鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

記憶の旅②花火大会

2022-08-21 20:33:03 | Weblog

曇り空の午前中、小雨降ったり・・・昼過ぎから、陽も差して、蒸し暑。。

 

市内の花火大会も規模縮小ながら、自宅ベランダから、贅沢な花火を見ることが出来た昨日。

この花火大会の一番最初の思い出は、まだ乳幼児の頃。

河川敷の花火大会の会場に連れていかれた私は、花火の音にビビリ捲り、ギャン泣き。

三つ子の魂百迄・・・というか。

異常なビビリで、臆病だったのは、幼少の頃から、ちっとも変っていないようで。

・・・と言う訳で、翌年の花火大会は、母とお留守番となり、母は、家の外に私を連れ出し、玄関先の花火の見える場所から、空を彩る花火を見たのが、私の花火大会の最初の記憶。

 

海水浴に連れて行ってもらっても、波が怖くてギャン泣き。

犬が吠えても怖くてギャン泣き。

母親の姿がちょっとでも見えなくなるとギャン泣き。

 

こんなに泣き叫んでばかりいたら、涙の源泉も枯れるのも早かろう・・・と思う位、毎日、毎日が、恐怖の連続だった子供時代を思い出しました。

自分の外の世界が、怖い。

 

綺麗な花火も音が怖い。

・・・今考えてみると、私は、音に対して、物凄い恐怖を持っているようで(何が原因なのかわからないのだけれど)、小さな物音にも、過剰に反応するし、ひとの声・・・特に、怒鳴り声など聞こうものなら、脅えてしまうのは今でも。

故に、あれ程、大音響の花火も、怖かったに違いない。

恐い・・・恐怖の源泉って、一体何だったんだろう・・・命の危機とか、死・・・とかではなかったような気もするし、大体、死なんてわからないのに、何故、あれ程、世界中のモノが、怖かったんだろう。

潜在的に、わかっているものなのかなぁ・・・???

 

高校生になって・・・(もしかすると中学生?)、同じ学年で、実家が花火師をしているというひとが居ると知りました。

綺麗なひとで、華奢で、線が細く、ちょっと中性的というか、清潔な感じのする女子高校生が居たことを思い出しました。

地元のローカルテレビに、ご実家の花火製作現場などの取材ニュースは、夏近くなるとよく取り上げられるので、今、どうしているのかな???と思います。

私は、彼女を知っているけれど、彼女は、たぶん、私の事は、知らないと思います・・・高校時代って、あまり学校へ行っていなかったので。

 

昨日みた花火も、昔の一色か二色の花火とは、違って、赤、黄色、緑、青、紫、オレンジ、白・・・。

色もそうだけれど、打ちあがった花火の形も、花、ハート、苺、土星?、星・・・いろいろあって、綺麗なものでした。