『ばあちゃん!』イワン・アサノヴィッチは久しぶりに母に声を掛けた。
イワン・アサノヴィッチの母は2月の末に一時危篤状態に陥った。その後は持ち直しはしたものの、それからは食も細り衰弱し会話も不自由になり、長い会話や内容の込み入った会話は出来ないでいた。
『昨日さ、またK子(イワン・アサノヴィッチの娘)と口論になってしまったよ。』イワン・アサノヴィッチは愚痴をこぼした。『またかい、なんでやの?』と母。
I・A 『いい歳して、あまりにも勝手なことを言うからさ。ちょっと叱った。』
母 『K子だって勤めていればイヤな事だってあるわいさ、親があんまりウルサイことは言わんこっちゃ。』
I・A 『そうか…、そう言えば今度Y子(イワン・アサノヴィッチの姪)が婆ちゃんに会いに来るぞ。またあの婚約者も一緒だってさ!』
母 『ああ、あのおヒゲも一緒かい? 割とイケメンなんだけどさあのヒゲが気に入らんわいね。』
I・A 『まあそうかも知らんが、Y子が好きになったのだから仕方ないよ。』
母 『でもさ、揃って来てくれるだけ嬉しいよ!』
I・A 『そうだな。…』
愚痴まじりの他愛のない、老いたる親子の久しぶりの会話である。告別式を待つ祭壇の母の遺影に向かってイワン・アサノヴィッチは語りかけていた。
4月2日、イワン・アサノヴィッチの母は他界した。享年88歳であった。
以前、病院で偶然お目にかかった時、優しく
お母様を誘導してらしたアサノヴィッチさんが
まぶたに浮かびました。
悔やみのお言葉有り難うございました。
そう言えば病院の前でお会いしたことを想い出しました。車イスの操作に慣れていなかった私は病院の前の緩い坂で母をイスから落としてしまったのです。それから暫くの間は『オマエの運転では車イスに乗りたくない』と乗車拒否されてしまいました。(笑)その事件の直後にさちさんとお会いしたのでした。懐かしく想い出されます。ありがとうございます。
お袋の死は、男には堪えます・・・。
ご冥福をお祈りします。
88才は大往生に近いですから、会話のご様子から、満足して逝かれたことと思います。
悔やみのお言葉有り難うございます。
ある作家が『男は原理、女は存在だ』と言っていました。10年前に父の施主をした時は涙は流しませんでした。しかし、今回は不覚にも2度ほど流しました。そんな違いを見て、娘は『オヤジも歳だね』とやや冷ややかでした。そうかも知れないなどと言葉を合わせたものの、内心はそれだけではない!と抵抗しています。
母の遺志で家族葬で執り行いました。香典等の気遣いは謝絶させて頂いております。何とぞご了承のほどお願いいたします。老婆心ながら。