2009年、大晦日です。
28日,29日に北陸に行ってきました。
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今年は「市民と政治をつなぐ P-WAN」を開設し
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ということで、今年最後にアップした、新聞各社の社説です。
2010年は、すぐそこまで来ています。
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社説:チェンジの09年―明日に向け変革の持続を 2009年12月31日(木)付 朝日新聞 大みそかの話。心を入れかえた男は家業の魚屋に精を出した。飲んだくれていた3年前とは大変わり。満ち足りたいまがある。その時、女房が汚い財布を持ち出してきた。ああ、夢だと思った42両が入ったあの財布。ああ、良かった、あの時お前が隠してくれたおかげでおれは変われたんだから。 亡くなった円楽さんも得意にした落語「芝浜」の山場の情景である。 変わるのは大変なことだ。これまでの習慣や生活を変えて、新たな暮らしを始める。変えようと継続する意志の強さ。生半可ではできない。 ■やりきれない閉塞感 人ひとりでもそうなのだ。まして社会や世界の話となると難儀である。 2009年は大変革の年だった。世界、日本で変化、変革が実現した。しかし、いま「変わることとは何だろうか」と皆が考え込んでもいる。 米国では「チェンジ」を唱えるオバマ氏が大統領に就任した。 時あたかも歴史的な危機の中だった。軍事力と並び覇権国の力の源泉だった金融力が、まさに内部から溶解現象を起こしていた。原因は自業自得とも言える強欲だ。 世界大恐慌の二の舞いとなる寸前のうねりを押しとどめ、米国を立て直す期待を担って登場したのは、伝統的なエリート層やウォール街の出身者ではない。ケニア人留学生の息子にして初の黒人大統領。主役の交代を象徴する出来事だった。 日本では自民党が権力の座から転がり落ちた。ばらまきを支えた好況は過去のものとなり、残っているのは巨額の国家債務だ。国民に豊かさの実感はなく、格差は広がり、若者が希望を持てない社会だと誰もが言う。 やり切れないほどの閉塞(へいそく)感を何とかしたい。国民の期待を託され、戦後初の選挙による政権交代で民主党の鳩山由紀夫氏が首相に就任した。 ■報われる社会へ 変化、変革の風を受けて政権についた2人は、その言葉の重さを十二分にも意識していたろう。「世界が変わったのだから、それに伴って私たちも変わらなければならない」。1月の就任演説でオバマ氏は米国民、そして世界に呼びかけた。 鳩山氏も10月の所信表明演説で「現在、内閣が取り組んでいるのは『無血の平成維新』だ。国のかたちの変革の試みだ」と述べた。 そもそも、変化や変革とは一体何だろ 中国文学者の白川静氏によると「変」は神への誓いの言葉を入れた器を打つことを表す文字で、改めるの意味になる。「革」は頭から手足までの全体の皮をひらいてなめした形で、生の皮とすっかり異なる姿を示す。従来の約束を破り、様変わりすることだ。 20年前、冷戦が終わって世界は様変わりした。しかし社会主義に勝ったはずの資本主義はいま、袋小路に入り込んでしまった。時代は、ひどくあいまいで、立ちすくんでいる。 「ここから私たちはどこにいくのか。そして何をすべきか」。もうひとごとではない、と感じ取った人びとが、その答えを「チェンジ」と、その先に求めたのではないか。 私たちの前には、変えるべきものが山のようにある。地球規模の問題としてはオバマ氏が提唱し、共感の輪を広げた「核なき世界」。先のデンマーク会合で先進国と途上国の対立があらわになった「地球温暖化対策」…… 日常生活を見れば、急速に進む少子高齢化がある。衰退の危機が声高に語られ、そこに変革の課題もある。土建国家から、弱者も安心して住める福祉社会への転換。格差から、働く意欲のある人が等しく報われる社会へ。 そして、戦後の安全保障の負の部分を、沖縄という一つの県と住民に担わせてきた現実をどうするのか。 核なき世界とは圧倒的な抑止力を自ら放棄することだ。その代役を何に求めるのか。通常兵器の軍拡、通常戦争の蔓延(まんえん)になっては元も子もない。 ■負担を分かち合う 地球温暖化問題も、CO2を先食いして成長を遂げてきた先進国という既得権者と、これから豊かになろうとする途上国とが折り合う方法を編み出さねば、世界の未来は展望できない。 「コンクリートから人へ」。日本の国造りの転換を掲げる民主党の問題意識は、国民の支持を集めた。立派な道路や建物がつくられてきたが、人間の安心、安全のための社会保障制度や、小さくても役に立つ福祉施設などは、おろそかにされてきた。国の資源配分の構造を思い切って変える時だ。 しかし、地方経済は公共事業に依存し雇用も支えられてきた。国造りのベクトル転換で、新たな産業を生み出すようにする知恵と工夫がいる。 弱者も安心して住める社会の実現には、富める者がこれまで以上に負担する必要がある。非正規雇用を減らすには、正規雇用者の賃下げやワークシェアリングの議論も避けられない。苦労や痛みを分かち合うことで、私たちの明日を作る力も生まれてくる。 オバマ演説に戻る。「試練の時に、この旅が終わってしまうことを許さなかったと語られるようにしよう」。変革の決意を国民と未来の世代に伝えようとした言葉だ。 私たちも果敢に挑むしかない。その先に希望があると信じ |
社説:2009年を振り返る 変革の芽を育てたい まだコップに水はある 2009.12.31 毎日新聞 09年は世界にとって大きな政治変動があった年と記憶されそうだ。 米国には建国二百有余年で初の黒人大統領が誕生し、日本では憲政史上これも初めてと言っていい本格的な政権交代が行われた。冷戦が崩壊して20年の年として、欧州連合(EU)は大統領を選ぶまでに政治統合を進め、世界の運命を決める舞台は、「G8」から「G20」に移った。内外における驚くべき政治主体の入れ替わりである。これが政治力の復権につながるのか、政治に対する無力感を再生産するだけなのか、大きな岐路にも見える。 ◇日米の政権交代の意味 8月30日に行われた衆院選でなぜ民主党が地滑り的な大勝を収めたのか。民意を増幅する小選挙区制度も一因だろうが、何よりも国民が、戦後長期間続いた従来型政治に決別し、別の新しい政治を意識的に選択したことにあろう。 その背景には、日本をめぐる諸環境の変化がある。止まらぬ少子高齢化とそれに対応できずきしみをあげる社会保障制度。リーマン・ショックで傷ついた日本の外需依存型経済モデルと膨張し続ける財政赤字。最大の同盟国・米国の政治、経済覇権の落ち込みと中国を軸にしたアジアパワーの興隆。これら構造的変化を伴う新事態対応や難題解決は政治にしかできないことを承知の上での投票行動だったと推察する。 こういった国民の負託に新政権がどれだけ応えているかについては心もとないところもある。年末の予算編成を終わってみてマニフェストがどの程度実行されたのか。約束された財源をどれだけひねり出すことができたのか。持続可能な年金・医療・介護の制度改革の設計図ができたのか。何よりも説得力のある新成長戦略が見えていないし、財政規律については何の回答も出ていない。外交・安保も普天間移設問題で足踏みばかりが目立っている。 だが、角度を変えてみると、少子高齢化対策への第一歩としての子ども手当はスタートを切ることができ、外交・安保政策は不協和音を立てつつも在日米軍基地のあり方という、安保改定50年に向けた根源的な議論に踏み込もうとしている。 次に、米国をどう見るか。政治的には一極突出の対決型、経済的には金融至上主義的な価値観がいずれも破綻(はたん)、米国民はやむにやまれず、オバマ新大統領による多極的・協調型政治を選択した。もちろんこれもすべて成功しているわけではない。経済はとても回復軌道に乗ったとは言い難いし、アフガニスタン増派、テロ未遂とまだまだ国難が続く。ただし、こうも言えないか。米新政権は、カイロ、プラハの演説で世界に新しい目標を与え、内政面では医療保険法案をめぐる議会への粘り強い説得で米国社会を自己改造しつつある。 欧州の動きも見逃せない。2度の大戦の反省を原動力にする政治統合の試みは、ついに加盟を27カ国に増やし、新基本条約「リスボン条約」の発効で、EU大統領(欧州理事会常任議長)を新設するところまできた。この体制下では警察・司法も段階的に統合され、移民・難民政策も共通化が推進されるという。 ◇「G20」の政治力に注目 これら3極、つまり、日米とEUを軸とした国際協調システム「G8」体制もこの1年ですっかり「G20」に権限移行しつつある。リーマン後の世界経済立て直しは、ブラジル、ロシア、インド、中国のBRICs各国の協力を得なければとてもなしえる仕事ではなかった。 もちろん、「G20」の政治力は未知数である。年末に行われた国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)の結果がその参考になろう。G20の意向を無視できない会議だったからだ。結果的には先進国、途上国の対立で法的拘束力のある合意には至らなかった。だが、世界の4割の温室効果ガスを排出する米中2国が最後まで議論の土俵から下りなかったことは今後のてがかりになるのではないか。 この1年は、世界のグローバル化が一層進んだ年でもあった。リーマン・ショックの一気呵成(かせい)の波及と「G20」による財政・金融政策の協調的実施、インフルエンザのあっという間の国際的な広がりとその対応の地球的協力、エネルギー・食糧問題もしかり。自国の庭先だけを掃いていればすむような時代ではなくなった。情報の正確、迅速な受発信と、コミュニケーション能力に裏付けられたたくましい協調精神が必要だ。 今年始動した裁判員制度にも触れたい。制度実施前のさまざまな不安、問題点の指摘はあったものの、ここまで見る限りは、司法の民主化という側面で大きな実績を上げているのではなかろうか。裁判の迅速化、透明化だけでなく、民主主義の基盤となる良識ある成熟した市民が広範に存在することがよくわかった。 コップに半分の水がある。半分しかないのか、まだ半分もあるのか。変革の芽はある。芽しかないのか。政治をどう生かしどう自らを救うのか。その力は実は我々国民の側にあるのではないか。 |
【社説】日本人の見えざる変化 大晦日に考える 中日新聞 2009年12月31日 変わらないようで変わる。政権交代は劇的な変化でしたが、見えない部分でこそ日本人の変化は起きているのではないか。今年を振り返りましょう。 秋、千葉・幕張の東京モーターショーでのことです。日産の展示は、リーフと呼ぶ電気自動車でした。担当の男性技術者-。 「ぼくは前はスカイラインの開発をしていました。今はこれ(と指さし)電気自動車です。空力特性もすごいんですよ」 意気込む自動車技術者 日産の社長兼最高経営責任者のカルロス・ゴーン氏は電気自動車に最精鋭を投入。スカイラインをつくる日本の職人たちは、ゴーン氏という黒船によっていち早くより深く世界市場を意識した…。技術者の熱い話しぶりは経営と現場一丸で走るという印象でした。車載電池はフランスのルノーと共用です。 工場が海外へ出て行き、日本の製造業はピンチです。経営者も技術者も日本で世界を相手に競う。エンジンからモーターへのように仕事は変わる。でも日本の高度技術者、熟練の職人たちは元スカイライン開発者のように変えられるより自ら変わる方を選ぶでしょう。そういう意識の変化はどこでも始まっている。時代とともに人が変わるとはそういうことです。 この夏、裁判員裁判が始まりました。暮れまでに五十地裁で八百三十六人が裁判員を務め、百三十八件百四十二人に判決を言い渡しました。 ある裁判の裁判員記者会見を見ました。 マイクを前に座る市民裁判員たちの言葉や表情は疲労と心労をはっきり示していました。人を裁くとは、振り返れば怖くなるほどの重責です。しかし責務を果たした充足感も伝わってきました。 ひとつ、打ち明け話をすると、裁判員会見は本紙の考えとして新聞協会の会合で提案したことでした。裁判員への接触禁止など取材制限が厳しすぎて、これでは検証不能になると恐れたからです。そこで裁判員の皆さんに協力をお願いすることにしたのです。 市民裁判員たちが、もちろん不慣れな記者会見で、それでも自分の考えや感想を一生懸命に述べられている様子を前にして、心の中で深く頭を下げました。会見に出てもらえるのか、正直に言えば心配だったからです。 裁判員裁判にはなお反論もまた改善の余地もあるでしょう。しかし、裁判員の経験を通じ日本人は自らの元よりの力を自覚しつつあるとも思うのです。 経験主義と現実主義で 四方を海に囲まれた日本は過去何度も時代の大波に洗われてきました。近代で言うなら黒船来航の明治維新、米国に負けた昭和の戦争の二つです。この難局をどうにか克服できたのは、日本人が古来培ってきた経験主義や現実主義という特質のお陰(かげ)だと思います。 学者ではないが鋭い文明批評家だった長谷川如是閑は、明治維新の欧化は日本人にはごく自然なことだった、と述べています。彼自身、英米デモクラシーの支持者でフランスやドイツの急進的また思弁的な思想よりも英米の経験や現実重視の方が日本に適合すると考えていました。 もう少し如是閑の話をすると、彼は明治八年、東京・深川の生まれ。祖父は大工の親方、父は木材問屋。自ら職人気質の江戸っ子と誇り、そのことを愛していた。 著書の「私の常識哲学」では、ある友人は建築場で冬でもないのに、どてらに昔風の固いカンカン帽だ、なんて書いていました。建築場ではいつ上から物が降ってくるかもしれないから、というのです。冗談のようですが、そういう経験的で現実的な行動は、日本人ならだれでも、ああそうだね、と思い当たるところなのではありませんか。 そういう日本人論が彼の本意であり、彼は英国の哲学者バートランド・ラッセルの、英国の哲学は哲学否定の哲学である、という言葉が大好きでした。 弱肉強食をこえた生存 政権交代がありました。国民は政治の行き詰まりを実感していました。しかしそのずっと前、地方自治は変わり始めていました。役所仕事、税の無駄遣いに対する不満が元気な知事や市長を当選させた。日本人の現実主義は身近なところから現実を変えたのです。 今年はダーウィンの生誕二百年でした。その進化論いわく、強いものが生き残るのでなく、賢いものが生き残るのでもなく、環境に適応したものが生き残る。弱肉強食、ジャングルの掟(おきて)をこえたところに適者生存、静かなる変異の本質はあります。 このしなやかさも見えざる変化の一つかもしれませんね。 未来とは夢想ではなく経験と現実が築くのです。 |
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