イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

[人生後半の生き方:五木寛之] を読んで

2019-04-21 11:52:15 | 本と雑誌
 著者は五木寛之。著書のタイトルは「孤独のすすめ」である。
新書版で手に取りやすく、生活の合間々々に読んでいけば良いとする気楽な気分で読み始めたが、さきほど読み終えたところだ。
正に最後の最後になって「おわりに ・・回想のすすめ・・・」の章を読んでいるうちに『これだった!』と内心で呟いている自分に気が付いた。

以下、少し本分より引用する。
『「回想」は医療の現場でもとりいれられています。もともと1960年代にアメリカの精神科医が、高齢者の鬱に効果があるとして提唱した療法ですが、後に認知機能の改善にも役立つことが実証され、認知症のリハビリとしても取り入れられるようになりました。』
 五木は人生の後半は登山に例えれば「下山」だと言う。しかし、下山だからと言っても油断は出来ない。体力はかなり消耗しており、尚且つ登山の下り坂は「膝に来る」と言われており、体重が直接的に膝に罹り下り坂で膝を壊す場合もあるとしている。
 回想のすすめとは、そんな中に在って、過去のささやかな人の営みは何とも言えない味わいがある。そんな記憶・想い出の抽斗(ひきだし)を時に開けてみると、気分が癒されるものである。即ち賢人や思想家の格言・名言よりも逆に力になるものだとしている。
 イワン・アサノヴィッチは10年前に某県庁を定年退職して、子ども三人も結婚し有難いことに四人の孫も頂戴することが出来た。そして無償の愛を信じている孫たちをみていると、自分はやや虚無的な思想に陥っている場合ではないとする気持ちが徐々に孫たちによって鼓舞されて来るのである。
 不思議なことに、記憶・思い出の抽斗には、辛く苦しく嫌なものが意外と少ないのである。まるで自律神経がそれらを自動的に消去でもしているが如くなのである。
庭で草取りをしている折、早春の風と共に土の匂いが顔面を通り過ぎて行く時・・・60年も前の頃に土遊びをしていたときに嗅いだ同じアノ臭いが敢然と蘇ってくるのである。60年という時空が一挙に縮約されてしまうのである。
 定年退職した自分が、『これで良いのだ』として、ようやく今ごろになって包括的に肯定されるような気分になるのである。そして戦後間もないころ、物質的には決して豊かではなかったあの頃ではあったが、人の営みには物やカネには代えがたい、折々の自然との接触と同時に周囲の人たちとの共有・シエアリングが極く普通に為されていた時代だったのである。
そして、回想に登場する人物は、大人であれ子どもであれ・・・狂おしいほどに心の中で今もなお輝いているのである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿