関係世界を生きる関係存在における関係的(企投的)要請として、
主観の内において「客観」は生成し立ち上がる。
主観と主観を結びあわせるパターン、〝関係子〟としての「客観」。
いいかえると、それぞれの主観が〝ほんとう〟として納得可能な、
共通の了解項としての「客観」──その探索行為としての相互的関係企投。
それぞれの実存としての主観同士が共存を願い求めるかぎり、必然的に、
「同じ世界を生きる者同士」という相互認証の基底をつくる、
〈世界〉の同一性についての相互的確証、その共有可能性が主題として浮上する。
その意味的価値的配列についての共通了解を確定させるべく、
主観を超えたいわば汎主観的(間主観的)な位相が必然的に探索され、
関係子としての「客観」が(主観内に)立ちあげられていく。
生成としての「客観」──このことの了解、原理性についての理解が導くこと。
第一に、共同構築物としての「客観」──集合的な合意項という人為性。
「客観」という関係子は新たな生成による刷新、変容可能性をもつものであること。
そしてそれは生成と同時に、消滅の可能性をつねに孕むものであること。
第二に、「客観」の超越項化、絶対項化、最終項化の防圧。
個(実存)の自由な企投可能性の抑圧、制圧による〝絶対支配〟の根拠を一掃すること。
すなわち「客観」からの規定としての「主観」ではなく、逆に、
「客観」はつねに「主観」同士の関係企投に生成の始原をもち、
そしてたえざる関係企投という人間の核心的な生の意志に支えられているということ。
「客観」の生成──それは「共存可能性」を探索する主観同士の意志に由来し、
そのたえざる刷新可能性を保持することで、
いわば〝よりよき関係世界〟の構成をめがけるという本質をもつ。