今日はこの17ページのシリーズの日ではありませんが、
一回パスするのもすっきりしないので2日遅れの今日ということで。
と、2日遅れでするにもかかわらず、読み終えた本はたったの1冊ですが。
では、いつものようにこの10日間、ではないか、
12月29日~1月11日の間に読んだ本の17ページの6行目をアタマから書き写し、
あとは感想にも紹介にもならない雑文です。
スコット 南極の悲劇/ピーター・ブレント 高橋泰邦訳
路を渡り、自然にきびすを返し、クレメンツ卿について
3年前に一度この本は読んでいます。
ここ数日ずっと、「スコットの悲劇」について考えています。
南極点に到達したけれど2番手、帰路2人失い、デポまであと18キロのところで残り3名も食糧・燃料の不足、凍傷、
疲労、壊血病、ブリザードに襲われ死亡、極点隊全滅。
スコットは誠実に義務を果たし科学的調査を行い(アムンセンの極点隊は科学的調査はなにも行っていない。別隊は行っている)、
帰路力尽きてしまう。
スコットの業績は多大で極点の敗北など問題ではなく、勝負は時の運、
人間の本当の価値はどれだけ真摯に努力したかだという世論が当時席巻したそうですが、
この一連の極地探検での出来事をさして「スコットの悲劇」なのか、
探検家としてのスコットの評価はまた別のものだと思うことが多々あって、
スコットが隊長だったことが「悲劇」だったのか、
粗探しをするわけではありませんが、いろいろ極地探検の本を読むにつれ、ひっくるめての力の差が歴然で、
世界の大英帝国と独立したばかり人口200万人足らずのノルウェー人アムンセン、
むしろ生涯悪役になってしまったアムンセンのほうが悲劇だよなとも思ってしまいます。
どういうわけかアムンセンの写真っていかにも不機嫌悪者鬼のような形相のものばかりだし。
ここに同じ1911年12月6日のスコットとアムンセンの日記があります。
極点探検に出発し大嵐に襲われた日に書かれたものです。
スコットの日記 1911年12月6日
「情けない、実に情けない・・・・・・大嵐は少しも勢力を弱めずに荒れ狂っている・・・・・・ああ! これはあまりにも酷すぎる。
グレーシャーからまだたったの一二マイルしか来ていないというのに。絶望感にうちのめされて、とても太刀打ちできない」
アムンセンの日記 1911年12月6日
「十二月六日も同じ天候だった。雪は降りしきり、空も大地も一体となって何も見えない。それでも素晴らしいことに、
我々は前進した」
その後毎日スコットは日記に天候を呪い運のなさを嘆く言葉を書きつけネガティブ全開、
そう、スコットは天気を呪いこんな嵐の中にいる自分を嘆き、言い訳申し開き自己肯定が目につくかな。
アムンセン隊は士気が高いし隊員を信頼尊重し常に前向き、
なにより目的に対しブレがなく、一番になるにはなにをすべきか、しっかりわかっている。
軍人のまま隊長になったスコットと経験知識豊富で極地探検のために鍛え準備していた探検家アムンセン。
この二人が同時に南極点を目指したことが「スコットの悲劇」なのか。
にしても、「世界最悪の旅」の中でもこの本のなかでも、
露骨にではなく気遣いやんわりとですが「どうしてよ」的な意見が述べられています。
私もすっごく思うんです、どうしてよと。
あの世に行ったらスコットを訪ね訊いてみたいことが山ほどある。
でもこうやってきっぱり突き放してスコットを批判するのはかわいそうの累乗で、
みんなそうだから「スコットの悲劇」は終わらないのかな。
ああ、一晩あっても語りつくせないわ(笑)。
ちなみに今読んでいるのがアムンセンのユア号航海記。すっごく面白い。
ちょうどアムンセンたちがエスキモーたちと出会ったあたりの場面を読んでいて、
この本の発刊は古くエスキモーと表記されているのでそのままイヌイットではなくエスキモーとここで書きますが、
ここからアムンセンはエスキモーとの交流を深め極地での暮らし方(犬ぞりにしろ衣類や吹雪のなかでの進み方など)を学び、
結果それが極地探検へのものすごい経験値となり成功への道しるべとなってゆく。
信じられないことに、アムンセンの語りはとても明るくユーモアが溢れていて、迂闊にも私は噴いてしまった。
アムンセンの本で噴出して笑うとはこれいかに。
なんだかどうもアムンセンを褒め称える方向に進んでしまいましたが。
テラ・ノヴァ号食堂に集まった探検隊員たち。
一番奥に座っているのがスコット。
で、私は気がついた。テーブルにクマのぬいぐるみがいる!
アップライトのピアノも積んであるし、
こちらはアムンセンのユア号探検隊、ユアヘブンにつくった「磁石」と名づけられた建物内の写真。
北磁極(わお!)観測のために造られた小屋で、
壁にバイオリンがかけてあるのを発見!
シャクルトン隊はバンジョーの話が載っていたし。
ささやかで優雅な娯楽。
で、ここでまた戻ってしまうのが、そんなささやかな娯楽すら遠くなったスコットも、スコットとともにし亡くなった隊員かわいそうだなと。
そこからまた考えが広がってまたまた無限のループでしょか。