気ままなあれこれ日記

60代主婦が、日々の雑事から感じたことを日記にしました。

父、骨折、手術日記

2024-08-30 15:46:27 | Weblog
昨日の朝、いとこからスマホに電話があった。
「おじさんが、転んで救急車で運ばれる。」と。
取るものもとりあえず、実家に車を走らせる。移動中に、また、連絡があり、行き先の病院を聞き、そちらに、進路変更する。

救急窓口に行くと、救急車に同乗してくれたいとこがベンチに座っていた。

他にも、救急車で搬送された人が、3人ぐらいいた。

しばらくして、呼ばれるとベッドに横たわる父がいた。痛みで顔を歪ませていた。

どうも、従兄弟の話によると、朝、雨の中、傘をさしてゴミ出しに行ったところ、カラス対策の黄色い網に足をとられ、転倒したこと。そして、足の骨を骨折したことが分かった。CTの検査画像を見せながら、医師が左足の大腿骨骨折で、人工関節を置換するということだ。画像を見ると、よく理科室の人体模型の骸骨の一部のようで、でも、リアルで怖かった。足の付根の骨が、折れたなんて。
とちゅう、薬や補聴器、入院日数必要なものを取りに、2回実科に戻る。
また、待合室で待ち、手術、入院の手続きをする。
病棟の部屋が空くのを待ち、ペンチで待つ。空腹だったが、いとこがコンビニで買ってくれたおにぎりを2個食べる。ありがたいけど、冷房で体が冷えていたので、あったかい物が欲しかった。食べれただけ感謝しないと。

午後も3時過ぎにようやく部屋が準備でき入る。

父も、痛みに耐えているという感じだ。

夕方になり、病院をあとにする。実家に戻り、仕事から帰ってきた弟に朝からの話をした。
そのあと、朝、救急車を呼んでくれた方や駆けつけてくれた人の家にお礼に行った。

帰宅したら、7時近かった。
フー!疲れた。

61歳 夏の思い出

2024-08-21 18:34:44 | Weblog

今年の夏は、30何年間、勤務した形態から逸脱したので、丸々夏休みだった。

仕事は、約40日間ほと休みになった。

この長い時間をどのように過ごしたか。

①友人との信州、土偶旅行。国宝の土偶を見に行った。さすが、涼しい。縄文文化に触れることができた。

②木曽駒ケ岳登山、ツアーに参加。1泊2日の山小屋宿泊。長い時間の山歩き。心が折れそうになったが、団体行動ゆえ克服できた。

③白内障手術 左右を2週間おきに行う。毎日の目薬投薬。クリアに見えるようになった。

④家の柿とミカン畑の草刈り作業。この暑さで草たちも元気よく育つ。まさに、戦い。

⑤メダカの飼育、授業で卵からふ化した子メダカを飼育。ちょびっとずつ成長している。

⑥姑の支援、88歳のぼけてきている姑の身の回りの世話、彼女の醜い部分を見てげんなり。

以上、61歳の夏だった。

追伸、高校野球を部分的に視聴。試合の後の負けたチームの選手の悔し涙を見て、感動した。青春をかけてきた人だけの涙なのだろう。彼らの偽りのないストイックなまでの真摯なハートに61歳のおばさんは、心打たれた。


木曽駒ヶ岳登山

2024-08-03 23:36:36 | Weblog
 ツアーで、木曽駒ヶ岳、三ノ沢岳に行く登山した。

名古屋発だったので、前泊をする。ホステルには、若い女性が、キャリーケースを持参して宿泊していた。

朝、名古屋駅からバスで、菅の台バスターミナルへ行く。その後、路線バスに乗り換えて、千畳敷駅からロープウェイに乗る。

登山しない観光客もいて、賑やかな雰囲気だった。

私達は、ガイドさんに導かれ、木曽駒ヶ岳へと登る。途中、高山植物の花々が、ピークを過ぎたものの咲いていた。

4時間ほどで登頂し、宝剣山荘に泊まる。天除痛らのようなとこに布団を並べて寝る。

翌日は、4時に起きて身支度して朝食(生姜の刻み佃煮が美味しかった)を食べ、三ノ沢岳に行く。

花崗岩のジャリジャリした道、ガレ、ハイマツの道を地味に往復8時間かけてピストンした。

顔やら頭やら体中が、汗だらけで、水分を欲していた。それでも、何とか無事に下山してホッとした。参加者のかたがたの山談議は、刺激を受けることばかりだった。山愛が、すごいなと感心した。とても、真似できない。

自分に、「よく頑張ったね!」と、褒めたい。持久力と根気と集中力。