毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

札幌のアムンセン3

2017-07-08 22:22:22 | たまにパワーアップな日々 2017

 

 ちょうど90年前の1927年6月、報知新聞の招待でアムンセン来日、

7月には札幌で講演会を行っています。

そもそもなぜ来日来札したかというと、アムンセンは1926年5月11日に飛行船ノルゲ号で北極点上空に達し、

そのままアラスカ北岸バロー岬まで42時間直線距離3540キロメートルの人類初の北極海横断飛行に成功、

その後探検家としての実践活動から退くことを声明し、著述と講演活動に携わっていたわけです。

 

今回はその札幌でのアムンセンのスケジュールを。

 

 

 

 

 

昭和2年7月3日(4日) 北海タイムス

 

 

この新聞ではアムンセンの身長は五尺八寸となっている。

朝日新聞では六尺近い長身と書いてあり、176~180センチメートルくらいでしょか。

 

昭和2年7月2日 函館12時45分発の急行に乗り、21時36分札幌着。

札幌駅長と握手、青年団、少年団の杖門の禮を笑顔で受け自動車へ。

群集が車を取り囲み万歳高唱し立ち往生する熱狂振りだったようです。

 

 

 

 

 

 

昭和2年7月3日(4日) 北海タイムス

 

 

一番上の写真が札幌駅前での杖門の禮。

宿泊先は山形屋旅館。

 

 

7月3日、午前10時、自動車で北大(!)訪問(写真2段目)、中央講堂で出迎えを受け、

休憩室で南極談(北極ではなく南極となっている)、

自動車で北大構内を一巡、第二農場(行かなくては)を見、植物園(!)、

その後札幌神社に参拝(!)、中島公園(!)。

 

正午、豊平館(!)で歓迎会(写真3段目)。

 

午後3時、月寒、真駒内公園(!)

 

午後4時、アムンセンのリクエストでバチェラー家(!)訪問。

 

午後6時、エンゼル館にて講演会。

 

 

 

後ろに(!)をつけてあるのは私も行ったことのある場所で、調べている最中この名が出てきて驚いた(笑)。

札幌神社なんて北海道神宮でしょ、まぁ今の神宮さんとは社殿が違うとは思いますが通ってる通ってる私。

中島公園も真駒内公園、植物園なんて身近すぎるし、

豊平館なんてただの古い建築物だと思っていたのがアムンセンの足跡が残っていたなんて!

今ある豊平館も当時のものではないでしょうけれど。

 

 

アムンセンの泊まった山形屋旅館、講演会場となったエンゼル館はどこにあったのか。

 

 

 

 

札幌歴史地図〈大正編〉さっぽろ文庫別冊 資料を基に作成した大正末期の都心部地図

 

札幌をご存知のかただと「おお、ほお」でしょし、札幌をご存知でないかたは「ふうん」でしょか。

まずは山形屋旅館。中央区北3条西4丁目です。

 

 

 

 

さっぽろ文庫第23巻 札幌の建物

 

この旅館には大屋根の上に名物の望楼があり、そこからは札幌の町並みから石狩平野まで一望できたそうです。

今のような高層建築物がない時代、連なる札幌の山々もばっちり見えていたのではないかと。

絶対ここに上ったと思うのよね、アムンセンは。きっと三角山も目に入っていたと思うのよ。ジャンプ台も見えていたかも。

 

 

 

 

 

赤レンガテラスが山形屋旅館、右奥に見えているのが北海道庁赤レンガ。

 

講演会会場のエンゼル館は北3条西3丁目、

 

 

 

 

Engel Kwan Sapporo, postcard.jpg

エンゼル館 画像ウィキペディアより

 

 

 

 

この並びにエンゼル館が建っていた。

 

 

 

 

 

 

 

豊平館 画像ウィキペディアより

 

 

歓迎会会場の豊平館(新聞記事写真3段目)、

豊平館は現在中島公園にありますが、これは1957年の移築で、

それ以前は北1条西1丁目に建っていたと今回初めて知りました。

跡地は市民会館、今はわくわくホリデーホールというなんともわくわくしない名前になっていますが、あそこです。

 

 

 

 

 

あの白い建物の場所に豊平館があり、アムンセンの歓迎会が行われた。

ということは、

 

 

 

北1条西2丁目(すぐそば通り道)の時計台もおそらく見ていたことでしょう。

 

 

アムンセンのリクエストで訪問したバチェラー家 は当時北海道庁と植物園の間に家があったと地図に記載されていますが、

現在は北大植物園の一画に移築されていて、私はこの建物や横にある博物館が好きで何度も行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

まさかこの古い建物にアムンセンが「ごめんください」していたとは!

バチェラー氏はアイヌの父と呼ばれている方で、

アムンセンはユア号航海(北西航路探検)、マウド号のときにもイヌイットと親交を深め、

女の子を二人預かりアメリカ(だったはず)で教育をうけさせており、

バチェラー氏に共感を覚えたのではないかと察します。

そのバチェラー氏ですが、太平洋戦争が始まると敵性外国人として帰国させられているのですが、

奥さんのルイザさんは帰国させられる以前に亡くなっていて、今も円山墓地で眠っておられます。

6月末に円山に行く機会があったのでカラスに襲われながら円山墓地に寄ってきました。

 

 

 

 

 

 

片面は日本聖公会となっていて、札幌聖ミカエル教会で管理されているようです。

 

 

 

アムンセン直筆サインまで進めたかったのですが、長くなったので今回はここまで。