自民党総裁選が9月28日終わった。
『みんなでやろうぜ自民党!』を唱えた谷垣禎一の圧勝で、河野太郎・西村康稔と続いたが河野太郎は国会議員票は35票と最下位であった。一般党員票は相当数を獲得したとは言うものの谷垣を圧倒することにはならなかった。
河野太郎は選挙戦のなかで自民党の解党的再生を訴え、古参議員の森元首相や青木参議院議員会長を名指しで「隠居・引退」を要求し、悪しき因習(=前例踏襲)を打破した上での自民党再生をアピールした。
10万票を取りながら落選したわが町の若き自民党代議士の水野賢一も世代交代を訴えたが”民主党カゼ”にはかなわなかった。
河野太郎の演説は自民党支持者でもない者が聞いていても小気味がよく天晴れであった。そして河野のそれは国民目線にも適った主張に思えた。
ところが『名指しで批判をすることは善くない』と北海道の小選挙区で落選した町村金吾がこともあろうに河野太郎を強く批判をした。
イワン・アサノヴィッチはむしろ首相経験者や参議院のドンと言われるような大者を名指しで批判をしたことは勇気のある行為で立派なことだと思っている。
目下の人間や弱い立場の人間を名指しで批判したのとはそもそも訳が違う。若い河野太郎にとっては超古参(=古狸)の議員を批判することはさぞかし勇気の要ることであったろう。批判された二人は国民の目線で見ればまさに賞味期限の切れた胡散臭い存在である。
話しは反れるが西村は河野が指摘したとおり”陽動部隊”であったろう。
町村といい西村といい、自民党目線だけはしっかりしているが、「まだこんなことをやっているのか自民党!」と思った国民は少なからずいたであろう。
そんな中でも、正々堂々と反省もせず国民の前に姿を見せようとしない超古参を背中でかくまいながら『みんなでやろうぜ自民党!』と声を涸らした谷垣には同情を禁じ得ない。
自民党は”河野太郎総裁”を潰すことによって、早期の党再生の機会を自ら放棄した。