──真木悠介『自我の起原/愛とエゴイズムの動物社会学』
同種個体間・異種個体間の関係の諸形態をみてきたように、
個体が個体にはたらきかける仕方の究極は誘惑である。
他者に歓びを与えることである。
われわれの経験することのできる生の歓喜は、
性であれ、子供の「かわいさ」であれ、花の色彩、
森の喧噪に包囲されてあることであれ、
いつも他者から〈作用されてあること〉の歓びである。
つまり何ほどかは主体でなくなり、何ほどかは自己でなくなることである。
Ecstacyは、「個」の魂が、
[あるいは「自己」と呼ばれる経験の核の部分が]
このように個の身体の外部にさまよい出るということ、
脱・固体化されてあるということである。
(*誘惑、歓喜、陶酔、自己裂開、その相互性と展開可能性)
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