ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

アテネマラソン(出会い編)

2007-11-04 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


日本の田中千洋選手にも出会いました、提携している長野マラソンからの派遣選手としてアテネマラソンに参加。もちろんエリートナンバーです。

私のゴール直後に日本人女性が表彰されていて、そのときはアナウンスをよく聞いていなかったので誰なのか判らず仕舞でしたが、スタジアムの外に出てきた小柄な日本人女性、大きなカップを手にした田中選手でした。

「あ、田中千洋さんですね!おめでとうございます!」
「私、貴女が日の丸を持ってゴールされるところ、見ていましたよ!」
 
ゴール地点すぐそばでの表彰式、自分の表彰だけに気をとられずにちゃんと後続ランナーのことも見てくださっていたのです。。

近くで言葉を交わすのは実に10年ぶり、私がランニングを始めた直後の「メイプル・マラソン」(97年秋・兵庫県)に招待選手として来ておられた田中選手、ちょうどその年の北海道マラソン優勝とのことで時の人でした。その頃は旧姓・小倉選手だったかもしれません。

まだ国際女子マラソンの参加資格も持っておらず、資格記録突破を目標にしていた頃の私。招待選手として市民ランナーと一緒のレースをスタートしたのですが、近くで張り切っている私に走りながら声を掛けてくださり、す~っと遠ざかっていきました~当たり前ですが。

そしてフィニッシュ後の田中選手、コースを逆走して後続に声を掛けてくださっています。もちろん私も声をかけてもらいました!~ゴール後にサインまでいただきました!

自分のレースのことだけではなく、ちゃんと周りにも気遣ってくださるんですね。10年前とちっとも変わらない温かい田中選手に出会えてとてもうれしかったです。


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アテネマラソン(レース編)

2007-11-04 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


いよいよレース当日がやってきました。このマラソンは、古代ギリシャの英雄が走りきった道をたどっているのでワンウェイ、古戦場マラトンの丘からスタートします。早朝6時半~7時の間に主催者手配の移動バスがアテネ中心街にあるゴール地点のパナシナイコ・スタジアムからランナーをマラトンの丘まで運んでくれます。上の写真はバスを待っている間の一コマ。

バスはほぼマラソンコースをたどりスタート地点へ。400mスタジアムが設けられていて自由にウォーミングアップに使うことが出来ます。ここに到着したのが8時過ぎ、8時半までに荷物を搬送トラックに預けなければならないので大急ぎです。



ゆっくりトイレに並んでいる暇もありません(=失礼、上の写真は簡易トイレに並ぶ列)、ヨーロッパの女性は実におおらかにそこらあたりの草むらでお花摘みします。私もその風習に習い、男の人たちが後ろを向いて開脚気味で立ち並んでいる草むらを通り過ぎ、そこらあたりで用を足しました!だって、女性がいっぱいの草むら、欧州女性たちとにこっと笑って「This area is for ladies !」(=女性用コーナー)~ホントかなあ?

荷物預かり終了予定時刻の8時半きっかりに搬送トラックの駐車場に荷物を持っていくと、私のナンバーカードのトラックはもう出てしまったあと。残り2台ほどのトラックももう荷台にホロをかぶせて出て行くところ。あわてて運転主席に荷物を積んでもらいました。



ウォーミングアップをストレッチだけで済ませるつもりだったので、そのままスタートゾーンへ。予想通りスタートラインに手が届く位のスタート位置です。ルーマニアからのラン仲間はもう少し後ろのゾーン。でもスタート直前にうまく同じゾーンに割り込んできました。「頑張ロウネ!」、仲間と言葉を交わすと大きくリラックス出来ます。

さあ、今回は25回記念大会、お祝いの風船も手にしています、号砲と同時に手から離していざマラソンコースへ。風船が空に舞い上がっていくところは・・・、スタートしてしまえば前しか見ないので、空を埋め尽くす風船、見ることが出来ませんでした。

スタートラインが目の前に見えるところから走り始めることが出来たので、最初は流れに乗って。気分よく走っているのでスピード感がありません、1キロ通過4分15秒、これは速すぎ。3週間余り前、必死のスピード練習、1キロインターバルの1本目、4分4秒だったのです(余りにもペースが上がらないので1本だけで中止した軟弱者・・・)~しっかりペースを落とすこと、キロ当たり4分30秒なんてとんでもない、4分45秒まで落とします。 
 
8キロ過ぎから緩やかなアップダウンが始まりました、15キロあたりで大きな登り、キロ当たりのペースは5分、これでも充分です。なんと言ってもこのコースは中間地点以降32キロ辺りまで続く200mののぼりが待っているのです。


 
中間地点を1時間39分で通過、余裕はほとんど感じません、これから予想される登り、走り続けることが出来るのかどうか、身体にお問い合わせ中。
そして差しかかる登り、ひとりの女性ランナーに追い越されてしまいました。ここでカッカして追走するのではなく、自分の走りを。もう一人にも追い越され、それでも自分のペースで。誰に勝った or 負けたは気になりません。

のぼりの頂点32キロを目前にしたところでさらに女性ランナーに追いつかれました。ナンバーカードをチラッと見ると1200番台、私と同じシード・ナンバーの選手。長身の彼女は同年代くらいに見えます、でもここからはわたしの好きな下り。思い切ってスピード切り替え、脚もついてきました。

下り坂を利用してスパート、いつまで持つか?このスパート?案の定、35キロ過ぎで脚がやや痙攣気味、最後まで持ってくれ、と祈るような気持ちで走り続けます、ここに来てスピードは落としたくありません。  

沿道に日の丸の小旗発見。「頑張りましたね~!」と日本人女性が声援を送ってくれています。マラソン・ツアーの係員かな?そばでたくさんの日の丸の小旗を持った男性も居て(ランナーに配布用?)、「一本下さい!」の私の厚かましいリクエストに答えてくださいました。さあ、日の丸を持ってゴールするぞ~!!~でもまだここから5キロ以上あります、とりあえずランニング・スパッツの後に差し込んで走り続けます。

マラソンでいわゆる30キロ以降のどこかから、脚に来て脚がヨレヨレになってしまうと身体が思うように動かず、心拍数の頂点まで追い込むことが出来なくなってしまいます。自分では走っているつもりでもスピードに乗っていかないので前にも進まず、もがいている感じになってしまうのです。

今回は32キロ以降が下り坂ということもあって、うまくスピードに乗れました、走りきれました!何度か走っているマラソンの中で、最後まで走りきれるレースというのは本当に数少ないです。自分の自己ベストの出たマラソンレースでさえ、最後は脚が思うように動かなくて「こんなはずじゃない!」と納得の出来ないレースでした。

3週間前にレースで20キロ+42キロを走っていたので、その後は脚に痛いところ続出、とてもつなぎジョグすらもできず、ノルディック・ウォーキングの日々でした。歩きでも10キロ以上となると脚に来ます、さっさとペース良く歩いていると脚が張ってくるのです。



ゴール地点のパナシナイコ・スタジアムを目前に、マラソンコースは少し迂回する形で42キロ地点を通過、手には日の丸。海外でマラソンを走ると、そのたびにこの旗が私の国旗なのだという気持ちが強くなります。そしてみんなに見てもらいたい、日本の国旗は日の丸!



フィニッシュ後ミックスゾーンで先にゴールしていたルーマニアのラン仲間に出会いました。マイダーリンも居ます、みんなで記念撮影、頭上の横断幕は青・黄・赤、これはルーマニア国旗の三色です。ルーマニアのみんなも、市民ランナーであってもルーマニアを代表してきている、という気持ちが強いようです。



一人足りない、初マラソンのマリアナは?しばらくして4時間17分ほどでゴール、古代戦士の装束のランナーも一緒です、もちろん記念撮影。この盾と矛を持っての42キロ、脚よりも腕が大変だったでしょう~。フィニッシャーのみんなに、おめでとう!

 
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アテネマラソン(速報版)

2007-11-04 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


想像以上にタフなコースでした。
灼熱の8月に行われたアテネオリンピック、同じこのコースを野口みずき選手はどんな気持ちで駆け抜けたのだろう、とそればかり思いながらわたしも走りました。



3時間18分49秒、女子総合23位、年代別1位となりました。
何度かマラソンを走って、会心のレースと言うのは本当に数少ないです。でも、今回のアテネマラソンは、久々の会心レース、心ゆくまで走れました。



上の写真はゴール地点のパナシナイコスタジアム、大理石造りのマーブルスタジアム(参加賞の絵葉書より)。

オフィシャルリザルトはこちらから
レース編、まとめました、こちらから。
出会い編、まとめました、こちらから。

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