そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

争いを超えていく

2009-05-09 06:07:55 | 癒し
この地域には、名草戸畔と戦った神武天皇軍の人間を祀った神社もあります。
狭いエリアに、双方の霊を弔う場所が混在しています。

ある神武側の神社を参拝したおりには、変わったことが聞こえました。
『今はいじめないでくれ。
突っ込む時期じゃない。』
名草戸畔を想いを馳せてこの地方を訪れる旅行者もあることでしょう。
判官びいきという言葉もあるように、強者に立ち向かった勇敢な人、として名草戸畔を慕う人たちからは、祭神に対する視線が厳しい場合もあるかもしれません。

わたしたちは、この国を作り上げてきたいのちたちに対して畏敬の念をもち、感謝して歩くのみです。
どちらかのサイドに立って、相手を糾弾するようなことは、過去の争いを再燃させるだけです。
遺恨が残らないように、全てのいのちが光とともにあることを祈り続けます。

この神社も友ヶ島の前日、3月25日に再度参拝しました。
名草戸畔のいのちがよろこびに包まれているのを確認した後でした。

『ここの祭神も立ち上がる。
働く力になる。
名草の方がきれいになると、ここの文化的価値も上がる。

これで自由に立ち回れるようになった。』

正義がどちらかを決めようとするならば、必ずそこには不満が生まれます。
いやし、浄めとは理解であり、和解であり、対立の助長ではありません。

名草戸畔のところで聞こえたこと以上に、嬉しい言葉でした。
現代に生きるわたしたちは、未来を創造していくために立ち上がる頼もしいいのちを、分け隔てることなく受け入れたいものです。

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