今日の夕刊の記事が心に残った。
歴史家渡辺京二氏が、津田塾大学のゼミ生語った内容だ。
渡辺氏は、80歳。昼間は、浄土真宗の寺に端座し、学生の卒論を話題に2日間対話を続けたとある。
卒論のテーマは、
「子育ては、福祉の対象か」「学校は権力装置か」等々。
その答えに、「自己実現?それは、出世主義のことでしょう。人生は無名に埋没するのがよろしいのです。でも、あなたがたは、卒業論文を通じて知の世
界に開かれた。その問いをずっと抱えていくことです。一生本を読んでいきなさい。」と。
「グローバルに活躍せよ、社会に貢献できるような人間になれ。それは、もはや≪自己実現イデオロギー≫といってもよいのではないか。
そういうことを人生の理想としていると、就職活動に失敗したら世の中は終わりのような気がしてくる。
就職先がないということは、自分は社会から求められていないと思ってしまう。」
「社会とはそんなものではない。社会がどうであろうと、自分は生きたいし生きてみせる。人は社会から認められるから生きるのではない。
社会に貢献なんかしなくてよろしい。まず、自分がしっかり生きること。社会全体がおまえは、死ねと言ったって嫌われたって自分は生きる。
生きていっていいんだ。そのことを肯定すること。そうやって生きているひとりひとりがなんとか関係を作らなければならないから、社会というものが
できてくる」
なんだか、がんじがらめの閉塞感にうずもれた日本の中で、自由におおらかな発想だと思った。
40代のおばさんの私にも勇気を与える話だ。
「世のため、人のため」と自分を殻に綴じ込める思想ではない。
おそらく、昔の日本人は、他者意識が強く、恥ずかしいとか、人様の目とかを気にして生きてきた。
よく言うと、そういう規範意識が、はめをはずさないよう一つの防波堤になっていたのかもしれない。
でも、反面、人々を呪縛で苦しめてきたのかもしれない。
歴史家渡辺京二氏が、津田塾大学のゼミ生語った内容だ。
渡辺氏は、80歳。昼間は、浄土真宗の寺に端座し、学生の卒論を話題に2日間対話を続けたとある。
卒論のテーマは、
「子育ては、福祉の対象か」「学校は権力装置か」等々。
その答えに、「自己実現?それは、出世主義のことでしょう。人生は無名に埋没するのがよろしいのです。でも、あなたがたは、卒業論文を通じて知の世
界に開かれた。その問いをずっと抱えていくことです。一生本を読んでいきなさい。」と。
「グローバルに活躍せよ、社会に貢献できるような人間になれ。それは、もはや≪自己実現イデオロギー≫といってもよいのではないか。
そういうことを人生の理想としていると、就職活動に失敗したら世の中は終わりのような気がしてくる。
就職先がないということは、自分は社会から求められていないと思ってしまう。」
「社会とはそんなものではない。社会がどうであろうと、自分は生きたいし生きてみせる。人は社会から認められるから生きるのではない。
社会に貢献なんかしなくてよろしい。まず、自分がしっかり生きること。社会全体がおまえは、死ねと言ったって嫌われたって自分は生きる。
生きていっていいんだ。そのことを肯定すること。そうやって生きているひとりひとりがなんとか関係を作らなければならないから、社会というものが
できてくる」
なんだか、がんじがらめの閉塞感にうずもれた日本の中で、自由におおらかな発想だと思った。
40代のおばさんの私にも勇気を与える話だ。
「世のため、人のため」と自分を殻に綴じ込める思想ではない。
おそらく、昔の日本人は、他者意識が強く、恥ずかしいとか、人様の目とかを気にして生きてきた。
よく言うと、そういう規範意識が、はめをはずさないよう一つの防波堤になっていたのかもしれない。
でも、反面、人々を呪縛で苦しめてきたのかもしれない。