気ままなあれこれ日記

60代主婦が、日々の雑事から感じたことを日記にしました。

何も考えない

2011-10-21 21:04:47 | Weblog
毎日毎日、あくせくと働く。

もちろん、自分の意思で仕事を選んで、20年余たつ。

しかし、そういう仕事でも愚痴が出る。

心にゆとりがなくなると。

大目に考えられなくなる。

限界と言う壁。

金曜日の夜。

何も考えたくない。

心を無にして、心配もせず、悩みもせず。

ただこの世に生きている。

何の目的もなく。

私が誰で、何のためとか考えずに。

無名で、匿名で・・・。

その方がより自由になれる。

読書週間

2011-10-20 21:30:55 | Weblog
今週は、勤務校の読書週間がある。

図書担当の自分は、何かとお膳立てをする。

今日の「読書バイキング」には、各教室の表示をワードのワードアートを使って作成する。

そして、朝、教室の入り口に掲示した。

またも、昼休み、その現場をデジカメで撮影に回る。

12この教室。

子どもたちは、自分の好きな教室に出向くのだ。

だからバイキング?

だからといって、はしごはしない。

特に若い先生方がボランティアで、協力してくださった。

図書館も、大盛況。

補助員の方が、カウンターにたくさんの子どもたちが列になり、大混雑。

うれしい悲鳴。

読書の秋。

そういう私も本を読みたいな。

じっくりと。


いいかげんな・・

2011-10-19 20:05:15 | Weblog
クラスで、手のかかる2人がいる。男子、R君とA君。

共通点を見出してはいけないが、母子家庭だ。

R君は、お母さんが29歳。

お兄ちゃんとお母さんと3人暮らし。

お母さんは、昼間、インターネットカフェで働いていて、夜、週に3回ラーメン屋さんでも、働く。

正直、R君は、お母さんからネグレクトされている感じ。朝ごはんは、ヨーグルトだけとか。

大事なカードも、参観会で、お母さんに直接手渡したのに、今日の返事によると他のプリントと捨ててしまったと。

なんてことだ!

もう一人、A君。

お母さんの実家に、祖父母と暮らしている。

その家も、お母さんが、A君の宿題を放置していて、親の点検欄は無記入だ。

そのくせ、スマートフォンを大事そうに持って放課後倶楽部に迎えに来ていた。

両者とも、子ども対する愛情が希薄なのだ。関心がない。

いいかげんなのだ。

離婚したバツ一の女性に偏見をもちたくないが、自分が親権をもったならもっと子供を大事にしなよと言いたい。

理由はない

2011-10-18 21:26:54 | Weblog
人を好きになるのに、理由はない。

世の中の人は、大方、この命題に、「YES」と賛成されることだろう。

理屈ではない。

感情なのだ。

よくドラマや映画の1シーンで、男女のからみで、「あなたは、本当に人を愛したことがないでしょ」などと

いうセリフを聞く。

「本当に人を愛する」とは?

男女の関係は、奥が深く、一筋縄では理解できない。

頭でなく、経験にいって学習する。

学問ではないのだ。

理論ではないのだ。

昔は、feelingが合うとか言ったけど、

何だろう?何か、目には見えない磁石でひきつけあうのだろうか?

問いを抱えて生きよ

2011-10-17 21:19:51 | Weblog
今日の夕刊の記事が心に残った。

歴史家渡辺京二氏が、津田塾大学のゼミ生語った内容だ。

渡辺氏は、80歳。昼間は、浄土真宗の寺に端座し、学生の卒論を話題に2日間対話を続けたとある。

卒論のテーマは、

「子育ては、福祉の対象か」「学校は権力装置か」等々。

その答えに、「自己実現?それは、出世主義のことでしょう。人生は無名に埋没するのがよろしいのです。でも、あなたがたは、卒業論文を通じて知の世

界に開かれた。その問いをずっと抱えていくことです。一生本を読んでいきなさい。」と。

「グローバルに活躍せよ、社会に貢献できるような人間になれ。それは、もはや≪自己実現イデオロギー≫といってもよいのではないか。

そういうことを人生の理想としていると、就職活動に失敗したら世の中は終わりのような気がしてくる。

就職先がないということは、自分は社会から求められていないと思ってしまう。」

「社会とはそんなものではない。社会がどうであろうと、自分は生きたいし生きてみせる。人は社会から認められるから生きるのではない。

社会に貢献なんかしなくてよろしい。まず、自分がしっかり生きること。社会全体がおまえは、死ねと言ったって嫌われたって自分は生きる。

生きていっていいんだ。そのことを肯定すること。そうやって生きているひとりひとりがなんとか関係を作らなければならないから、社会というものが

できてくる」

なんだか、がんじがらめの閉塞感にうずもれた日本の中で、自由におおらかな発想だと思った。

40代のおばさんの私にも勇気を与える話だ。

「世のため、人のため」と自分を殻に綴じ込める思想ではない。

おそらく、昔の日本人は、他者意識が強く、恥ずかしいとか、人様の目とかを気にして生きてきた。

よく言うと、そういう規範意識が、はめをはずさないよう一つの防波堤になっていたのかもしれない。

でも、反面、人々を呪縛で苦しめてきたのかもしれない。