みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

源流は自由民権運動 今、憲法を考える(4)/修正重ね、自らの手に 今、憲法を考える(5)/オーシャンブルー(琉球朝顔)の花

2016-09-02 17:30:02 | ほん/新聞/ニュース
昨夜はテレビをつけたまま床に敷いたマットで寝てしまって、
途中でベッドに行ったのですが寝不足気味。
今朝はいつもの時間に起きたのですが、
すっきり目が覚めないのでウォーキングはお休みです。


夏の間も咲き続けていたオーシャンブルー(琉球朝顔)は、
朝顔に似た花をたくさん咲かせます。

(↑台風が来る2週間ほど前に撮った写真。今は咲き休んでいます)

オーシャンブルーの花は、一日のうちで朝は青で夕方は赤へと、色が変化していくのですが、
朝晩涼しくなってくると、花色の変化が遅くなります。

種なしキンカン「チビマル」も、二度咲きの花がおわったところで、、
最初咲いた花は、すでに小さな丸い実をつけています。
  

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後半は、
中日新聞社説「今、憲法を考える」の連載のつづきです。

「源流は自由民権運動 今、憲法を考える(4)」と
「修正重ね、自らの手に 今、憲法を考える(5)」を紹介します。

  社説:源流は自由民権運動 今、憲法を考える(4)
2016年9月1日 中日新聞

 今年で公布七十年を迎える日本国憲法。改正を目指す「改憲」論者は、占領軍によって押し付けられた憲法であることを、改正を必要とする根拠に挙げるが、本当に押し付けだったのだろうか。

 敗戦から二カ月後の一九四五年十月十五日発行の「東京新聞」(現在は本社が発行)一面トップに「憲法改正」と題する評論記事が掲載された。筆者は鈴木安蔵氏。後に静岡大や愛知大などで教授を務めた憲法研究者だ。

 三日連続で掲載された評論記事で、鈴木氏は「日本国家の民主主義的建設」や「日本民族のより高次な発展」のためには大日本帝国憲法を全面的に改正する必要があり、改正の意見が「広く国民の間から、溌剌(はつらつ)として」展開されることが望ましいと主張している。

 この連載からほどなく、鈴木氏は元東京帝大教授の高野岩三郎氏の呼びかけで民間の憲法制定研究団体「憲法研究会」に参加する。

 研究会には早稲田大教授の杉森孝次郎、社会学者の森戸辰男両氏のほか、馬場恒吾、室伏高信、岩淵辰雄各氏ら当時の日本を代表する言論人も名を連ねていた。

 憲法研究会は二カ月間にわたって議論を重ね、四五年十二月二十六日、憲法草案要綱を発表した。政府の憲法調査会の改正草案よりも一カ月以上早く、新聞各紙が一面トップなどで大きく報じた。

 「統治権は国民より発す」と国民主権を明示し、天皇に関しては「国民の委任により専ら国家的儀礼を司(つかさど)る」と象徴天皇制に通じる内容だ。「法の下の平等」や「男女同権」など、現行憲法と共通する条文も列挙している。

 この案は一民間の案にとどまらなかった。連合国軍総司令部(GHQ)にも提出され、GHQによる憲法草案の作成に大きな影響を与えたことは、多くの証言や資料から明らかになっている。

 鈴木氏は明治期の自由民権運動活動家、植木枝盛の私擬憲法「東洋大日本国国憲按(あん)」を発掘し、分析したことでも知られ、憲法研究会の憲法草案要綱の作成に当たっては、自由権を規定するなど進取的な植木案をはじめとする私擬憲法や諸外国の憲法を参考にしたことを明らかにしている。

 現行の日本国憲法がGHQの影響下で制定されたことは疑いの余地はないが、そのGHQの草案には日本の憲法研究会案が強い影響を与えた。しかも、その源流が自由民権運動にあることもまた、紛れのない歴史的事実である。 


  社説:修正重ね、自らの手に 今、憲法を考える(5) 
2016年9月2日 中日新聞

 「改憲」論者が憲法改正を必要とする理由の一つに挙げているのが、その制定過程。現行の日本国憲法は連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられたとの立場、「押し付け憲法論」である。

 現行憲法が終戦後、マッカーサー元帥率いるGHQの影響下で制定されたことは事実だ。

 松本烝治国務大臣を委員長とする日本政府の憲法問題調査委員会(松本委員会)による憲法改正案を拒否したGHQは自ら改正草案を九日間で作成し、政府に受け入れを迫った。GHQ草案である。

 日本政府は結局、この草案に沿って大日本帝国憲法の改正案を起草し、帝国議会に提出する。

 在任中の改憲を目指す安倍晋三首相が「日本が占領下にある当時、日本国政府といえどもGHQの意向には逆らえない中、この憲法がつくられ、極めて短い期間につくられた」と述べるのも、こうした経緯に基づくのだろう。

 しかし、この見方は表面的だ。

 GHQの草案づくりには、日本の民間団体「憲法研究会」が作成した「憲法草案要綱」が強い影響を与えていたし、日本政府が憲法改正案をつくる際も、GHQ草案をそのまま受け入れたわけではなく、地方自治規定を盛り込むなど「日本化」の努力がされていた。

 平和国家という戦後日本の在り方を規定した戦争放棄の九条が、当時首相だった幣原喜重郎氏の発案だったことも、マッカーサー元帥の著書や書簡、幣原氏の証言などから明らかになっている。

 改正案を審議した帝国議会で活発に議論され、修正を加えたことも押し付けとは言えない証左だ。

 九条第二項冒頭に「前項の目的を達するため」との文言を加え、自衛権を保持しうることを明確にしたとされる「芦田修正」は衆院での修正。貴族院では、公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する、などの修正を加えた。憲法前文は、両院で修正され、文言が練られている。

 現行憲法が、押し付けられたものを唯々諾々と受け入れたわけでないことは明らかだ。むしろGHQの圧力を利用して旧弊を一掃し、新生日本にふさわしい憲法を自らの手でつくり上げた、と言った方が適切だろう。

 何よりも重要なことは、公布後七十年もの長きにわたり、主権者である国民が憲法改正という政治選択をしなかった事実である。押し付け憲法論は、賢明なる先人に対する冒涜(ぼうとく)にもつながる。 


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9月1日(木)のつぶやき

2016-09-02 01:09:11 | 花/美しいもの
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