なぜ・なに・どうしたら──
「問い」をたずさえる未決のフォーメーションとしての「実存」。
未決性を推進力とするように、過度の自明性に破れをみちびくように、
新たな「問い」を分泌しつづける形成運動としてのフォーメーションがある。
世界を意味と価値のランドスケープとして分節しつづけながら、
同時にみずからのフォーメーションを変化させる運動が持続している。
未規定性、不確実性を資源としてながら、
意味と価値がそこから創発する推論が起動し、
たえざる肯定と否定の弁証が展開していく。
世界了解、自己了解、他者了解が過度の自明性をもつとき、
そこで閉じられることになる形成的運動がある。
スキマを開く──これはこれ、あれはあれ、それはそれという確定記述、
因-果的記述に破れ目をみちびく内的原理があり、
新たなフォーメーションの手がかりを探索するたえざる作動がある。
問い──新たなフォーメーションの手がかりの探索、巨大な問いを生きる子どもがいる。
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確定記述──clystallization、世界の結晶化。
いらだってカタチを与えることで見失われる〝発火〟の原郷がある。
知ることわかることの内側にすべてを収納可能と考え、
わからないことのわからなさを手放すとき、
新たな形成運動の手がかりは途絶え、
巨大なわからなさ、「問い」の地平は遠ざかっていく。
「なに」「どうして」「どうしたら」──未決の主題はつねに生成する。
問いに駆動され、問いをたずさえ、問いを手がかりとする組織化特性。
フォーメーションはつねに問いのゆらぎの中にある。
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「ありうる」をめがける根本動機の起点に未規定性(わからなさ)があり、
「ある」「ありき」「あるべき」のバインドをほどいて結び直すことが許された、
「ありうる」の予期がわき立つ〝踊り場 plateau〟がある。
いまここにたえず現象している〝生成としての世界〟を告げるように、
未規定性、不確実性を享受可能な資源に変換するように、
問いを分泌し、問いに駆動され、奏でられ、描かれる無数の表出があり、
非知のただ中にあって、非知を非知のままに、
非知を既知のスコアに回収しない意志にみちびかれるように、
ただ、〝生成としての世界〟を生きるように対話するセッションがある。
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