https://www.youtube.com/watch?v=JXH-sj9miO8
〈世界〉に透明な区切りを入れ、ピースに切り分け、マップし、再構成する。
この絶えざる再構成は、解釈、変換、意味づけ、価値づけという、
意識に先行する運動の展開としてそのつど意識に示される──意識はこれを〈世界〉(体験)と呼ぶ。
考えるより先に世界は自明性と非自明性の織物として開かれ、
固有の意味配列、価値配列、その明証性のグラデーションが、
おのれの「欲望」と「関心」の本質と形式を写像している、そうした構造において〈世界〉は現出する。
われわれはつねに、世界に区切りを入れるというゲームに没頭している。
一定のパターンをもって世界に切れ込みを入れるコードの集体──、
それは「個性」あるいは「人格」と呼ばれている。
あれはあれ、それはそれ、これはこれ──意味と価値の配列として世界を分節することの必然性。
そうしなければみずからを組織化できない「生き物」としての存在論的本質。
「心地よい/心地わるい」
「よい匂いがする/いやな匂いがする」
始原的分節──最初の世界との出会いがみちびく分節は、身体の感性的な反応から開始される。
〈世界〉は「快/不快」が構成する地層をつくり、そのうえで関係のゲームが開始され、
次々に多層の構成としてつみあがり循環する人間的関係世界(ゲーム世界)が展開する。
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クラスわけ──
人類はクラス分けを30回ほど繰り返すと民主主義の基礎単位=個に分解する。
しかしわれわれはそこに至る手前の任意のクラス分けの段階に留まって〈世界〉を構成し生きている。
現実論理の絶対的要請と、そこからの離脱をめがける概念形成の先行性。
その矛盾と齟齬の主題化という、新たな課題の生成、そこに言葉の本質がある。
クラスの形成とそこへの着地という必然性、それは生存の過酷さへの対抗、共生の論理から導かれる。
共に生きることの現実的要請、そのことへの集合的応答としての共同体の形成。
そしてそのことを可能にする共同体の論理、世界記述にあずかる価値コード、解釈コードの体系。