第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
先日 秋の企画 語り継ぐ戦争と平和 あなたも語り部 わたしも語り部 がとおりました。うちあわせはたいへんなごやかに進みました。ところが とちゅうでもらされたひとこと。「(決定会議で)内容が内容だけに偏ったものならないようにしてほしい。今は憲法について取沙汰されているときでもあるので......という意見がありました」ということばにぎょっとしました。
どういう意味なのだろう? 戦争に行ったり または内地で肉親をなくされたり ご自身が苦労なさった方々のなかに また再び戦争をしたい というひとの声を聴いたことはありません。戦争はいけない、二度とごめんだ ということばばかりでした。戦争でいい思いをしたごく一部のひとはいざ知らず 戦争の体験は自然に護憲の考え方につながってゆくのではないでしょうか。それがいけないとでも?偏っているとでも?
わたしは思わず 「この企画は戦争体験という市民の財産をきえてしまうまでに聞き書きで残してゆこう、語り継いでゆこうという文化的な試みです。じっさいに各地の市町村で取り組んでいるところはたくさんあるのです。偏ることはありません。 しかしながら すこし腑に落ちません。公務員のみなさまには現行憲法の順守義務があるのではないのですか?」 と言っておりました。
憲法を語ることが政治的なことであるという風潮があるのは不思議です。日本に特有なことではないでしょうか? だって憲法はわたしたちのいのちや暮らしを守るためのもの 日常的な たとえばゴミだしのルールの延長線上にあるのではないでしょうか? もっとひんぱんに話題にしていいのではないでしょうか?
脱原発の運動はするけど憲法とはからめないでくれ このような方々がいます。坂本龍一さんもそんなことをおっしゃっていたとか.....それはかなりおかしいと思うのです。原発と憲法はつながっています。 たとえば 国は年間積算線量20ミリ・シーベルト未満なら帰還できるとしていますが これは憲法の基本的人権のうち平等権と社会権にふれるのではないでしょうか? (基本的人権は大きく分類して5つ、平等権、自由権、社会権、請求権、参政権に分類できる)
・ 平等権・・・差別されない権利
・ 自由権・・・自由に生きる権利
・ 社会権・・・人間らしい最低限の生活を国に保障してもらう権利
今回の憲法改悪の目的には ゲンパツによる被害者の切り捨て 棄民がある とわたしは思います。
現行の憲法は運用で判決でズタズタにされているけれど これを失くしたら わたしたち国民は裸同然となります。
坂本さん 脱原発のみなみなさま ともにゲンパツゼロと護憲をたたかってゆきましょう。
我れ叫びたし ふたたびを おかしてはならじ 戦争の愚を ...... 森川寿美子
森川さんは東京大空襲でおさないわが子三人を喪いました。