マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

最近のおつまみ、といえばぬれイカ天でしょ

2024年09月17日 07時36分59秒 | あれこれテイクアウト
岐阜県が所在地の山栄食品が製造販売しているぬれイカ天が、めっちゃ旨い

業務スーパーに売っていた特価品。

今月限りだ、と思っていたが、翌月も特価売りのぬれイカ天

もう一品は、スーパーサンデイに見つけた広島県が所在地のスグル食品が製造販売するぬれイカ天味も旨い

甘醤油に漬けた味のイカ天揚げって、ほんま、美味い。

いずれも、お安い価格なうえに、味、食感がたまらんくらい旨い。

お昼と、夜飯の間に、口が寂しい時間帯につまみたい旨いか。

ぬれせんべいも旨いが、ぬれイカ天もめちゃ旨い。

どこのスーパーにでもあるやろ、と思ったら大間違い。

ほんま、売っているスーパーがないんだよな。

(R4. 3. 2 SB805SH 撮影)

意外に旨いニューヤマザキデイリーストア院内店売りの粉もんまんぷく3点盛り

2024年09月16日 07時45分19秒 | あれこれテイクアウト
コロナ禍、しかもオミクロン株まん延時代に入院は受け入れえくれるのだろうか。

いくら何度も・・・。

かれこれ数年間に5回も入院、退院をし続けてきたおふくろ。

こんどこそは無理かもしれない。

諦めは5%しかないが・・・・。

かーさんと二人並んで点滴室に待っているワケにはいかないお腹の空き具合。

こらえきれないほどのすきっ腹状態に思わず、飯食いに地下併設の院内コンビニに行ってくる、と申し出た。

私は、まだお腹が減ってないから、というかーさんに甘えて先に下りた午後1時20分。

院内コンビニ・ニューヤマザキデイリーストアにある惣菜コーナーに目を下ろした棚にあった。

たこ焼きが3個。

焼きそばを盛ったところにのせたお好み焼き。

大阪名物と、でもいいそうな粉もんまんぷく3点盛り
が498円。

生まれも育ちも大阪人。

今じゃ奈良県人であるが、代表的な粉もんで育った私には目が離せない商品だ。

この手の商品は、一律に旨いワケではない。

いちばんのアカンさ加減は油で決まる。

例えば、スーパーで売っている焼きそば弁当。

ほんまに不味い。

油のないパサパサ焼きそばなんてもんは喰えたものではない。

お好み焼きなんてカッチコチなのに堂々と売るスーパーに閉口、嫌気にうんざりすること多し、だ。

ソースの味も薄味。

大阪人の好みはこってこてソース。

マヨネーズもないお好み焼きなんて、お好み焼きではない。

そう断じてもいい、と思っていたが、ニューヤマザキデイリーストアの粉もんまんぷく3点盛りは凄かった



とにかく美味い粉もん3点。

粉もんまんぷく3点

むっちゅり旨い、ヤマザキデイリーストアの粉もんたこ焼き。

口の中に拡がる旨味ソースに絡んだたこ焼き。

蛸の存在がなくとも旨い。

焼きそばなんてすべりがよろしい。

パッサパサは喉が詰まる。

ところがニューヤマザキデイリーストアの焼きそばは違った。

見た目はもひとつだけど、むっちゃ旨いのである。

さて3点目のお好み焼きは・・・

とろっとするお好み焼き。

ほわっとした感じのお好み焼きなんて、初めてだ。

焼き加減が上手いんだろう。

そして味の決め手はこてこてソース。

別途添え付けのソースは甘タレの泥ソース。

もう少し辛めでも良かったのでは、と思うが、ニューヤマザキデイリーストアの粉もんまんぷく3点盛りは、もう一度食べたくなる味。

味替えに紅生姜もお役に立っているようだ。

キャベツ、豚肉などの具材の量は物足りないが、コスパから佳しと、しよう。

(R4. 3. 1 SB805SH 撮影)

緊急入院対応に感謝

2024年09月15日 07時47分41秒 | むびょうそくさい(おかん編)
3月1日の午前5時40分。

起床に先立ち、起きていたおふくろを優先。

さらにかーさんも続いてやっと私。

深夜にたいへんやったけど、どうと聞けばありがとう、もう大丈夫だと、いう。

それからもぐっすり寝たおふくろは朝の9時半に起きて、もう起きるといってトイレ行き。

どうも長すぎるので大丈夫かと声をかけたら便が、チョビチョビでているようで‥‥

あまりにも長いんで声をかけたら、おきられへん‼️。

トイレの扉を開けたら床に座り込んでいた。

手すりを両脇に設置していたが、うまくつかめなかってストンと座り込んでいた。

かーさんに助けを求めて2人がかり。

いったん便器の蓋に座らせて、両脇を抱えて救助。

足腰に力がはいらないようで、抱えながら老人車のハンドルを掴ませるのだが、親指はどうしても握らない。

ここで自力歩行は無理、と判断しなんとかいつも座っている座椅子を動かした。

午前10時半、椅子座らせ、検温したら38.8度。

かーさんが額に手をあてた感触では、えっと思うくらい熱くはない。

手が冷たい。

血圧135ー63。

心拍数が77に、立てない状態に救急するしかない。

救急車が到着した午前11時の検温は38.4度。

二人の救急隊員がかりに、両脇支えてストレッチャ移乗し。

下肢脱力歩行障害判断に当初は青藍病院行きを伝えたが、主治医がいる田北病院に指示。

到着時点の体温は38.7度。

コロナ感染症検査結果が陰性に、ほっとするが、数日間はちょっと心配も。

救急隊員の問診にふらついてバランスを崩したかも、と伝えていたから頭のMRI検査。

終えたそのころに吐き気のもよおし。

吐き気止め薬も点滴注入。



正午時間の12時20分。

吐き気があるのでCT検査も実施に入る。

ストレッチャ移動しただけも嘔吐したが、なんとか検査は終えた。

午後12時50分、医師の診断結果は異常なく。

おふくろの身体が動けないからなんとかならないでしょうか、に回答は個室も埋まっている満室状態ですから・・

肺炎など、発熱症状がある患者さんは、他の病院でも受け入れない、とニュースが伝えている。

おふくろの検査結果では、炎症もない。

発熱の原因がわからなければ、受け入れがたい。

いったい、どうしたらいいんじゃ。

午後1時50分、院内コンビニでまんぷく3点盛り。

食べていたときのかーさんからの朗報は入院させてくれはるって・・・

嬉しい対応に涙声。

ほんまに良かったなぁ。

点滴が終わるころ、圧迫骨折の疑いもあるので胸部ならびに腹部検査。

尤も、腰部のMRI検査後に病室移動は午後2時20分。

東館208号に本日入院日に限り、1人だけは入室できた。

それを聞き、東館向かう。

あれぇっ、前回の退院に、差し上げたあじさい写真。



休憩、或いは患者さんとの談話に、癒しの花に感じてくれたら、とナースステーションに提供したあじさい写真。

そう、この写真はおふくろが、令和3年の6月24日の退院日まで、病室に飾っていた写真。

私が撮った我が家の南庭に咲いているあじさい。

このあじさい以外にも、さまざまな庭に咲く花を写真立てに飾った。

ときおり入れ替えしていた庭の花の写真。

おふくろはもとより看護士さんや介護士さんらも楽しんでくれた写真の花。

役目を終えた写真立てごとナースステーションに提供した一枚が、ここにあった。

嬉しい出会いでもあるが、あれから再び入院したおふくろ。

一旦は、入院申込書とか問診票提出書類があるし、着替えなどもある。

なんせ、おふくろはすべてが2枚。

バッグなどに収納物明細札付けたバッグが四つもある。

再び田北病院に来た時間は午後5時半だった。



なお、入院が決まって病室に向かう際に出会った、川戸リハビリ療法士。

なんでも、3月12日を最後に田北病院を退職し、斑鳩町にある介護施設・訪問介護の職に就く、と伝えてくれた。

面接に髪の毛を短くしたというリハビリ療法士。

以前、入院中にもたいへんお世話になった病院相談員の一ノ瀬さんにも出会う。

田北病院の居心地がいいらしい。

午後3時、ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに緊急電話をかけた。

おふくろの状況、状態を伝えた。

状態が状態だけに骨折ではなさそうなので一週間様子みて・・

つい先月の26日に再認定介護認定の更新手続きに調査したばかり。

今からなら認定審査会は半ばか月末。

いずれにしても3月末までが要介護3。

介護認定の区分変更(※更新を待たずに認定調査を依頼する手続き)しましょ、と‥

(R4. 3. 1 SB805SH 撮影)

真夜中のトイレに危機的ギリセーフ

2024年09月14日 07時51分18秒 | むびょうそくさい(おかん編)
実質時間帯は3月1日の午前2時40分くらいか。

寝室に唸る声がもれる。

かーさんが悲壮めいた声で叫ぶ。

おかぁさんがトイレに倒れてる。

慌てて階段を降りた。

内側に開くトイレが動かない。

隙間から覗いて、すぐ状況がわかった扉側の壁。

顔は天井向き。トイレの土台と壁に挟まれ、肩がすっぽりに、どうにもこうにも動けない。

胴は横たわり足も動けない。

その状態で思い出す事故。

家の前の水路にスッボリはまっていた隣人のおばちゃん。

小林さんが水路にはまった状態。

肩、腕、身体ごとスッボリ。

なんとか肩を上げ上半身だけが座った格好。

膝を曲げ身体を抱えて脱出できた。

おふくろの状態も同じようなもんだが、下半身がトイレの扉を押さえて開きもせん。

少し押しただけで痛いと言うが、そこは無理にでも、なんとかするが、私の身体が室内に入れない。

かーさんは、細いから先になんとか押して入室したものの、身体を起こせない。

足、腰を引っ張る力がはいらない。

そこで私も入室し、なんとか少しずつ身体を挟まれた場から引き出した。

力がはいらない位置だったが、膝を曲げ上半身を起こし、身体を抱えて持ち上げ、便器の蓋に座らせた。

そう、蓋は閉まっていたから用をたす前の段階に倒れたのだろう。

トイレの真上の二階寝ていたかーさんが気づいた異音。

トントンの音が気になり下りていった状況に‥‥

トイレ室内に立てたおふくろ。

精神的に不安定。

立ったまま動けないというのはオムツだ。

便も尿もオムツが受け、外への漏れなし。

下半身がスッポンポンに、寒いが介助しながら廊下歩きは手すりつたいでなんとかベッドに座った。

身体は温い捨てタオルで拭いた。

暖房も入れた寝室ベッドに座り、水分補給。

落ち着きを取り戻したおふくろ。

どこも痛くないという。

小林さん同様に脱出できたが、実はである。

夜中の午前1時にもよおした私。

トイレに明かりがあり、なかからうっ。

いつもの状態に排便気張りだと思った。

待つこと15分。

我慢の限界に屋外に排尿。

スッキリした私は寝込んだ。

こんなことは時おりある。

時間が経てばようを済ませたおふくろは、ベッドにすやすや。

そうしているやろと思っていたが、そうじゃなかった事態にすまんかった、すまんかった・・ごめんよう。

このときの事件は、記憶から忘れないようメモした。

再びおやすみした時間は午前4時半。

今日の午後3回目新型コロナワクチン接種にでかけるかーさん。

問題なく接種できるだろう。

(R4. 3. 1 SB805SH 撮影)

ふり返る令和4年2月の介護まとめ

2024年09月13日 07時58分29秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

1日、おふくろ郡山療養中・・

たまたま元卓球クラブにいた六条に住む女性と出会った。

なんでも、すぐ近くに30人くらい許容する有料老人ホームが開所した、と伝えてくれた。

気になるコロナ・感染症の受け入れは最終的に医師の診断結果に委ねるらしいが。

そんな会話をしていた排便に怒りをぶち上げたかーさん。

云った通りにしないから軟便薬を増やした。

バナナも食べさせた・・ら、飛び散るほどの軟便状態。

なんで、そのことを伝えてくれないのよ。

そんな状態なら薬もバナナも食べさせないと、怒り心頭。

晩飯に赤からラーメン鍋を旨い、旨い食べたおふくろが、夜の10時の洗面後・・・かーさんを、また怒らせてしまった。

ごめんやで、と謝りたい、というが、怒り満々のかーさんは、寝床リビングは消灯に、1階からのられへんから声をあげたが・・出てこない。

謝っといてや、と私にいうが、自分のしでかしたことをなんで私が、かーさんに誤らなあかんねん、と返した。



4日、前日に電話をかけて住宅型有料老人ホームかさね奈良六条。

MRSA(感染症)について質問したら専門の医師が判断するらしい。

ネットによれば、1月21日に開業したようだが、これまで大阪中心に事業拡大した介護事業所。

今回、奈良事業を立ち上げ開業した定員29人のホームに、現在は20人が入居中。

順番に入れるような状況に、問い合わせた感染症判断。

資料送付と云っていたが未着。

家からすぐ近くなので自転車で出かけて入手した資料。

同封の利用申込書にかかりつけ医の名前を書いてもらったら、かさね奈良六条の担当医師が直接かかりつけ医に状態を確認するようだ。



7日、午前10時半から11時10分。

昨日の日曜版リクルートチラシに介護士など、パートタイマーも求めていた1月22日にオープンするかさね奈良六条小規模多機能型居宅介護住宅型有料老人ホーム。

エリアマネージャーのY介護支援専門員・介護福祉士。

なんでも、堺市・光明池郵便局近くの光明センター所属であるが、新規施設のオープン支援するエリアマネジャー。

大正13年生の祖母も入居に至ったのは父・母との口げんかに、とほほに疲れる孫のYさん。

かさね光明センターのホームに入所したらすっきり。

いざかいもなく、おまけに父に手を握ったとか・・・

応対にコロナ陽性者発症(入居者・施設職員)したようだ。

その対応に、他階に隔離。

1階に未感染者とした。

なおも発熱もなく咳き込みもない無症状に2類を外してほしい・・と。

そのため、面談は、今なお一切停止中・・・

一週間後に緩和する方向で調整中に全員のうがい励行。

ショートスティの受け入れは奈良市民に限る。

ハッピーガーデンの入居が決まるまでの入居は受け入れるが、入居にあたってはかさね奈良六条に住民票の異動など、確認し利用申込書を提出した。

20室の入居が決まれば直ちに入居できるが、その前には住民票を予め移しておかなければならない。

そういうことだから住之江の居住地は、すっからかんにしなくてはならない。

ただ、かーさんは3月末に転居したいと伝えていたが・・・

8日、前日に大阪から転送されたおふくろのワクチン接種券。

その確認を待っていた。

高血圧症の薬をもらうついでに訪院した上田診療所の予約最近日は2月28日だったが、金曜日はデイサービスと重なるので翌日の3月1日の火曜日、午後1時半に設定した。

また、かさね奈良六条のK施設長より電話があった。

見学日は、2月16日の午前10時に決まった。

9日、かーさんは、午後3時過ぎより3回目の新型コロナワクチンの接種。

角谷消化器内科医院の、その晩は何ともなかったが、察知して入浴はしなかった。

就寝中の痛みは、前回同様の筋肉痛。

翌日は予定していた卓球クラブは休んだ。

午後6時過ぎ、おふくろが訴える。

後頭部の左側がピリピリする。

左耳の上辺りが、ピリピリ痛むと訴えるが、神経系なのか、ようわからん。

今まで頭が痛いと訴えたことのないおふくろ。

平熱だし、しんどいこともない。

本人曰く、ちょっと寒かった、といってベッドに横なるわ。

いつもの通りに布団を被った午後6時半。

ちと心配だが、カロナール錠を服用したので様子みるしかない。

午後7時半、具合はどう?に返答した。

お腹が減ってきたように思えて起きたおふくろ。

まずトイレ。

揃ったところで晩めし。

スーパーラ・ムーで買ってきた甘酢餡つけの鶏天にぶつぎり生食タコを絶賛した。

パクパク、パクパク・・・

食べる、食べるし、箸がとまらん。

気を良くして食べたおふくろ。

満足しきった午後9時。

再び、痛いと訴えるおふくろ。

おそらく、鎮痛剤の効き目が切れたのだろう。

さらに、1錠服用したカロナール。

洗顔し、午後10時半には寝床入り・・・

ピリピリする痛みは、私もなんどか症状が出たことがある。

原因は、まったく心当たりなし。

しばらくしたら、痛みは消える。

アレは何だったんだろうか。

10日、午後4時半、座っていたおふくろが、訴えは痛くなったので、と要求する。

今日も、カロナール錠を服用し、横になって寝ていた。

私がジムから帰る前にトイレ起き。

トイレから出てきて、再び鎮痛剤を要求するが、ついさっき呑んだばかりよ、とかーさん。

伝えたら、そうかな?とキョトンとしていたらしい。

認知症が酷くなったのか、それとも・・・

で、再び横になった午後6時。

食事時間の午後7時半に声をかけたら、しんどくはない、という。

痛みもないけど、食事はせーへん、と言って再び眠りについた。

おそらく鎮痛剤が効いているのだろう。

午後11時、私ももう横になりたいので、声をかけたら痛くない、という。

トイレに行きたい、というおふくろ。

念のためだが、かーさんが用意してくれたカロナール錠とお茶入り水筒。

万が一、痛くなったら呑みや、というて、トイレから戻ってベッドに横になるまで看ていた。

11日、朝4時過ぎのトイレ終わりに、腰貼りホカロンをしたい、とリビングにトイレ待ちしていた私とばったり。

貼ってあげたら、また横になって寝た。

幸寿苑行きは、今日じゃない、と思っていたが、起床に痛みなく、薬は飲まなかった。

そんなこれで、幸寿苑のデイサービス中も痛くはなかった。

ところが、戻りの車に乗る際だけ、ピッときたらしい。

入浴は、といえば入ったかな?

着替えしているから入ったんでしょうょ。

うーん、認知が進んでいるような・・気配を感じる。

夜9時半過ぎ、かーさんが尋ねた。

どうもピリピリでもなく、ここらあたり、と云った箇所は肩。

肩こりしてるんでは、と思うから湿布貼って、とお願いしとる。

午後10時過ぎ。

後頭部の痛みは、治まったが、今度は前頭部が痛い、と訴える。

今夜も、カロナール錠の要求に、寝る前に呑んでもらった。

15日、便意をもよおす回数が増えつつある。

昨日は幸寿苑で、もよおし。

おむつを交換してもらった。

晩にももよおし。

今日も数回のもよおしに、食事の量とか内容も気にしつつ食事を摂ってもらうが、煩雑になる前に服用したいラッパのマークで有名な大幸薬品セイロガン糖衣錠をウエルシアで買ってきた。

午後10時半。

トイレも洗顔も済ませてベッドに。

そのときに話し出した今朝のこと。

午前5時だったのか、6時だったのか、記憶にないが、トイレに行こうとして起き上がった。

そのときだ。

以前もあったベッドに敷いていた毛布に滑って畳床に・・・

座り込んで、さてどうするか。

毛布も掛け布団も、下にずり落ちたそこに座ってもうた。

なんとかせな、と手すりに支えた建具に、なんとか立てたようだ。

そやからちゃん、とベッドにお尻をむけたか?

お尻の位置が、深く入ってなかった。

ちょいのりくらいの腰かけ。

これが甘かったようなことを話すが、ようまぁ独りでなんとかできたんやな。

16日、かさね奈良六条のK施設長。



施設見学は午前10時から11時15分。

食堂インテリアは、最新のカフェ或いは、レストランのようだ。

入所施設の今は、こういうレベルまできてるんだ、と感心した。

機械浴はすべてが自動。

職員一人が就いて入浴介助。

個室にはトイレがなく、できるかぎり食堂などに行ってもらうために、廊下には、2室のトイレも完備した。

最新型の非常時コールは、無線呼び。

認知症患者さんなどが、自由に出入りしないようセキュリテイはガチガチ。



ある意味、至れり尽くせり感がある。

晩食を食べ終わってからおふくろが訴える左脇下が切れたような痛さ。

身体を見たかーさん、特に炎症、赤みまったくなし。

先日にも発症した左耳のピリピリも同じ神経系統によるものと判断したら、安心したもようだが・・

18日、今日は、確定申告生前整理に出かけた。

23日、寒がりになったおふくろ。

いつも靴下は2枚履き。

当然左右にそれぞれの左足、右足に分かれるが、それがなんと・・・

左も右も右足に履いた2枚履きの靴下。

施設入居に認知症検査結果が間違いない。

午前10時、住宅型居住老人ホームウエルライフあかりに受付相談。

M精神健康福祉士からお話を伺う。

いむら系列のウエルライフ。

過去、はじめて要介護認定を受け、お世話になったウエルケア悠・ケアマネージャーのFさん情報がある。

施設から、例えば田北病院に通院は可能。

住居異動は老人ホームに移すことも可能だし、我が家に同居世帯主住所にするのも可能。

およそ20万円の費用になる。

コロナ禍が縮小した場合は、家族さんが外出させることは可能。

介護付きホームであれば23万円。

外出は不可。

医療情報コピーを提出し、医師の診断待ち。

26日の電話は、医師判断不受理だった。

午後2時、チャームやまとこおりやまを訪問したが、コロナ感染者が発症した関係で、予定していた見学は中止になった。

午後2時15分、ここも訪問しよう、お願いした大和園りおんの見学。

施設半分は、他地区から訪問するディサービスを受けて、リハビリ運動中だった。

24日、深夜2時におかしい動作。雰囲気がどうもおかしい。濡れているような、と感じたおふくろ。

失禁ではないが、夜尿症みたいなものか?

気づいたら、こうなっていたらしく、おむつパンツも下着も履き替えた、という。

起床時に、かーさんに伝えた尿もれ。

したか、してないかの認識がないのなら、これも認知症や、と・・・

大阪市認定事務センターより届いた介護書類。

要介護・要支援認定申請を受理し、仮の介護保険暫定被保険者証が届いた。

大阪市から委託先の調査員を手配し、調査日の決定伺いをします・・と連絡があった。

26日、大阪市委託再認可調査に居宅介護支援事業所のN調査員から連絡があったのは二日前。

この日の午後2時に、来訪することになった。

この件については、大阪におられるケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんが手配、調査員を委託していた。

つまりは、本来なら居住地の大阪・住之江の調査員であるが、再認定に申請した大阪市介護支援センターが、療養地の奈良県ということで委託された事業所。

大和小泉の居宅介護支援事業所、「想花(そうか)」の担当者のNさんが来てくださった。

調査員が我が家に来訪されて身体状況などヒヤリング。

実際の動きなど、実態を確かめた午後3時。

場は、ディサービスを受けている幸寿苑に移動され、調査するそうだ。

また、通院している主治医にも面談され、再認定意見をもらうようだ。

2件の調査結果がそろってから、月1回月末ころに行われる再認定会議を踏まえて、介護認定が決定される。

28日、今日の最高気温は、今年最高の14.6度。

ジャンパーが、不要な温かさ。

日和の風もなく穏やかな日だった。

この日も、施設の見学。

藤村病院系のサビース付高齢者住宅(サ高住)おだやか。

午前10時に伺った。

施設長はY氏。相談応対に入居。

昨今、悩ませている喀痰検査に感染疑いのMRSA・・・

当施設は、内科が主な藤村医院の系列施設。

病院長の判断は、午後に伺うので結果はすぐにわかる、と云ってくれた。

電話は午後4時15分、結果がオーライにほっとした。



施設長が案内した部屋は、決まった入居者であるが、まだ入居していないことから、部屋を見学させてもらった。

管理者コールSWは別途購入らしい。

西の窓から見える大和の郡山城の枝垂れ桜が見える、特等席のえー部屋。

数年後には踏切を渡るトンネル工事を終え、開通したら全景が見え、眼下は金魚養魚池。

食事を摂る量は少ないらしく、例えば朝食を抜く人も。

聞いてみれば、嗜好の具合で“てんやもん(※店屋物)”とか、コンビニに食を求める人も。

近くの弁当販売にすたこら出かける人もおられる、みなが自由な施設。

常時、図書館に詰めている学びの人もおられる。

ディサービスに、藤村病院の施設に行く人もいるから昼間の食堂は7~9人。

少ないほうだ、という。

食堂で食べる人もおれば、室内に籠って食べる人も。

ほとんどの入居者は仏壇も持ち込んでいる。

室内に入れてはいけないのは火がでる道具。

蝋燭、線香、マッチなどなど・・・

ホットカーペットの持ち込みも可能。

浴室は拝見できなかったが、全体通して施設長の人柄もあり”おだやか”な雰囲気だと思った。

ディサービスから戻ってきたおふくろ。

幸寿苑での出来事である。

急にもよおしてトイレに入ったが、半分出た、と・・・

まだ、出るかも、と男性のケアワーカーさん?が、見かねてかどうかわからないが、お尻を両手で力を入れ絞ったら、しばらくしたら出たようだ。

かーさんは、明日のコロナワクチン接種の3回目。

排便が、停まっていたので便秘ストレスによって体調異常にならんかな、と心配していたがほっとしたようだ。

(R4. 2.16、28 SB805SH 撮影)

令和4年のならみんぱくのひなまつり

2024年09月12日 07時34分26秒 | 民俗を観る
今年も開催された県立民俗博物館の企画展。

2月から3月にかけて展示されるひなまつり。

2月12日(土)よりはじまった展示は「古民家でひなまつり」。

展示会場は県立大和民俗公園内に施設化した古民家。

無料で入場(座敷不可、土間まで)、拝見できる古民家施設。

今年もまた、旧臼井家住宅地。

公園に入ってすぐ左。

古民家建物がすぐ見える。



会期は、先行している関係から、3月6日(日)まで。

閉園時間近くになれば、そのアナウンスがあるから、よく耳を澄ませてね。

一方、大物は県立民俗博物館の本館展示。

「古民家でひなまつり」より、一週間遅らせた2月19日(土)から3月27日(日)までの期間展示。

会場は本館だから、午前9時から午後4時までの展示する「博物館でひなまつり」。

今回は、京都芸術大学が協力している。

授業に民俗文化財の修復実習作業。

長期間に亘った修復期間。

立派な御殿雛は、江戸時代に近畿圏で広がった雛飾り。



京都御所を見立てた御殿に雛人形を飾る。

戦後においては、百貨店や人形店で販売される雛人形は、段飾りが主流を占め、御殿雛は見られなくなった。

展示の御殿雛は、御所市寺内町の豪商の家に江戸末期から明治時代を経て昭和6年まで受け継がれていたもの。

幅約4メートルにもおよぶ大型の御殿雛に圧倒される。

経年劣化が進んだ御殿。

木部の破損やゆがみ、接合部の緩み、襖や障子などに紙の破れなどが見受けられ、修復は、それぞれの素材に応じた修復技術が必要になった、と授業生は語る。

当時、担当した学芸員から、聞いたたいへんな作業


その一部が、ネットに公開されている。

館内入館に観覧料金は、大人が200円に大学生は150円。

なお高校生以下および65歳以上は無料。

現在は、古民家に一部展示。

御殿雛などの大きな展示物は、毎年において収蔵庫より選択し、よりテーマに沿った展示をしてきた。

毎年の展示を愉しみにしている方たちは、実に多い。

かつて私ども民俗を撮るカメラメンが展示してきた「私たちがとらえた大和の民俗」写真展の展示期日をどうするか、検討した結果、入館が多い時季に合わせたこともある。

それが、ひな祭りの期間だった。

今回、最後になった「私たちがとらえた大和の民俗」古民家写真展も、その時季に寄り添うかたちで、展示日を決めた。

まぁ、早い話がひな祭り企画展に便乗したワケであるが・・・

只今、10回目になる「私がとらえた大和の民俗」写真展の仕掛中。

令和4年、今月の2月23日(水・祝)から3月27日(日)までの期間。

展示会場は、旧臼井家住宅地から、歩いてすぐ近くの旧荻原家住宅ならびに旧赤土離れ座敷。

古民家活用の写真展は、今回が2回目。拝見された方々も、私たちカメラメンも、古民家展示に助けられた。

風情のある古民家の屋内展示。

おそらく、日本全国において古民家屋内展示したのは県立民俗博物館が初だったろう。

これまで何度も議論した古民家活用。

実行できたのは、本館の耐震工事であった。

本館の工事中は一切すべての展示もできない。

ならば、と決めた古民家活用。

本館工事を終えてリニューアル展示をした県立民俗博物館。

導線を広げ、明るく見やすいようになったリニューアル展示。

これまでの暗いイメージから脱した


ただ、残念なことに、私たち大和のカメラマンが学芸員とともに活動してきた写真展は、今回の第10回をもってラスト展示。

県立民俗博物館の意向によって幕を閉じる


さて、本題は「令和4年のならみんぱくのひなまつり」である。

先にあげた京都芸術大学が協力し、京都御所を見立てた御殿に飾った雛人形。

細かい部分を拝見。



衛視の立ち姿を観るのも、また愉し・・

古風な内裏雛を観るとき、いつも頭の飾りを観てしまう。



どことなくわかりそうな享保雛に古今雛。



私が尤も被写体にしたい麗しき内裏雛。

一つは、江戸時代ものの内裏雛は川西町結崎。

天保七年の作は奈良市の秋篠からもある。

2体を見比べていると、どことなく顔の表情が硬い、柔らかいにわかれる。

作者、或いは工房の違いであろう。

今回の展示にいちばん興味を惹いた雛人形は、陶器製の立ち雛。

京都でつくられたとされる立ち雛であるが、壁に立てることなく、寝かせた状態で展示していた。



手前に並べて展示していた紙製の雛人形は、私が入手してきた五条市南阿田の吉野川流し雛。

行事の一環に地域の婦人たちがつくった流し雛。

いずれも現地で購入した手つくり流し雛
である。

一事例に、県立民俗博物館に寄贈した流し雛が、ここに展示していた。

今回も、また展示企画は横山浩子学芸員。



本日は、新聞記者の来館に、令和4年のならみんぱくのひなまつり取材を受けていた。

ちなみに、私がアップしたFBに、この立ち雛を、画面で観ていた知人のFさんから、「誰の作品ですか?」と、コメントされた。

「上段の立雛ですか?それとも下段の千代松紙でつくった紙雛のことですか?いずれにしても作者はお会いしたことはありません。立雛は京都の立雛作者。作風でネット探しましたがわかりません。紙雛は行事が行われた五條市南阿田に住む婦人たちがつくっていた竹舟とセットした紙雛」、と回答したら、「下に作者名をいれてほしかったです。いずれにしても素晴らしい作品です」と、返答された。

わかるものなら作者名は記載したいが、特に上部に配置した京都の立ち雛。

頭も衣装も陶器製。

手持ちに事例がない。

返答はしてみたが、もやもやが残る。

作者は、おそらく工房集団ではないだろうか。

300年前に造られた仏師が製作したと考えられる伏せ鉦が、後世に残されている。

例えば、「室町住出羽大掾宗味作」とか、「西村左近宗春作」の銘を刻印している打ち鉦である。

民俗史料など手掛かりは持ち合わせていないが、おそらく代表仏師の名を刻印したのでは、と思っている。

世にたくさん見られる(※残されている)鉦は、全国に散らばる。

大量に製作した可能性も否定できない。

あくまで推定であるが、独りコツコツした製作作業でなく役割をわけた集団作業では、と思っている。

横山浩子学芸員の話によれば、展示に回答のできない明治期にしているが、実は江戸期だった、という。

たぶんであるが、時季も、製作場所も不明。

工房集団で造りこんだ立ち雛ではと、推定されている。

工房であれば、作者の名は表に出ない。

実は、展示した立雛は学芸員が、個人的にあるところから買ってきたと話す。

大阪のある文化施設に展示していた京都の立雛の出里は、奈良・橿原の豪商宅にあったそうだ。

ただ、その豪商がどのような手段で入手したかは謎である。

あくまで推定であるが、当時は豪商が大量に買い付けて、なんらかの祝い事に配ったのでは、と・・

大阪の展示でわかった大量にあった、という立雛は同形。

つまり大量生産する工房があったからこそ、それが可能だったことと、配る風習があったことによる立雛の生い立ち・・・だから作者の名はわかりようなく、文書も遺されていない。

つまりは、回答できない江戸時代に生産された陶器製の立ち雛。



気になるものだから、その後に再度調べたネット情報に立ち雛はみつかるのか・・・

ニッポン放送がNEWSONLINEに公開していた「雛人形が江戸時代に立ち姿から座った理由とは?~雛祭りの歴史(1)~」

平成30年の2018年1月19日から3月11日の期間に開催。

「井伊家伝来”砂千代姫のお雛さま”を、ホテル雅叙園東京の”百段雛まつり」に展示。

その一部を紹介しているニッポン放送のNEWSONLINE公開。

お雛さんの姿、形の変遷、文化歴史がわかる。

当展示に立ち雛があったが、横山学芸員は持ち込み展示した立ち雛とは、また違う。

ちなみに、立ち雛は、江戸時代以前からあった、とされるそうだ。

記事にあった立ち雛は和紙でできていた。

頭部は、丸いが、装束部分は扁平。

自立できない紙つくりの立ち雛。

やがて時代はかわり、和紙つくりから布に移った。

以降、装束は豪華になっていく・・

そう、「立ち雛タイプの雛人形は、お雛様のルーツ?座雛と立ち雛との違いと成り立ち」伝えるブログ記事もある。

お雛さまのはじまりは、立ち雛から・・。

「人形(※ひとかた)に成形した立ち雛。紙に神霊の代わりに据え、災いは川に流す」。

つまりは五条市南阿田の吉野川流し雛に相当する


「千代紙で作ったお雛さんを流して罪や穢れを流して祓い清める」。

まさにそうである。

最近、販売されている立ち雛の姿を見てみよう。

京都の木村桜士堂がネット販売している立ち雛は御所立雛。

江戸時代のような風情は消え、現代的な様相。

今の時代に好まれる、どっちかといえばアニメチックかな


山形県の人形の栄光も立ち雛を販売しているが、こちらも現代風

「雛まつりの起源は、上巳の節供という三月のはじめに行われた祓いの行事。紙など簡素な素材で作った人形に、人間の穢れを移し、水に流すなどして処分した。立雛は祓いに用いた形代の人形から発展したと考えられ、その歴史は坐雛よりも遡る」と解説していた京都国立博物館・文化遺産オンラインがヒットした。

横山学芸員が、持ち込み展示した立ち雛に、より近い存在。

右手にある立ち雛が、まさしく同等レベル。

モノクロ画像であるが、カラーの彩りが蘇ってきそうな立ち雛。

文化遺産オンラインに見つかった同等レベルの立ち雛の時代は表記されていない。

似ている立雛に古式立雛を並べて比較。

古式立雛よりも、さらに年代は遡るのでは、と推定した立ち雛の様相に感動、感動である


(R4. 2.19、20 SB805SH 撮影)
(R4. 3. 5 SB805SH 撮影)

本日は、おふくろの確定申告ついでに行う生前整理①

2024年09月11日 07時37分02秒 | むびょうそくさい(おかん編)
本日は、おふくろの確定申告。

申告資料のすべてがそろい、計算もできた。

行先は、申告会場の大阪・住之江区役所であったが、会場が替わっていた。

区役所は、市民税・府民税のみ扱いに、確定申告は住吉税務署に移った、とわかって、急行するも税務署の駐車場はストップ。

すぐ隣地にある住吉大社南駐車場利用に移っていた。

バタバタしたが、ラクラククリアーした確定申告

お昼の食事に、かーさんが大好きな大阪ふくちぁんらーめん南加賀屋店

食後に動くおふくろの生前整理。

住まいする大阪市営住宅の4階居住室。

おふくろが、ここ4階までの階段の上り下りをした最後の日。

令和3年の10月28日だった


無理だろうと、思っていたがいとも簡単に上り下りした。

あっけにとられたが、ここでの階段もあるが、住まいで一人暮らしは、とてもじゃないが無理。

我が家で療養していたが、すべてがかーさんの負荷、重荷になっていた。

施設への入所も了解したおふくろ。

未練はないが、心のうちは・・・

決断してから、数カ月。

その意思はかわりない。

そんなアレやコレやで、少しずつはじめた生前整理。

2月18日の大和川団地。

1階の住民らが目の肥やし、いや、癒しの庭園に華を咲かせていた。

籍、住民票はまだ移転していない。

1階にある郵便ポストは、相変わらず。



蓋を締めるワケにもいかず、そのままの状態に、ポスティングばかりが溜まる。

郵便は、便宜上、我が家に移送する手続きはしているから、一応は安心しているが、ここに来るたびに整理しなくちゃならんポスティング。

裏面が、磁石であれば、ソレは持ち帰る。

何かと便利に使える磁石シートがいちばん多い水漏れ対応の便利屋。

介護用の手すりは買い取り。

なんとかせな、と外しかけた固定ネジ。



次男が残していった電動式ネジ回転・インパクトドライバーで外そうとしたが、コツがわからんから諦めた。

そのまま捨てるワケには、もったいない。

なんとかしたいネジ山を潰さないように・・・

無理して、強引にやっても、ネジ山が完全に潰れたら再利用できない。

どうせ、最後の最後の日には、業者がなんとかしてくれるだろう、と判断した。



大おばあちゃんの位牌。

仏壇とともに我が家に移送したいが・・・どう、対応するのか、まだ決めてが見つからない。



来月には購入先の仏壇屋さんに相談し、その回答にしたがう予定だ。

さて、本日の生前整理は、たくさん。

軽バンに詰められるだけ積載しよう。

住まいから運び出したチェスト。



衣服かけに入所先に移す地デジテレビを載せてジャスト。

停めていた団地パーキング支払いに1時間超えの400円だった。

(R4. 2.18 SB805SH 撮影)

木津川市加茂町銭司・春日神社の遷宮仮宮期の勧請縄かけ

2024年09月10日 07時39分24秒 | もっと遠くへ(京都編)
昨年の暮れ、写真家のKさんから誘われた民俗行事の取材。

その地は、京都府木津川市加茂町の銭司(ぜず)。

宮小谷に鎮座する春日神社の年中行事の一部。

過去にも、何度か訪れては拝見していた境内一面に撒く砂撒き。日にちが経過していても、痕跡はすぐに消えないから、どのようなカタチにしているのか、理解できる格子状仕様の砂撒き。

作業の在り方の全容がようやくわかってきた宮小谷の春日神社

作業に入っていた長老が伝えてくれた、我が家でもしている、と・・・

ありがたく取材させてもらった大晦日の日に行うお家、民家の砂撒きも拝見していた加茂町銭司。

正月行事に勧請縄かけもされている。

勧請縄も、かけている状態なら、2度も拝見していたが、どのような方法でかけるのか、未だわかっていなかった。

奈良・大和にはない形式の勧請縄がようやく拝見できる。

朝早くの時間帯に集まってくる、と聞いていた。

同行のKさんは、霜が降りてこないうちに到着した、と話していた。

ここ銭司の春日神社に停められるのは、数台の軽トラ。

しかも四駆の軽トラが要りそうな渓渡り。

渓にあたる地は狭い。

オフロード車で渡りたい気もする一段と高い地にある広地に着く。

停めたすぐ傍に地蔵尊を祭っている。

ここ銭司にきたら、必ず手を合わせる地蔵尊


錫杖をもつ地蔵石仏は中央に一体。

両サイドに、双体の石仏もあれば、その脇にも一体石仏を並べている。

しめ飾りに、高野槙もあれば樒もある。

正月三日の参拝に賽銭も数多い。

車を停めて山道的参道を行く。

一段、あがったそこに今日の勧請縄かけに集まった人たち。

令和四年勧請縄奉仕者名に、東頭(※かつて東座)が4人。

西頭(※かつて西座)の7人の名があった。

名はともかく、平成30年1月6日に訪れたときと同じ人数だった。

社務所内に明かりが灯る。

今年の春日神社は、造営事業中。

社殿工事にために神さんは、一旦遷され、現在は社務所に設置した仮宮にいらっしゃる。



正月参拝も、例年と違い、社殿向きに門松を立てるのであるが、遷宮仮宮期は神さん坐います社務所側に門松。

参拝の方角は逆転している総代ら代表者に許可を得て、遷宮仮宮期に供える神饌御供を撮らせてもらった。



尤も、仮宮全体は遠慮し、御供を並べている状態を撮らせてもらった。

燈明は、早くに灯していたからか、あと僅かになっていた。

さぁ、これより始まる作業は、勧請縄つくり。

まずはモチ藁のシビ取り。

一般的には、台を据えて、稲藁を置き、横槌で藁を打つ。

ゴミ、埃も払うシビ取り作業。



ここ銭司では、参道両脇に立つ杉の木に藁束ごと手にもって。樹木の木肌にビシ、バシ、水平横打ち。

横槌無用のシビ取りに、騒然とする。



人数が多ければ、多いほどシビ取り時間は短縮する。

平行作業に四方に編むようなカタチにするため、ロープを用意する。

長さを測ったロープを2本。



3セット並べて長さを保つ。

ロープ括りを施して四方に広がるようにする。

シビ取りが終われば、縄つくり。

水平に保ったままの藁束に、藁束を突っ込んで捩じる。

掴んだ藁ごと捩じり。

先端に藁束を重ねて、藁をつぎ足し、つぎ足し右、3本撚りに捩じって左結い。

その際、心棒になるロープを巻き込むように、依っては捩じって締め付ける。

この作業を繰り返して、長く太い勧請縄をつくっていく。

ベテランの技であろう。



太い勧請縄が出来上がるころに運ばれた「モッソ」。

モッソと云えば、蒸したご飯を容器などに詰めて仕上げる御供が、一般的に見るカタチであるが、銭司では、ご飯はなく、大きな塊のオヒネリがある。



枝付きの青竹。

白い奉書で巻いた細めの竹は御幣。

大きなオヒネリの中身は洗い米。

見た目でいえば、フグリのように見えなくもないオヒネリ。

勧請縄の頂点に御幣を挿す。



豊作祈願に洗い米。



ロープを足したそれらは四辺形になるよう網目のように組む。

一方、サカキはヒラヒラの御幣、二幣を結び目に挿して固定していた。

これらが揃ったところで、参道に自生する樹木にかける。

長い梯子を据えて、高い位置に。



両端を左右にそそり立つ樹木の幹に廻して括り、固定する。



網目の下部分は、車の通行の邪魔にならない程度に切断し、完成したら太鼓を打って無事にかけたことを告げた。

こうして勧請縄をかけ終えたら、1年任期の村神主が勧請場に就く。



村人たちは整列し、まずはお祓い。

勧請縄を修祓し、祝詞を奏上。



村の安全、安寧を願い、祝詞を奏上して終えた。

午前8時に集まり、縄つくり。

と、同時に縄かけ。

神事を終えた人たちはここで終えた。



1時間余りの短時間で終えた銭司の勧請縄かけ。



かつての勧請縄をかけは、ここではなかった。

この参道を少し下った、地蔵尊がある駐車寺に戻るまでに下り道があった。

下った山道に寺と出会う。

その寺院は、真言宗智山派無住の福田寺。

その間にあった馬場道架け道にかけていたようだ。

そこが、元々の参道道。

もちろん歩きの参道道。

場が荒れて通れなくなった。

歩きも危険、と判断し、神社すぐ下の参詣道に移した、という。

その危険性を報せていた通行止め・立て札を見たのは、昨年の令和3年の1月3日に立ち寄った日だ。

ネットに見つかったブログ「愛しきものたち」に掲載していた銭司・春日神社の勧請縄

撮影は、平成20年2月16日。

その場の参道は樹木の根っこが向き出て、ゴツゴツしている処である。

ロープの長さは、それほど長くない。

通行に邪魔にならんような位置にかけている。

しかも、地蔵尊がある広地(※現駐車場)にも、四方形の砂を撒いていた。

また、度々紹介してきたブログ「歴史探訪京都から ~旧木津川の地名を歩く会~」の記事にも、現在とは違った参道にかけてあった勧請縄。

こちらも参道にあたるくらいの長さ。

また、四方形の砂撒きは、参道にも撒いてあった。

このブログによれば、かつて砂は木津川砂州から採取していた、とあった。

撮影日は不明だが、2012年1月3日とあるから平成24年の記録であろう

さて、かけた勧請縄から離れようとしたときに目に入った道具。

やや曲線にも見える自然木で作られた木製の梯子。



これも暮らしの民俗だけに、映像に遺しておきたい木製梯子。

高さが低かったようで、本日は使わなかったようだ。

その近くにあった山野草の葉。



自然観察会の参加していた奈良・大和郡山の矢田山山麓に見つけた葉っぱと同じ。

冬の時季は、葉だけの植物であるが、春から初夏にかけて花を咲かすその花は、ギンラン、それともキンランでもなくコクランではないだろうか・・

(R4. 1. 3 EOS7D/SB805SH 撮影)

小正月習俗から天理の山々にかかる勧請縄調査行脚

2024年09月09日 07時27分10秒 | 民俗あれこれ
今日は、わりあい早い時間帯。

朝から立ち寄り民俗取材をしていた田原本町富本・富都(ふつ)神社。

小正月の1月15日に行われる「枇杷の葉」を添え。



その葉にのせた食は小豆粥。



前日のとんど焼きに派生する燃えた炭を持ち帰る。

その炭は、竈の火点けに用いる。

支度するのは、翌朝の15日。

つまり、小正月に炊いた小豆粥を、地域の、例えばここに田原本町富本に鎮座する富都(ふつ)神社に供える。

炊き上げた小豆粥は、ご家族みなが朝に食べる。

そのような事例は、奈良県内の地域それぞれで行われていたが、徐々に消えていった。



ここ、富本も今や2軒が続けている、と教えてくださったA家に、神社に供えた枇杷の葉のせ小豆粥御供を撮影。

そのお礼と報告をしていた。

時間帯はお昼。

近くにある台湾料理を提供するお店で食事。

さて、午後の時間帯にどこへ行こうか。

15日の小正月行事を中心に、同行していた主に滋賀の民俗をとらえてきた写真家のKさんを時間のある限り、奈良の民俗行事を紹介することにした。

はじめに紹介する地は、県東部の天理市。

東へ、東へ向かった先は天理市の豊井町。

今年もしてはった小正月の日に荒起こしした苗代田のカヤススキ立て。

これまで、と同じように苗代田に正月御供。



小豆粥と蜜柑ものせた正月餅御供。

奈良県内に、おそらく唯一ではと、と推定している豊井町の小正月習俗。

この日に荒起こしした苗代田に立てたカヤススキ。

それだけでなく、小豆粥と蜜柑ものせた正月餅も供えている。

毎年に見ておきたいO家の貴重な民俗行事。

同行していた写真家のKさんも初めて見るあり方、景観に感動していた。

さらに、山間地にも足を運んで、調査する小正月の行事、習俗を案内していく。

次の目的地は、天理市長滝の勧請縄。

小正月行事でなく、二ノ正月はじめの行事だから、架ける場所でも、と思ってやってきたが・・・・・・・・・集落入口あたりにあった。



なぜにあるのか、頭が混乱する。

可能性として考えられることは、コロナ禍によるまん延対策を講じ、座など密集を避け、限られた人たちで、例年とは異なる日程をもって行われたのでは、ないだろうか。

長滝の二ノ正月行事は、例年2月5日に行われる。

正月ドーヤ
に続いてマトウチ、鬼打ち

そして、集落入口にかける勧請縄かけ。

平成22年に訪問。

その一連を取材してきた




入口に見つけた勧請縄をしり目に、そこより奥になる集落に向かう。

広地に車を停めて坂道を登る。



急な坂道だけになんども一服せざるをえない身体状況。

Kさんに見てもらいたかったY家のカラスノモチ

お家の前にある柿の木にぶら下げているだろう。

と、近づいたが、なかった。

以前、来訪したときの話。

正月が明けころになれば、梅の木に移し替えると聞いていた。

ここよりさらに登った山行き。

どこにあるのか、さっぱりわからぬ梅の木は見つからず・・・

後に聞いた話によれば取りやめたもよう。



山の上の方から眺望した長滝の集落。

消防団の火の見櫓が見える。

竈か、お風呂か、どうかわからないが、暮らしに必要な煙が見える。

思わず頭に浮かんだ「高き屋に のぼりて見れば 煙たつ 民の竈は 賑はひにけり」(※新古今和歌集 賀歌 仁徳天皇御歌)

ここにずっと佇むワケにはいかず、先に目指したい次の目的地は、天理市の苣原町(※ちしゃわらちょう)。

一年に2回もかける苣原勧請縄。



年末の12月16日にかける房の植物は松の葉。

年が明けた2月の6日にかける植物は樒(※しきみ若しくはシキビ)の葉。



12月の松は神事ごと。

それに対して2月は樒だから仏事。

つまり神仏習合であった時代を反映する松の葉と樒。

小正月の本日にかけている勧請縄は松葉1種の房飾り。

数年前に訪れた平成25年の2月24日は、松葉に樒の葉。

房飾りは両方ともかけていた。垂らしたロープが2本あるから、明白だ。

その状態を拝見するには、1カ月後の2月6日。

村の都合で、前後するかもしれないが・・・



そして、ここへ来たなら2体の摩崖石仏が拝見できる



スロープ上になっている急坂は旧道。

登ればわかるだろう。



さて、苣原町の勧請縄を拝見したら、ご挨拶しておきたい手造り蒟蒻店がある。

主に、元区長のNさんの奥さんが営業している手造り蒟蒻店。

店がオープンしている日なら、顔だし。



お家に持ち帰るお土産になるようなモノを買ってくる。

この日のお買い物は、手造り蒟蒻。

つくり方に二通りある手造り蒟蒻。

一つは、水酸化カルシウム混ぜた蒟蒻。

もう一つは、木灰のうわずみを使って凝固させた蒟蒻。

なぜか、二つとも200円売り。

帰って、今夜のおかずに刺身蒟蒻だ。



もう一品は、これもまたお家で干してつくっている干し柿。

7個入りの干し柿も、同じく200円。

持ち帰ったら、すぐに消えてしまう美味しい干し柿。

なんでもお家の裏で干し柿みしているそうだ。

苣原町に滞在していた時間は、午後4時。

もうすぐ陽が落ちる。

時間の許す限り、近郊にある勧請縄を拝見しよう。

苣原町から天理ダム。

その手前にバス停がある。

そのバス停は仁興(※にごう)への入口。

仁興と、いえば、かつて仁興城があったとされる地であるが、私の目的は下仁興に、その先にある上仁興。

それぞれ集落入口にかける勧請縄を確認したい。



下仁興の勧請縄は、平成18年の2月9日



上仁興は、平成22年の12月8日に訪れている。



その後も、ときより立ち寄る下・上仁興。

それぞれの年中行事を取材してきた。

そして、この日の勧請縄。

そろそろ陽が沈む時間帯。

午後4時半の房飾りはわかりにくいが、存在がわかればいい。

さぁ、もう一か所。

天理ダムを越え、さらに山深い道を行こう、としたらなんらかの工事のために、道は封鎖していた。

迂回道も考えたが、大回りに時間を喰う。

ここで、小正月習俗から天理の山々にかかる勧請縄調査は断念した。

(R4. 1.15 SB805SH/EOS7D 撮影)

工事中の下ツ道歴史広場

2024年09月08日 07時39分22秒 | 民俗を観る
大淀町・大岩の平日喫茶のきまぐれや写真展を終えて、帰路に就く。

途中に立ち寄る地産地消売りの野菜や果物。

気に入った商品を買って戻ってきた住まいは大和郡山市。

京奈和道路の最北部を走る大和北道路。

まだ、工事中のようだが、何をつくっているのだろうか。



角地にあったモニュメントに「下ツ道歴史広場」とある。

そうか、ここは名阪国道郡山ジャンクション工事中に発掘、発見された「下ツ道」の一部。

「下ツ道八条北遺跡」は、奈良県大和郡山市の最南部。

八条町の一角にあたる。

八条町の北隣は伊豆七条町。

地元民は、親しみを込めて「ひっちょう」、「はっちょう」と呼ぶ地区である。

両村とも、伝統的な民俗行事のいくつかを取材したことがある。

また、すぐ近くに天理市南六条北との境界にあたる。

平成23年12月18日、発掘された「下ツ道八条北遺跡」の現地説明会に参加し、これはすごい、と思った。

解説が、終われば、すべてが地下に戻される。

二度と見ることのない貴重な「下ツ道八条北遺跡」発掘調査

指定文化財の概要もネットに見つかる。

発掘調査後に意見を求められたことがある。

私の思いは、そのまんま、とはいわないが、むかし、むかしの下ツ道が、足元に見えるようにしてほしい、と訴えた。

土を被せて、地中に再び戻すことも大切だが、例えばクリアーで、透明な物質によって全面保護できないか、と思った真っ平のクリアーな地面。



その場に立てば、丸々見える発掘調査痕。

そんなのがある公園にしてほしい、と願ったが・・・

で、完成に近づき、ほぼ全容が見えてきた下ツ道歴史広場



この時点では、明白ではないが、便所棟や東東屋棟もわかる。

ただ、気になるのは、まともに受ける風の向き。



西から吹く風は、とても冷たい。

東屋棟なんて、柱に屋根があるだけ。

壁は一枚もない東屋棟は、まともに受ける風から逃げようとしても無理がある。



円形広場もあるが、スケートボード・花火・BBQ・焚火は禁止。

そりゃそうだろ。

もちろん、自転車・バイク・自動車の乗り入れ禁止。

当たり前だのクラッカー、といいたいところだが、都市部で流行りだしたハンドル付電動キックボードなどのパーソナルモビリテイは、出禁だろう。

これらについて詳しい情報パネルがそろうみたい。

直接、下ツ道歴史広場とは関係はないが、天理の石上神宮と、その領域にあたる布留の郷。

その境界を示す「傍示浚え 榊立神事(※ほうじ浚え さかきたてしんじ)」解説板が設置されていた。

幾度となく、民俗行事を取材していた天理市南六条町北方・三十八神社。

平成20年の10月1日に行われた布留の境界に立てる榊立て神事。

当時、榊を立てた境界は、大和郡山市伊豆七条町・横田町を流るる川

東から流れてくる上流は、大和郡山市・元柳生集落。

水路を辿れば、ここのすぐ角地に榊を立てていた。

立てていたのは、南六条町北方の二人の頭屋。

西に連なる布留の山々を観ていた。

望郷を眺めるような立ち姿に思わず、シャッターを押していた。

あれから云十年経った。



ジャンクション工事によって、南に数百メートル移した、と碑文に書いてあった。

前年の令和3年10月24日に、撮っていた横田の信号。



北寄りの工事は、既に高架橋も工事が進んでいる大和北道路

数年も経てば、橋脚は何本になっているのだろうか。

また、地下トンネルの行方は・・

(R4. 2. 4 SB805SH 撮影)
(R3.10.24 SB805SH 撮影)