台風が逸れて通過。風が強い真夏日。
ヒトが、自分の肉眼で、確認できないもののひとつに、『自分自身の顔』というものがあります。
自分自身でありながら、目視することができない・・・唯一のものが、己が顔・・・。
創造の際に、なにか深い意図があったのか・・・或いは、世界を7日間で、急拵えしなければならなかったから、手抜きとか・・・。
ひとが己の姿を確認できるのは、太古であれば、水面に映った己の顔。
少し時代が進んでも、青銅などを磨いた銅鏡で、それ程、はっきりとは、映らなかったようでも、この銅鏡などは、権力者とか・・・富裕層しか所持できなかったわけで。
今のように、はっきりと自分の顔及び姿が確認できるようになったのは、それ程、昔のことではなくて・・・。
今は、鏡の他に、写真、VTR、スマートフォンのカメラ・・・などなどで確認できますし、存在の証明にも使われますかね?
(私的には、写真に写った自分の顔と鏡で見る自分の顔が全く違ってみえるのだけれど・・・?やっぱ。本人なんでしょうなぁ・・・)
今ほど、自分の顔や姿を認識できなかった時代。
自分を映す鏡は、やはり、神秘的なものだったことでしょう。
私は、このところ、週一で、都内へ出ていて、途中のメガデパートで、食事をしているのですが、このメガデパートの最上階のお手洗いをよく拝借します。
実は、ここのお手洗いの鏡は、ちょっと不思議なのです。
(不思議ったって、怪奇現象とか・・・そんなんじゃないですよ)
妙に映り具合がよい・・・のです。
つまり・・・この鏡に自分を映すと・・・
(あれれ・・・ワタシってこんな顔だったっけ・・・???)
と思うのです。
照明の関係とか、立ち位置などの物理的要因もあるのでしょうけれど。
・・・つまり、頭で考えていて、写真や自宅の鏡で、認識している時分の顔とは、どこか・・・ちょっと違うのです。
その証拠(・・・というほど、大したモンじゃないけれど)に、この洗面台の鏡についている水道の蛇口のステンレス?に映る自分の顔って、普段認識している顔なんですよね・・・。
脳に、なんらかの錯視をあたえるこの鏡・・・何か秘密があるのでは・・・???と思います。