お地蔵様の顔は幼児のそれである。邪気が無く柔和である。
イワン・アサノヴィッチには二歳になる女の子の孫が居る。家族中でみーとかみーたんとか呼んでいる。可愛くて仕方がなく、孫もイワン・アサノヴィッチを慕ってくれている。
嫁は『じィじとみーたんは相思相愛だからしょうがないね』と喜びとも呆れともとれるようなことを言いながら笑っている。
孫は育てる義務や責任がないから可愛いものだと良く言われているが果たしてそうであろうか。
人間も孫をもつような世代となればそれなりの人生を歩んできたことになる。
若いころ自分の子どもを育てていたころには、子育ての責任やら実務に追われていたばかりではなく、様々な煩悩にまみれていたのではなかろうか?
煩悩にまみれた眼(まなこ)では時として子どもの無邪気は見落としがちである。
過日、嫁とみーとイワン・アサノヴィッチの娘(みーにとっては叔母になる)の4人でケーキを食べたときの事である。
ケーキがテーブルに置かれるやいなや、みーは好物なものだからせっせと食べ始めた。大人が食べ始めたころには既に食べ終わってしまった。みーの視線は隣席の母親のケーキ皿に注がれている。
やがてみーは母親のケーキ皿を指さし『みーたんの!』と主張し始めた。『ええ~!ママはまだ一口しか食べていないんだよ~』と言いながら渋々ケーキ皿を孫に渡した。
すると申し訳ないと思ったのであろう、自分の空になった皿を『ママの!』と言って、交換したのである。
大人3人は大笑いをしてしまった。無邪気なものである。
イワン・アサノヴィッチは仏教徒ではないが時に無我無心を求めて念仏を称えることがある。気が付けば最近は変な念仏を称えている。南無阿弥陀みーたん。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます