イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

母、他界。

2010-04-15 18:27:48 | 日記・エッセイ・コラム

 『ばあちゃん!』イワン・アサノヴィッチは久しぶりに母に声を掛けた。

イワン・アサノヴィッチの母は2月の末に一時危篤状態に陥った。その後は持ち直しはしたものの、それからは食も細り衰弱し会話も不自由になり、長い会話や内容の込み入った会話は出来ないでいた。

『昨日さ、またK子(イワン・アサノヴィッチの娘)と口論になってしまったよ。』イワン・アサノヴィッチは愚痴をこぼした。『またかい、なんでやの?』と母。

I・A 『いい歳して、あまりにも勝手なことを言うからさ。ちょっと叱った。』
母 『K子だって勤めていればイヤな事だってあるわいさ、親があんまりウルサイことは言わんこっちゃ。』
I・A 『そうか…、そう言えば今度Y子(イワン・アサノヴィッチの姪)が婆ちゃんに会いに来るぞ。またあの婚約者も一緒だってさ!』
母 『ああ、あのおヒゲも一緒かい? 割とイケメンなんだけどさあのヒゲが気に入らんわいね。』
I・A 『まあそうかも知らんが、Y子が好きになったのだから仕方ないよ。』
母 『でもさ、揃って来てくれるだけ嬉しいよ!』
I・A 『そうだな。…』

 愚痴まじりの他愛のない、老いたる親子の久しぶりの会話である。告別式を待つ祭壇の母の遺影に向かってイワン・アサノヴィッチは語りかけていた。
 

 4月2日、イワン・アサノヴィッチの母は他界した。享年88歳であった。


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5 コメント

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nakamuraさん (イワン・アサノヴィッチ)
2010-04-21 23:49:53
nakamuraさん
悔やみのお言葉有り難うございます。
ある作家が『男は原理、女は存在だ』と言っていました。10年前に父の施主をした時は涙は流しませんでした。しかし、今回は不覚にも2度ほど流しました。そんな違いを見て、娘は『オヤジも歳だね』とやや冷ややかでした。そうかも知れないなどと言葉を合わせたものの、内心はそれだけではない!と抵抗しています。
 母の遺志で家族葬で執り行いました。香典等の気遣いは謝絶させて頂いております。何とぞご了承のほどお願いいたします。老婆心ながら。
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こんばんは。 (nakamura)
2010-04-21 21:42:08
こんばんは。

お袋の死は、男には堪えます・・・。

ご冥福をお祈りします。
88才は大往生に近いですから、会話のご様子から、満足して逝かれたことと思います。
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さちさん (イワン・アサノヴィッチ)
2010-04-21 15:17:36
さちさん
悔やみのお言葉有り難うございました。
そう言えば病院の前でお会いしたことを想い出しました。車イスの操作に慣れていなかった私は病院の前の緩い坂で母をイスから落としてしまったのです。それから暫くの間は『オマエの運転では車イスに乗りたくない』と乗車拒否されてしまいました。(笑)その事件の直後にさちさんとお会いしたのでした。懐かしく想い出されます。ありがとうございます。
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お母様のご冥福を、心からお祈りします。 (さち)
2010-04-21 15:03:26
お母様のご冥福を、心からお祈りします。
以前、病院で偶然お目にかかった時、優しく
お母様を誘導してらしたアサノヴィッチさんが
まぶたに浮かびました。
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 母は4年前から市内の介護付き有料老人ホームに... (イワン・アサノヴィッチ)
2010-04-20 20:43:31
 母は4年前から市内の介護付き有料老人ホームに入所していました。当時の母は日中は一人で留守番をしていました。足腰が弱くなってきつつあった母はある日、消えているストーブの上に転んでしまいました。不安を抱いた母はホームへの入所を希望しました。『自分も日中ひとりでは段々と怖くなってきた、オマエたちに迷惑も掛けたくないのでホームに入りたい。』と言うことで入所したわけです。入所に伴い少し経費がかかるようにはなったものの、お陰様で家族は日中心配することなく勤めに出ることが出来たことは感謝の限りでした。施設では間もなく車イス生活になりましたがあとは全く問題なく生活が出来ていました。私は車いす散歩に連れ出し、タバコ好きの母と良くいっぷくをしたものでした。また、甘いモノ好きの母にせがまれ見舞いがてら差し入れをしたのですが、量が過ぎて施設のケアマネさんから注意を受けたりしたものでした。やがて孫が結婚し、ひ孫が生まれ大勢で見舞い訪問した時には目を細めて喜んでくれたりしていたものでした。多発性脳梗塞に伴う老衰がすすみ昨年の11月の車いす散歩では好きなタバコが欲しくないと言い出しました。意外な言葉だったので私は少し驚くと同時に、この先あまり長くはないなと思いました。進行の遅い子宮癌の症状も現れ、2月には危篤状況に陥り夫婦交代で泊まり込みの付き添いをしましたが5日目に持ち直しました。しかしその後、衰弱は一気にすすみ、長い会話や少し込み入った会話は出来ない状態となりました。4月2日の朝、容体が悪くなったとの連絡を施設から受けて駆けつけましたが、その日の午後1時46分に私の目の前で静に息を引き取りました。医師や看護師を呼ぶ前に私は母の脈を確認し、オデコに手を当て体温がみるみる無くなって行く様子を感じながら『ばあちゃん!ごくろうさんでした!』と声をかけました。呆気なくも感動的な一瞬でした。
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