くもりがちで、ヒンヤリした花冷えの日曜日。
3月中旬には、もう、ソメイヨシノの開花が始まって、3月の風景は、4月を先取りしていた感じで。
菜の花はもう河川敷をスプリングイエローに染めていたし、4月中旬頃開花する新種の桜も、開花を初めていて、なんだか、穏やかな暖かさのはずの3月が消えてしまった感じがしないでもない・・・。
3月末には、二階屋の窓にぺったりとヤモリが、貼り付いていたし、4月中旬以降にならないとみかけないアゲハ蝶なども舞っていたりして、植物も生物も、春を一気に先取りしているかのよう。
早春・・・が短いってことなのかも・・・。
この数日(先週29日から4月1日迄)、毎日、ひとり御花見ドライブを楽しんだ。
29日は、市内北部の溜池の桜。
30日は、県央の転居先へ向かう途中、北隣りの市中の裏道など抜けて、3時間近く、桜を探して走った。
31日は、菩提寺出向き、その周辺と自宅至近の市道15号の桜のトンネルを往復したり。
月が替わって、1日(昨日)は、転居先である県央の国立大学周辺の桜の通りを歩いたり・・。
御花見ウィークでもあった訳で。
もう染井吉野は、散り終わりだけれど、もう思川桜が満開を迎えようとしていて、この桜も4月中旬にならないと満開にならなかったのに、今年は10日前後、例年よりも早い・・・。
まだ母が存命していた頃、県庁舎出張所(拙宅より徒歩10分くらいかな?)付近の思川桜が、満開だったよ・・・とか言って、日課の散歩ができなくなった母の代りに、桜開花を伝えたりしたことを思い出す。
私は、殆ど、症状がなかった更年期障害だけれど、母は、ものすごく酷かった。
夜間に身体を揺すっていないと落ち着かず、じっとしていられない。動悸やめまいを訴え、歩いてくるとか言い出すので、深夜だし、車だって通るから危ないし・・・それでは、ドライブでもするか・・・と母を助手席に乗せて、市内を巡り、道路沿いの夜桜を探して1、2時間近く走り回り、少し気持ちが治まったのか・・・家に戻ると、眠りについて・・・なんてことをしたこともあったけれど、あの日も、たぶん桜満開の花冷えの夜だったような気がする。
あの母の異常な様子をみて、私も更年期障害って、あんなふうになるのかとおもっていたけれど、私は、それどころではなかった。
母が更年期障害を患っていた年齢の頃の私は、会社吸収合併、配置換え、失職、無職となったり。
ずっと定年迄、お勤めしていたなら、たぶん、母のような更年期障害によるものであろう自律神経失調?みたいな症状が出ていたのかも知れず・・・。
あの頃の母は、たぶん、自分の夫である私の父の病状とかで、物凄いストレスだったのかもしれない。
本当に、よく耐えたねぇ・・・今更ながらそう思う。
母と市内の桜を巡る夜間のドライブも今となっては、薄れていく記憶で、あとは、春に旅先で、何度かみた桜もあったな・・・。
母は、
『桜は、ぱぁ~と咲いて、パッと散るから、あんまり好きじゃないかも・・・。』
とか、言っていた時期もあったけれど。
私は、去年迄は、なんとなく、桜フリークで、今でもそうなのだけれど、最近では、染井吉野はちょっとコワイ感じもしていて、あの満開の桜の花芯が、集合体恐怖症の私の神経に触れるような気がしている。見ることはできるし、恐怖と言うほどでもないのだけれど。
それでも、やはり、霞みのむこうに、染まる桜色は、美しいし、春の訪れを寿ぐ気持ちは、かわらない・・・(ような気がする)。
そんなことなど、考えながら、車を走らせて御花見しまくった週末のお話。