎日の水やりが一番の楽しみ。

欠かさず水やりをしているから枯れることはほとんどない。

14日間も自宅を空けておれば植物のことが心配になる。

大ばあさんには綺麗な花を供えてほしい、ということだ。

おふくろの要望を確かめて申請する後期高齢者補助手続きに車を走らせる。

行先は大阪住之江区の区役所だ。

先に向かったのはスーパーサンコー。

お店横にある花屋さんで仏さんの花買い。

軸を切ってくださいとお願いした仏さんの花は大ばあさんに手向ける花。

おふくろはいつも気にしている。

スーパーサンコーの買物はおふくろが食べたいと云っていた果物買い。

たまたま売っていた梨が98円。

品種は聞いたことのない梨だったが、翌日に一つ食べたおふくろは瑞々しくて美味しいと喜んでくれた。

果物はそれ以外にネーブルオレンジにピオーネ葡萄。

どちらも美味しいのだが、オレンジは口にしなかった。

ネーブルは甘いのであるが、酸っぱく感じたようだ。

ピオーネはまずまず。

一玉しか食べれなかったが美味しかったようだ。

サンコーの買物は我が家の好物の漬物買いが大目的。

甘酢に漬けこんだ赤かぶら。

これがむちゃ美味くて、前回に買ったときなんか2袋も。

袋を開けたら一日、若しくは二日目でなくなる。

それほど美味しい赤かぶらの甘酢漬けはどこにも売っていない。

奈良県内のスーパーも探してみたが未だに見つからない。

それはさておき、第一の目的は住之江区役所にお願いする後期高齢者高額医療費用申請である。

入院三日目に完成したコルセット料金の9割補填をしていただくための申請である。

受付に尋ねて案内された最寄りの窓口。

発券番号から推定するに30分待ち。

予想はほぼ当たりの時間にお願いした提出書類にてきぱきと動かれる担当者。

指示された箇所にすべてを記入して受付完了。

口座振込は取り扱っている連合会の締めきりの関係で2、3カ月後になるらしい。

そのことを伝えた担当者は申請書類を見て驚かれた。

おふくろは大正元年生まれ。

滅多にそういう申請はないらしく、えっ、と驚かれたのである。

この7月までは大阪梅田どころか淀屋橋に心斎橋に難波に独りででかける高齢者。

そのことも話したらさらに驚かれた。

そんな元気だったおふくろは、この月の2日から安静加療の入院。

動けない身体にイライラ感が募る。

区役所窓口の確認がある。

前月の9月15日に申請した「個人番号(マイナンバー)」通知の再発行についてだ。

そのときの窓口担当者は受け取りに本人が来ていてだかないと・・と云っていた。

通知書の再発行であるにも関わらず、本人確認が要ると伝えられたかーさん。

本人が入院しているから絶対的に無理だと云ったが、窓口担当者がそう云っていたから、という。

おかしなことを云う人だと思うが、行ったついでに尋ねるその件。

通知書発送は自宅に送付されるので、本人認証は不要だという。

そりゃそうだ。

思うに、申請を受け付けた窓口担当者はマイナンバーカードの発行と勘違いしたのであろう。

そのようです、とこの日に私の申し出を受け付けた窓口担当者がそういった。

当然であるが、そのことをかーさんに伝えたら、そうやったんや・・・。

なお、何時か前の5日に我が家から最も近い最寄りの郵便局で郵便物転送申請をした結果が現われた。

大阪住之江に出ようとしたときの我が家の郵便ポスト。

いつになく郵便物が多い。

その中には我が家の住所を手書きした付箋を貼っていた郵便物があった。

おふくろが住まいする番地を書いた第1号の郵便物が我が家に届いた。

その日から続々届く郵便物のすべてに付箋が貼ってある。

手間のかかる作業をしてもらった郵便物が間違いない我が家に届く。

ありがたいことに感謝する。

(H29.10.10 SB932SH撮影)

手配が早い

2018年12月30日 07時53分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
家族が帰ったあとのおふくろの身体状況は、翌日の6日に介助に来てはじめて知る。

家族ともなれば見舞いでもなく、介助である。

実際に介助するのは院内の職員。

看護士さんであったり、介護士であるが・・・。

落ち着きを取り戻したおふくろは横になって寝ていた。

コルセットの肩当ての部分は身体から離れて浮いているが、背中はがっちりガードしているのだろう。

目を覚ましたおふくろが云った。

昨日はあれから3回も出たというのだ。

溜まりにたまった便がでなかった。

もよおしても人生初めて体験するコルセットに馴染めず、出なくなる。

止まったらもう出ない。

そういう状態であったが、家族が帰った時間後にもよおした。

それも立て続けに3回も。

すっかりきれいさっぱり便を排出したおふくろは気持ちがすっきりしたという。

腸内はすっきりしたが、馴染みつつあったコルセットの締めがきつく感じるようになった。

苦しいからと看護士さんに頼んで緩めてもらったという。

ちなみに入院当初は許してくれていたおにぎりに巻く味付け海苔がある。

残り枚数がないので、また持ってきてほしいというが、これは却下された。

その代わりと云っちゃなんだが、前日におふくろが食べたいと家からもってきた煮豆がある。

これは可能なのか、看護士さんに申し出たら、塩分が少ないということでお許しがでた。

ありがたいことであるが、この一品を部屋に出しっぱなしにするわけにはいかない。

千円払って冷蔵庫とテレビ兼用のカードを購入する。

冷蔵庫の場合は一日100円も消費する。

専用カードは千円。

10日間はそれで間に合うから、そこで保管することにした。

そうこうしている時間帯。

向かいのベッドで横たわって寝ていた婦人が起き上がった。

顔を見て間違いないとおもったから声をかけた。

その婦人も私を思い出された。

同じ病室に居た患者さんは長安寺町に住むNさんだ。

もう何年も会っていないNさんとここで会うとは思ってもみなかった。

Nさんは私が送迎ドライバーで勤務していた接骨鍼灸院の通院患者さんだった。

当時の年齢は80歳だったように思える。

しょっちゅうではなかったが、稀にお願いしたい身体状況に鍼灸院はOKを出して送り迎えしていた。

平成23年のころであるから、実質7年前に送迎させてもらっていた時期である。

空白期間は長かったがすぐに思い出された婦人はこの二日間はベッドに居なかった。

その間は許可をもらって自宅へ戻っていたというのだ。

自宅に戻ったら農作業。

収穫したヒラタネカキを選別していたら腰にきた。

家におればついつい農作業をしてしまう。

病院におれば寝てばかり。

いつも動いていたいNさんはしょっちゅう口も動く。

懐かしさもあるが口は止まらない。

急遽、同部屋に入院したおふくろにも声をかけたかったが、横になっているので、それはできなかった。

それが「あんたのお母さんやて」・・。

送迎のときも優しくしてくれたと云うNさん。

「お母さんにも優しいのね」と云ってくれたのが嬉しい。

Nさんが元気だったころ。

10月半ばから下旬までの期間限定に自宅前で果物や野菜の売り子していた。

屋号は長正(長安寺の主人名)と聞いていた。

懐かしい話題に売り子姿の写真を撮らせてもらったことがある。

平成23年の10月17日だった。

買った黒豆が美味しかったこともあり、4日後の21日に再訪。

カメラも一眼をもってきて撮らせてもらった。

あれからもう6年も経っていた。

翌日、7日はコルセットをさらに緩めてもらったから、10時間もぐっすり寝られた、と喜んでいたそうだ。

見舞いから自宅まで。

その行程にあるウエルケア悠に立ち寄った。

それより先に電話があった担当SされるケアマネジャーになってくださったFさんとの面談である。

現況を伝えたら、入院介護中のケアマネジャーは特に動きはなく、退院後になるという。

後日、そのような状況になれば、連絡させていただくことにした。

(H29.10. 6 記)

10日ぶりの入浴に補装具コルセットを装着した日

2018年12月29日 08時16分31秒 | むびょうそくさい(おかん編)
毎週の月曜と木曜日が定例の入浴日。

2日に採寸したコルセットが出来あがる日でもある、この日は木曜日だ。

午前10時以降の何時になるかもしれないが、入浴の介助があると聞いていた。

入浴後に着替える着衣は何枚も要るとかで用意してきた。

着いた時間帯は午前10時半。

介助の二人が動き出した。

ベッドに横たわったままの状態で移動する。

フロアーは同階の南側にある。

ナースステーションの前を通って角を曲がれば入浴場の真ん前。

そこで入浴ができるようにストレッチャーに移す。

高さを合してさっと移す。

プロの仕事は実にスマート。

家族の介助ではそうはいかないプロの仕事に感謝する。

入浴は30分間。

3人かかりで綺麗にしてもらったおふくろが戻ってきた。

10日ぶりの入浴に、さっぱりして、とても気持ちいいと云う。

運ばれるまでは話し声は小さかったが、大きな声が出るようになった。

実はお風呂に入るまでは、もうどうでもえぇわ、と呟いていた。

さっぱりしたら気持ちが切り替わったようだ。

コルセットの装着予定時間は午前11時だったが、30分経過してもやってこない。

看護士さんに尋ねたら緊急の患者さんがおられて採寸などで、30分から1時間も遅れていると伝える。

そうとなれば、付き添い家族は早めの昼ご飯。

地下1階にコンビニエンスストアがある。

かーさんはそこでコーヒーにサンドイッチ買い。

私は先に所用を済ませたスーパーマツゲンで税抜き298円の三色おむすびセットを買っていた。

2年前にも利用したことがある地下1階のコンビニエンスストアの弁当はやや高めで品数も少なかったと記憶する。

塩分含有量の心配もせなならんので先に買っておいたのだ。

三色おむすびセットの塩分含有量は3.28g。

これぐらいならまったく問題がない。

コンビニ弁当に限らずスーパーの弁当も含有量が多い中、この程度の含有量であれば、心臓病の私にとっては救いである。

地下1階のコンビニエンスストアの奥はイートインコーナーがある。

そこでいただく早めの昼ご飯。最近はお腹が減ることが多くなっているので嬉しい。

三色おむすびは鮭フレークに佃煮昆布にツナマヨネーズ。

程よい塩分で美味しい。

フライもんはコロッケに鶏の唐揚げ。

コロッケに味は有るが、パサパサなのが難点だ。

その点、唐揚げは味付け良し、ジューシーさも良し、だった。

玉子焼きもまぁまぁ美味しくいただけた。

もう一つは照り焼きタレを塗した鶏肉団子。

これも美味かったので満足である。

食べ終わって外を見ていたかーさんは気がついた。

帽子を被ってはいるものの、あの後ろ姿に見覚えがある。

はっと椅子から腰を上げて走っていく。

近所に住む親しい婦人であった。

病院で出合う病いの話題。

ご互い、それぞれが病い持ちに花が咲く。

コルセットもでき上っていると思って、思い腰をあげて病室に行けば、調整の最中だった冨金原義肢製作の義肢さんがおられた。

担当主治医の指示を仰いでリハビリ担当の理学療法士も付いて調整してくれていた。

微妙な調整具合に何度も尋ねるおふくろの装着具合。

心地よい締めもあるが、背骨が曲がらないように締め付けも必要だ。

肩バンドの締めもあるし、腹バンドの締め具合も緩めではなくある程度のキツさが要る。

ベッドの上部を斜めに上げて装着する。

ほぼ座っているかのような傾きである。

コルセットは反り返るぐらいに締め付け調整。

座っても、横になっても痛くないようにする。

調整が終わってコルセット補装具の引き渡し。

満足できたところで現金支払い。

領収書に主治医意見書が手渡される。

その主治医意見書に書いてあった正式病名は「第6胸椎圧迫骨折」である。

何故に骨折に至ったのか・・。

それはわからないが、一般的に骨粗しょう症の人たちの場合はクシャミ、咳払い、寝返りがほとんどと聞いている。

骨はそれほど弱くなったということだ。

民俗行事の取材先の高齢者が話していたことを思い出す。

クシャミしたら骨が折れて3カ月も難儀したということである。

ちなみに入院当初に聞いていた入院は2週間。

その日数は安静加療であった。

2週間経ったらもう退院だと思っていたが、そうではない。

リハビリを重ねて退院したとしよう。

それで治ったということにはならない。

一般的な年齢の人であっても3カ月はコルセットを装着したままの日常の暮らしである。

高齢者はその倍の半年間も要するというのだ。

つまりは通院して身体状況の確認をする。

おふくろの骨は骨粗しょう症であるから半年間もコルセット生活になるということだ。

肌身離さずのコルセットは汚れる。

汚れたら洗う。

その場合は内部に納めている金属片を外に出す。

出さなくとも洗いは可能であるが、水分を嫌う金属片はできれば抜きだし。

どういう具合にするのですかと聞けば実演してくださる。

これならできそうだ、と思ったが、嵌めるときは逆向きにならないようにするのが注意点だ。

理学療法士が来るまではおふくろも昼ご飯。

今週のメニューによれば牛肉と油揚げが入ったカレーうどんであった。

ブロッコリーやカリフラワーの野菜サラダにフルーツヨーグルトで一式。

運ばれた昼ご飯にカレーの香りはない。

もちろんうどんもない。

寝たままのベッド生活では汁けのある食事は摂ることはできない。

ご飯は特別に作ってくださる三角おにぎりだ。

ソーメンは絶対的に無理。

箸を使って食べることが不可能。



そういう患者さんには串挿し食事。

それであれば片手でも口にもってこられる。

ただ、串挿しの奥の方は食べにくい。

座って食べるようであれば難なく食べられるが、寝たままでは串を掴む手の動きがままならない。

元気な人であれば、何してんのや、と云われそうだが、障害をもつ人にとってはそれさえ難儀するのである。

入院する前から食欲が少なくなってきたおふくろ。

結局、口にしたのは串挿しフルーツと1個のおにぎりだけだった。

えー匂いがする串挿しの牛肉。

ネギとか梅やきの炊いたんを試しにいただいた。

味付けは美味しいが、手元側に残った串挿し料理は私でさえ食べにくかったことがわかった。

ここ最近のおふくろは血圧が高めである。

入院するまでは一般的数値の血圧。

130もないぐらいであったが、入院してからはこれまで味わったことのない異常状態を感じてか、高血圧になってしまった。

そのことがあって病院食は減塩料理。

串挿しブロッコリーやカリフラワーの野菜サラダなんてものはまったく味がない。

味のないものは食べられないといって一切を口にしない。

時間帯は午後1時20分になっていた。

問題なく装着が終われば理学療法士によるリハビリ運動に入る。

足揉みが気持ち良いと声をあげるおふくろ。

膝曲げに蹴りを10回。

昨日までは5回であったが、コルセットをしたら倍の回数にする。

しかも力強いリハビリ揉み。

そうであっても気持ち良いと声をあげるおふくろ。

運動を終えて気がついたK理学療法士。

腰や背中を抑える道具が要る。

この日までは病院にある柔らかめのクッションをしていた。

もう少し張りのある堅めの座布団やクッションを持ってきた方が良いと伝えられた。

そういえば、私も入院中は腰マクラで腰や背中を抑えていた。

そのことを思い出した。

明日になるけどもってくるわと約束する。

痛みもまったくないようになってきたこの日の身体状況が嬉しい。

気持ち良い、を連発するおふくろの顔も嬉しいと云っている。

ちなみに理学療法士は2交替制勤務。

担当のKさんは大阪八尾。

おふくろの住んでいる大阪住之江もよくしっているという。

なぜにしっているかと云えば、通っていた大学(コスモスクエア駅・森ノ宮医療大学)があるというのだ。

なるほど、である。

以前の勤務地はここではなかった。

仕事は重労働。なんとか別の医療機関に転職したいと考えていたら、友人はここが良いと奨められて転職した。

それが良かったと笑顔で応える若者よ、これからもよろしくお願いします、である。

病院を離れたら次の行先は大和郡山市の市役所。

時間帯は午後3時半である。

地元の大和郡山でどのようなケアを考えておいたらいいのか。

相談する窓口はどこにあるのか。

おふくろが住まいする大阪であれば、住居番地を包括する地域包括支援センターになる。

それは9月27日に伺って解決した。

私が住まいする家で介助をしていくにはどの地域包括支援センターなるのか。

前日に電話で確認をとったかーさんの話しによれば市役所内にあるという。

課名は地域包括ケア推進課。

主な業務が地域包括支援センターと高齢支援係の二つ。

大和郡山の地域包括支援センターは南部にも数か所あるが、我が家の地番から云えば市役所内の地域包括支援センターであるとわかった。

門を叩いてお願いしたら職員が席についてくださった。

経緯は8月初めから始まる。

細々なことは省いて身体状況と療養地に入院した病院に大阪住之江の地域包括支援センターなどのことを伝えた。

特に相談すべきは認定区分の変更手続き。

それはここ大和郡山でなく大阪住之江になる。

つまりは住民票があるべき所の地域包括支援センターが担う。

そうだったのか。

主たるセンターは大阪住之江。

大和郡山の地域包括支援センターは大阪住之江からの委託を受けて動くということだ。

なるほど、である。

もう一つは私どもにとって考えておかなくてはならない施設とケアマネジャーである。

それについてはかーさんもそこにしたいと思っていた、住まい地に近いウエルケア悠が良いでしょう、である。

両者とも直ちに手配してくださるというからありがたい。

もう一つの悩みどころは長期不在になりそうな大阪住之江の郵便ポストである。

これまで週一ペースで住之江に出かけて必ず確認していた郵便ポスト。

ほとんどが宣伝パンフとかチラシである。

その中に埋もれそうになっている重要な通知書である。

今回の介護認定とかの通知は最も重要な通知書がどこかに紛れ込んだらエライことになる。

そうであれば、郵便物転送をしておけばいいのです、と云われる。

そうやったんや。

引っ越しで転居してしまう場合は転送をお願いすることは認知していたが、我が家で療養している場合も郵便物転送をしておけばいいのだ。

帰り道ついでに立ち寄った郵便局。

指定の用紙に記入してお願いすれば一週間後にはその手続きが実行されるようだ。

これで、一件落着である。

(H29.10. 5 SB932SH撮影)