イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

名指しの批判、河野太郎 その2

2009-10-12 14:19:32 | 国際・政治

 拙ブログ(10月10日付け)で自民党総裁選挙に出馬した河野太郎が名指しの批判をしたことについて褒めたのですが、コメント(公開)に賛成出来ませんという書き込みがありました。筆足らずのところがあったと思い、以下にイワン・アサノヴィッチもコメントへの書き込みをしました。10日付けを補足するという意味でブログの本文にも掲載することにしました。以下お読み下さい。

 ▼日本には全国いたるところに”ムラ”があります。▼江戸時代の為政者は特に農民支配を目的として5人組だの8人組だのと言うシステムを農村に配置しました。▼相互扶助といえば格好が良いけれど、相互監視という意味合いも色濃くありました。▼現代の日本でも会社・官庁・商店街・農村・etcでも薄まったとはいえ、まだまだ”ムラ”のシステムは残っています。▼この”ムラ”の現代における特徴は色々ありますが、一つに上意下達・長い者には巻かれろ思考です。『悪いようにはしないからオマエは黙っていろ』方式です。▼そして長老・大者・古参・ベテラン(共通因数は”エセ”が付きます。)は数多くの間違い(利権・特権・私利私欲)を上手く隠しながら支配力を行使しし続けて来たのです。▼その結果が今回の自民党の”見抜かれ敗退”だと思います。▼河野太郎はその部分を付いたのです。『もう、(エセの付くような)大者やドンは引退して、オレたちに任してくれ!』と訴えたのだと思います。▼ひと言でいえば「世代交代」ですが、私には自民党の再生を真面目に考えている態度と思えました。わが町の落選した若き自民党代議士M氏も世代交代は強く訴えたものの、名指しの批判をしなかったことがひょっとしたら敗因かな?(笑)▼次に河野太郎の政策発信ですが、確かに景気や雇用、医療や福祉などの個別的な政策発信はありませんでした。▼しかし、総裁選挙を強く意識したのでしょう。理念・ビジョンは強いものを発信していました。▼曰く「小さな政府とパイの論理の保守政党論」です。民主・自民という枠を超えた政界再編成を見据えた”リベラルと保守”が切磋琢磨を仕合う超近未来的な日本政治の構想のぶち挙げです。▼小沢一郎民主党幹事長に対局しつつ、しかし”呼応”した事大発信とイワン・アサノヴィッチはみました。▼だから自民党が河野太郎を斬ったことは自民党のみならず日本の政治にとっての再起の機会を自ら放棄・延期をしてしまったのではないかと惜しい気持ちになったのです。▼”名指しの批判”は大事の前の小事と理解しているところです。


天晴れ!名指しの批判 河野太郎

2009-10-10 23:53:13 | 国際・政治

 自民党総裁選が9月28日終わった。

『みんなでやろうぜ自民党!』を唱えた谷垣禎一の圧勝で、河野太郎・西村康稔と続いたが河野太郎は国会議員票は35票と最下位であった。一般党員票は相当数を獲得したとは言うものの谷垣を圧倒することにはならなかった。

河野太郎は選挙戦のなかで自民党の解党的再生を訴え、古参議員の森元首相や青木参議院議員会長を名指しで「隠居・引退」を要求し、悪しき因習(=前例踏襲)を打破した上での自民党再生をアピールした。

10万票を取りながら落選したわが町の若き自民党代議士の水野賢一も世代交代を訴えたが”民主党カゼ”にはかなわなかった。

河野太郎の演説は自民党支持者でもない者が聞いていても小気味がよく天晴れであった。そして河野のそれは国民目線にも適った主張に思えた。

ところが『名指しで批判をすることは善くない』と北海道の小選挙区で落選した町村金吾がこともあろうに河野太郎を強く批判をした。

イワン・アサノヴィッチはむしろ首相経験者や参議院のドンと言われるような大者を名指しで批判をしたことは勇気のある行為で立派なことだと思っている。

目下の人間や弱い立場の人間を名指しで批判したのとはそもそも訳が違う。若い河野太郎にとっては超古参(=古狸)の議員を批判することはさぞかし勇気の要ることであったろう。批判された二人は国民の目線で見ればまさに賞味期限の切れた胡散臭い存在である。

話しは反れるが西村は河野が指摘したとおり”陽動部隊”であったろう。

町村といい西村といい、自民党目線だけはしっかりしているが、「まだこんなことをやっているのか自民党!」と思った国民は少なからずいたであろう。

そんな中でも、正々堂々と反省もせず国民の前に姿を見せようとしない超古参を背中でかくまいながら『みんなでやろうぜ自民党!』と声を涸らした谷垣には同情を禁じ得ない。

自民党は”河野太郎総裁”を潰すことによって、早期の党再生の機会を自ら放棄した。


どっこい!阪神タイガース

2009-10-06 12:06:40 | スポーツ

 プロ野球のセ・リーグでは3位争いが面白い。

数年前から始まったクライマックス・シリーズでは上位の3チームが日本シリーズをかけて出場争いに加わることが出来るようになったのである。

今年は”例の成金”チームの巨人が独走態勢でリーグ優勝。原監督と小笠原選手が嫌いでないのでこれ以上の悪口は言わない。2位は中日だ。

中日といえば、今年はエースの川上憲信と4番打者の福留孝介が大リーグへと渡米してしまって、投打に大穴が空いた筈だ。しかし常時2位とはなかなかのものである。

開幕前に落合監督が『大穴があいたけれど、却って良いかも知れないネ。』とトボケて言っていたのであるが言葉どおりである。TVなどの前でもパフォーマンスの少ない落合監督で何処か影の薄いところがあるが、敵ながら大した監督である。

翻って3位争いはこの間まさに阪神タイガース・ヤクルト・広島の3チームによるデッドヒートである。▼阪神タイガースが一歩抜け出せそうで直ぐにヤクルトに捕まると言う経過である。広島は2ゲーム差ぐらいだがしつっこく諦めてはいない、困ったものである。

6チーム中で5チームがこの時期になっても諦めない試合を展開しているという状況はそれなりに観ていて面白い。

セ・リーグでクライマックス・シリーズが始められた当初は阪神タイガースはペナント開始と同時に首位独走という状況であった。しかし、日本シリーズ出場は2位以下のチームに必ず持っていかれてしまっていた。

クライマックス・シリーズが恨めしく余計なものがあると憎らしく思っていたものだが、今年はクライマックス・シリーズ様々である。

一時は諦めていたペナントシリーズだった。しかし後半になって、俄然ナイターをTVで観るという楽しみがいつものように蘇って来たのである。

有り難や!クライマックス・シリーズ様。


亀井静香、読売テレビを一喝

2009-10-03 23:50:28 | テレビ番組

 近年、テレビ放送に所謂トーク番組が激増している。

有名芸人を数名ほど配置し、ちょい売れのガキタレントを若干、あとは無名ないしは新人のこれまたガキタレを10名ぐらい出演させている。

内容はトークとはほど遠い駄洒落やナンセンスな会話をテンポだけは速く”ウケやノリ”だけの意味のない言葉をやりとりするものだ。

出演者たちはオーバーなリアクションで互いに笑い転げたり拍手を仕合ったりで全くの無芸で会話は決まって断片的。単なる”ウケやノリ”だけがだらだらと続くというお粗末番組である。

TV局にしてみれば視聴率もそこそこでありドラマなどに比べたら至って安上がりな番組になるわけだから損はない。

今朝、読売TVで「ウエークアップぷらす」なる報道番組を観た。

亀井静香金融担当大臣が生出演していた。司会者(辛坊治郎)他に岩田公雄(読売新聞特別解説委員)森本敏(拓大教授)岩井奉信(日大教授)高橋進(日本総研副理事長)がいた。

番組は郵政見直しとモラトリアム法案(仮称)をコメンテーターが亀井静香に質問すると言う形で斬る進行になっていた。辛坊治郎のテンポの速い進行と”ウケやノリ”を恰も重視したコメンテーターの軽薄な発言に亀井は『私の断片的な発言を捉えて、批判するのは変だ。きちんと実情を踏まえた発言をしてくれ』とクレームを付けた。

極めつけは岩井奉信の『亀井さんは小党の存在感を引きださんが為に郵政見直しを発言している…云々。』だった。

亀井は空かさず『私は国民新党の利益のために発言しているのではない!読売TVから出演してくれと言うので参加したが、こんな番組内容で残念だ。』と一喝。

事前に断片的なVTRを流して全体の報道を遮断する。あとは司会者とコメンテーターとの”ウケとノリ”だけの掛け合い漫才。亀井が怒るのも当然である。

「ウエークアップぷらす」は時事報道番組と思っていたが、所詮はガキタレ集団の軽薄なお笑いトーク番組と同等品だ。

それにしても論説委員だの大学教授だの一流コンサル役員だのがそろい踏みしての番組なるがゆえにお粗末を通り越して悪質である。


県庁、不正支出問題に思う

2009-10-02 18:57:12 | 社会・経済

 過日、いきなり千葉県庁の消耗品支出に30億円(5年間分)にのぼる不正があったことが報じられた。

変わったばかりの知事にこのような大規模な調査をする能力はないように思われる。たぶん前知事の時代にその内容は把握されていたに違いないと思われる。

それはさておき、やはり出るべくして出てきた問題だなというのが第1印象である。いないな、イワン・アサノヴィッチからすれば発覚するのが遅すぎたなとさへ思われるくらいである。

年度末に使い切れなかった予算を出入り業者に空伝票を切らせて預ける「アズケ」と、その際にべつの品目を購入する「サシカエ」などが指摘されたのである。

他に「裏金・プール金」などちょっぴり薄汚いカネがあることを多くの県庁職員は知っている。このちょっぴり薄汚いカネは往々にして本来の目的から外れてカネを握っている極く一部の職員の恣意的な使われ方をする場合が少なからずあることも同様である。

このこともさておき、現在の補助金制度・予算の単年度主義・建前主義的予算編成方式が続く限りは「アズケやサシカエ」に限ってはイワン・アサノヴィッチは必要悪だと思っている。

支出の不正を指摘する前に解決する問題があり、このことを抜きにしては本末転倒としか思えないのである。

多くの公共職場や補助金被交付職場では何億・何十億の事業予算を実施しており、予算は細かな事業割り地区割りの制限と「節」という支出枠が決められている。

それは縦割りと横割りがされている恰も”メッシュ”の中の予算額を縦横ともに、1円たりともはみ出すことなく毎年3月31日までにピッタリと使い切りなさいという無理難題なのである。

イワン・アサノヴィッチも、3月入って難航していた地権者との用地買収契約をしたことがる。

それを受けて支出担当者はパズルゲームの如く、短時日の内にメッシュの中の予算を1円たりとももはみ出すことなく合わせるのであるから至難の業である。

余った予算を気兼ねなく不要額として返せる仕組みがない以上は悪いこととは知りながら、馴染みの業者に頼み空伝票で「アズケやサシカエ」に変身させるのである。そして帳尻合わせをせざるを得ないのである。

重ねて言うが補助金制度・予算の単年度主義・建前主義的予算編成方式を改めることが根本である。財政課の横暴とも思えるような権威主義・睥睨支配を改めることもまた重要なことであろう。