拙ブログ(10月10日付け)で自民党総裁選挙に出馬した河野太郎が名指しの批判をしたことについて褒めたのですが、コメント(公開)に賛成出来ませんという書き込みがありました。筆足らずのところがあったと思い、以下にイワン・アサノヴィッチもコメントへの書き込みをしました。10日付けを補足するという意味でブログの本文にも掲載することにしました。以下お読み下さい。
▼日本には全国いたるところに”ムラ”があります。▼江戸時代の為政者は特に農民支配を目的として5人組だの8人組だのと言うシステムを農村に配置しました。▼相互扶助といえば格好が良いけれど、相互監視という意味合いも色濃くありました。▼現代の日本でも会社・官庁・商店街・農村・etcでも薄まったとはいえ、まだまだ”ムラ”のシステムは残っています。▼この”ムラ”の現代における特徴は色々ありますが、一つに上意下達・長い者には巻かれろ思考です。『悪いようにはしないからオマエは黙っていろ』方式です。▼そして長老・大者・古参・ベテラン(共通因数は”エセ”が付きます。)は数多くの間違い(利権・特権・私利私欲)を上手く隠しながら支配力を行使しし続けて来たのです。▼その結果が今回の自民党の”見抜かれ敗退”だと思います。▼河野太郎はその部分を付いたのです。『もう、(エセの付くような)大者やドンは引退して、オレたちに任してくれ!』と訴えたのだと思います。▼ひと言でいえば「世代交代」ですが、私には自民党の再生を真面目に考えている態度と思えました。わが町の落選した若き自民党代議士M氏も世代交代は強く訴えたものの、名指しの批判をしなかったことがひょっとしたら敗因かな?(笑)▼次に河野太郎の政策発信ですが、確かに景気や雇用、医療や福祉などの個別的な政策発信はありませんでした。▼しかし、総裁選挙を強く意識したのでしょう。理念・ビジョンは強いものを発信していました。▼曰く「小さな政府とパイの論理の保守政党論」です。民主・自民という枠を超えた政界再編成を見据えた”リベラルと保守”が切磋琢磨を仕合う超近未来的な日本政治の構想のぶち挙げです。▼小沢一郎民主党幹事長に対局しつつ、しかし”呼応”した事大発信とイワン・アサノヴィッチはみました。▼だから自民党が河野太郎を斬ったことは自民党のみならず日本の政治にとっての再起の機会を自ら放棄・延期をしてしまったのではないかと惜しい気持ちになったのです。▼”名指しの批判”は大事の前の小事と理解しているところです。