ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

1983 一九八三年六月のための歌

2006-06-25 | Weblog
一人一人の顔を思い起こすように
過去を振り返っているものは何だろう

決して触れることができないみんなの顔は
俺たちの心の中にあって

あらゆる終局とはじまりの間に
衰亡と再生の歌がよみがえり
沸き立つ時間が隙間を埋める

連鎖する空虚は俺たちが望んだものとして
いつも最後のモチーフとして突きつけられている

懐かしさにおびえ
怖れに勇み立ち
余裕のない心が決意する

勝利とは何か
敗北とは何か

教唆するものがこの世界を隠匿している
教唆はテクノとして成熟をそそのかす
その規定された方角は
一人一人の大小の波乱を許容するまで組織されてはいない

俺たちは過酷さえ笑いの種となった
秩序の大船に乗っているわけではない

ほんとうの未知と出会うために
俺たちは明らかにしなければならない

人びとの集う祭壇の根拠を
小さな午後の平和を
恋人たちの独自の世界を
暴力と処刑のシステムを
緻密に積み上げられた階梯の一つ一つを

戦うことが生存の証になるとすれば
俺たちの意志をこの街の風景全体へと向けよう

チカラへの加担が死を意味し
無力への加担が生を意味し
不可能が一つの風景を析出する

文明のあらゆる変奏をインプットされたこの時代の装置は
メカニズムの小枝に無数の人間をぶら下げている

欠如が俺たちの解体された意識の原因であるとき
この街の風景はおのれの強制力を有効に作動させたことになる

朝と昼と夜と 
憩いには崩壊を 
不幸には呪縛を 
諍いには疲労を 
忘却には報酬を用意して
この街が肥大するとき
俺たちは何ものかの死滅を目撃している

俺たちが倒れないとすれば
風景全体へのまなざしを手離さないことによるのだ

六月は俺たちに具体的な戦いの方法を要求する

限定された生活の限度は
生活の内側から突き破るしかない

俺たちは出て行く場所も
ここよりほかに帰る場所もない風景の中で
唯一の覚悟をしなければならない
――あらゆる同行と共犯と訣別せよ

俺たちの戦う姿はたとえば林檎を剥く手振りに現れる
俺たちの覚悟はたとえば集金人への挨拶に現れる
俺たちはみずからの視覚に異和を投げ狂気を呼び入れるが
俺たちは戦いの目的を生活の重量と置き換えたりはしない

ニンゲンの歴史と現在をつらぬく
見えるもの 見えないもの
そのすべての営みへ向かうまなざしは
この街から教えられたものではない

この街の起伏をいつわりの物語へと収斂させないために
あらゆる距離を超越する俺たちの戦いは
この街の超越を許さないのである

一切の忘却から自由であるために
すりかえられた和解と戯れることをしないために
――連帯と孤独を屠るのである

単独に屈辱を組織した一人一人が
この風景に出て行くために
古代の調和は廃棄されたのである

馴致への拒否がこの街の反復を捉えるのである

白けきった装いのなかに見える一切の企みを
決して許容しない俺たちの戦いは
単独の風景を単独に位置づけるのである

忘却と和解への陥穽において人を絡めとるとき
風景は肥大した全身を高笑いによって揺さぶっているのである

どんな情緒も介入させない暴挙において風景が勝利したときから
俺たちの戦いははじまっていたのである

俺たちの戦いはあらゆる加担が無効へと転換される結節をさぐりあてるのである

分断を正当化しない俺たちの意志は整除する文脈を解体するのである

戦いの前線において現在と結ばれた血と肉を失わないのである

涙も憎しみも悦びも絶望も未来への希望も 如何なる祭壇にも捧げないのである

意味を特権化する秩序の巨大な策略を敵として見るのである

人びとを一色の階梯へと集わせるあらゆる水準の存在を拒否するのである

時間を文節する季節の陥穽を太陽の下で燃やしてしまうのである

ほとんどテクノと化した愛の言葉を物理として解析するのである

ほとんど反射運動へと変質した倫理をその権威の仮面から遠ざけるのである

細やかさを語る暴力を歴史の中枢へと持ち込んで殺戮の共犯を証すのである

風景に釘づけにされた事実性と裁断を受容から異和へと変質させるのである

未来へと供犠されつづける現在を再び生命の場所に連れ戻すのである

六月の最後の一日
俺たちは俺たちの時間を季節へと転化しないから

この日は終止符を打たれる一切の根拠をもたないのである
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