9月25日、お彼岸参りに出かけてきました。
お墓は隣町にあって、イワン・アサノヴィッチの父母が埋葬されております。父が他界して10年、母は2年。はやいもので、来年は父の13回忌と母の3回忌を一緒に行おうとお坊さんとも話しをしています。
神奈川の弟一家がお参りをしてくれていたみたいで、綺麗なお花と父母が好きだったタバコが供えられていました。
父母は共に80代で他界し、いわば天寿全うみたいなものでした。猛暑もこの彼岸で丁度おわりとなり、霊園には涼風が吹き渡っていました。私も弟にならって、2本のタバコに火を点けて供えました。うららかなお彼岸でした。
お参りを済ませて帰り支度をしていると、隣の区画にやはりお彼岸参りに来られた方が来ました。60代のご夫婦が1歳ぐらいのお孫さんを抱いて居ます。そのあとに20代後半と思しき女性が供花を持ってついて来ました。
母親を追いかけるように3歳ぐらいの男の子がトコトコとやって来ました。
この方々は一体の話し誰をお参りするのでしょうか、一目瞭然でした。パパが居ません。
パパの不在に気付いたイワン・アサノヴィッチはそれ以上はもう、この5人家族を正視できない切ない気持ちになりました。
パパが亡くなった理由は何なのでしょうか。病気かまたは事故で早くして逝去されたに違いありません。
ママの後をトコトコと小走りしながら追ってきた3歳ぐらいの男の子は、ニコニコと笑顔をたたえています。まだ、パパの死を認識できないのでしょうか、無理もありません。
しかし、坊やの次のひと言で、それは私の思い違いであることを知らされました。
『ママ!パパはここに隠れているんだよね!』と、”会えないパパ”の所に来ることができた喜びをニコニコと笑顔で表現していたのです。坊やは、こどもなりにこのお墓に来て、亡き父親のにおいを感じていたのです。
…ああ!せめて1時間でもいいから、”隠れているパパ”がこの坊やの前に出てこられないものだろうか…。詮無いことを考えて胸がいたくなりました。
ひとには、どんなに愛している人であっても、いつかは別れなくてはならないと言う苦しみがあると、お釈迦様は言って(愛別離苦)おられます。
でも、若きパパとママへのお願いです。どうぞ事故などで死なないでください。また病気になどにもならないでください。そしてなるべく生きぬいてあげて下さい。
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