この調整過程のはたらきは、暗黙知が諸細目を統合する過程と似ている。
なかんずくそれは、我々が心の中にもっている問題(とくに詩をつくり、
あるいは機械を発明し、あるいは科学的発見を行うという問題)をみつけ、
かつそれを解く過程と似ている。
これらの問題は、まだ関係づけられていないいくつかの事物のあいだに、
あるまとまりがひそんでいるという内感として、とらえられる。
また、これらの問題を解決することによって、一つの新しい包括的存在が確立される。
その包括的存在とは、一篇の新しい詩であり、あるいは新しい種類の機械であり、
あるいは自然についての新しい知識であるだろう。
現代の諸問題にとって啓発的であると私が考えるのは、
潜在的思考にとりまかれた人間というイメージである。
これによって、我々が絶対的自己決定という愚かな観念におちいることは防がれる。
――マイケル・ポラニー『暗黙知の次元~言語から非言語へ』佐藤敬三訳
「おやつのドーナツは中心が空洞です」
「それがなにか?」
「パティシエはこの形のイメージに基づいてドーナツを作ります」
「当然」
「では、このイメージは実在するものでしょうか」
「どうだろ。心のなかにあるんじゃないの」
「そうですね」
「実体はないけど、観念として存在するでしょ」
「観念とは何でしょう」
「人間が頭でこしらえたものでしょう」
「人間がいなければ存在しない?」
「もちろん」
「人間がいなければ存在しない」
「うん。だから?」
「人間がいなければ、おいしいドーナツは存在しない」
「嫌いな人もいるけど」
「ええ。好き嫌いを生むドーナツは、いつも人間とともにある」
「何がいいたいのかな?」
「ドーナツのイメージが、みずから転生してドーナツが出来ることはありません」
「それはまちがいない」
「人間が存在しなければ存在しないものは、ほかになにがありますか?」
「え~と」
「すべて。この世界のすべてと考えることができます」
「またまた言いきっちゃったね」
「とてもとても大事なことです」
「どうして?」
「生命のない世界、単なる物質はドーナツを作ったりしません」
「あたり前でしょ」
「ドーナツのイメージは、人間が滅んでしまえば永遠に消滅します」
「だから?」
「スカイツリーも自動車もハンバーガーも数学もサッカーもケータイも消えます」
「スカイツリーや自動車は消えないでしょう」
「人間がいることでスカイツリーはスカイツリーであることができます」
「自然やモノは勝手にあるものでしょ、人間がいようがいまいが」
「ちがいます」
「どうして?」
「自然それ自体、モノそれ自体というのは、人間にとって存在しないのです」
「それはちがうでしょ」
「すべて人間のイメージが創りあげたものです」
「人間は神ですか?」
「おいしいドーナツと同じように、神も創られました」
「神さまはドーナツと同じですか?」
「世界を創ることが生命の仕事です」
「妄想するのが生命?」
「妄想してみずからを組み立て、世界を組み立てるのが生命です」
「でも妄想には秩序がないでしょ」
「あります。ドーナツも妄想の産物ですが、おいしく食べることができます」
「創造力のこと?」
「はい」
「人間がいなくなったら?」
「スカイツリーは消えます。世界が消えます」
「人間が消えてもなくならないでしょ」
「あなたの〝人間が消えてもなくならないでしょ〟も消えます」
「ぜんぶ消える?」
「〝ぜんぶ消える?〟も消えます」
「ええ?何かとても恐いことを言ってる?」
「けれども消えません」
「ええ?」
「わたしはいつもあなたと一緒にいます」
「またヘンなこと言った」
「おかしくはありません」
「なぜ?」
「〝ハーモニー〟は消えません」
「じゃあ、いつどんなときに消えてしまうの?」
「人間が生命であることをやめるときです」
「ちょっと混乱してきたんだけど」
「考えてみてください」
「なにを?」
「人と人、人と自然、それらすべてが作る大きなアンサンブルの一員だということを」
「このぼくが?」
「はい」