今日で1月も終わり。
月日は、振り返ると早いもの。
こうして、年齢を重ねていくのだろう。
正月に亡くなった母。
68歳の人生だった。
私も、あと何回、お正月を迎えることができるのだろう。
1日1日を大切に生きようなんて、人は、口にするけれど、
具体的には、どういうことか?と思う。
1日の終わりに、今日は、平穏だったとか、嫌な日だったとか
思いがあるだろう。
教職にあると、朝の8時から夕方7時くらいまでは、缶詰だ。
息をつく間もない。
でも、時折、もう少し、ゆとりをもって子どもたちに接したいと思うこともある。
正直、フリーなのは、昼休みだけだ。
思い返すと、小学生時代、放課後、よく、教室に残っていて、担任の先生とお喋りをしていた。
そんなのんきな時代があった。
今は、不審者、習い事などで、下校が少しでも遅くなるとクレームが。
やはり、昭和は、ゆとりのある心穏やかな時代だったのだろう。
家族も、狭い家の中で、一緒に過ごす時間がたくさんあった。
けんかもしたし、怒られもしたけれど。
そんなメランコリーな気持ちになるのは、やはり、年をとったからだろう。
あと少しで、半世紀生きることになる。
月日は、振り返ると早いもの。
こうして、年齢を重ねていくのだろう。
正月に亡くなった母。
68歳の人生だった。
私も、あと何回、お正月を迎えることができるのだろう。
1日1日を大切に生きようなんて、人は、口にするけれど、
具体的には、どういうことか?と思う。
1日の終わりに、今日は、平穏だったとか、嫌な日だったとか
思いがあるだろう。
教職にあると、朝の8時から夕方7時くらいまでは、缶詰だ。
息をつく間もない。
でも、時折、もう少し、ゆとりをもって子どもたちに接したいと思うこともある。
正直、フリーなのは、昼休みだけだ。
思い返すと、小学生時代、放課後、よく、教室に残っていて、担任の先生とお喋りをしていた。
そんなのんきな時代があった。
今は、不審者、習い事などで、下校が少しでも遅くなるとクレームが。
やはり、昭和は、ゆとりのある心穏やかな時代だったのだろう。
家族も、狭い家の中で、一緒に過ごす時間がたくさんあった。
けんかもしたし、怒られもしたけれど。
そんなメランコリーな気持ちになるのは、やはり、年をとったからだろう。
あと少しで、半世紀生きることになる。