遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

今日は4回目の整体でした。

今回ふと 気づいて わたしは 施術のとき 手が使えるとき 眉間のマッサージをしてみました。痛みをこらえるとき 眉間にしわがよることからの連想です。....すると 痛みが緩和されるのです。もう一方の手で こめかみもマッサージしてみました。とても いい感じ これなら乗り切れるかなと思いましたが・そんな甘いものではありませんでした。うつぶせのときはよかったのですが 横位になったら手がつかえない。激痛のとき 黄緑色のロールシャッハみたいな模様が脳内にひろがり 痛みが弱まると消えてゆく それが繰り返されて わたしは 痛みの部位に意識が集中されないように その色彩に意識の焦点をあわせました。

以前 申し上げたことがありますが わたしは共感覚をもっています。気づいたのは古楽器ビウエラを習っていたときです。澄んだ一音がだせたとき まるい黄色の玉が 脳内の視野にひろがりました。音が乱れたときは 糸玉のようです。それから 意識すると 音が色彩と質感で感じられるようになりました。

たとえば リュートの水戸先生の音は繊細なガラス細工のようでした。旋律がかなでられるとともに ガラスの伽藍がきらめくように立ち上がり 同時に消えてゆく 息をのむようなうつくしさでした。うみたろうさんのピアノでは アクリル絵の具が固まったようなてかった表面 コバルトブルーのようなさまざまな鮮やかな色彩...... そのうち わたしは 痛みに色彩があることに気づきました。それは黄緑色です。歯医者で感じたのが最初だったと思います。

ところが 今日の整体では ふしぎなことがありました。腕 左腕をほぐしている 骨にまとわりついている腱をはずしているときの激痛が オレンジ色 灼熱のオレンジ色だったのです。痛みが高まる 痛みの絶頂のとき オレンジ色はスパークしてまっしろな閃光になりました。 そのとき わたしは この部位に封じ込められたなにかが 解放されたのかな と思ったのです。その後も施術はつづき 眉毛と眼球のあいだ つまり 骸骨の目の穴のとき 鋭い痛みはブルーでした。

.....色を感じただけでなく 痛みのあいまの小休止のとき なんともいえないやすらかさを感じました。そして 終わったあと ふらふらたちあがって ありがとうございました。 という声は身体の深いところから響いていました。

痛みと色の共感覚  身体に閉じ込められていた感情 悲しみ 怒り がどのように解放されてゆくか そして それが 声の響きとか生き方にどう 影響を及ぼすのか 興味はつきません。 また なにか気づいたことがありましたらUPいたします。

(もっとも 痛みのひどい左足に巣食っている感情について わたしは悲しみではなく怒りだと感じたのです。先生はからだが改善すれば 生き方も変わる とおっしゃいました。壌晴彦さんは 声が変わると おっしゃっています。)

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誕生日の周辺には だれしも あっと驚くようなことが起こりがちのようです。

わたしにとっても 春は鬼門でした。何十回も誕生日を迎えておりますので 事故や事件さまざまありましたが とりわけ忘れがたいのは8年前 櫻井先生とお別れしたときのことです。昨年4月2日 お別れの会を明日館でひらき これで 総括 これで おわかれできる と思っていたのに この一年でお約束したことすべて いや それ以上 果たさせていただいた という感慨も自負もありましたのに 今年の春は ことさら ひそひそと胸が痛むのです。

おわかれしたのは8年前のまさに今ごろ ......時を経て思えば それは必然であり あたかも代償のように 2ヵ月後 わたしは不思議なチカラに目覚め 語りにおいても会の方針とはおよそ異なる語りの源流への道を旅し始めたのですが それとコレとは別 当時は息をするのも苦しかった。ふと昔戴いたメールを読んだことから 当時のことがまざまざとよみがえり おわかれのきっかけをつくった松本さん そして電話のやさしいことばから 先生への憤怒が沸騰し 間髪をいれず 先生へ訣別のことばを投げつけることになった 君川さんを もいまだに赦し難く思っていることに気づき わたしは愕然としました。

ユニットのメンバーには トラウマは語るものがたりを規定してしまうから パーソナルストーリーを語ることで 自分自身を癒し清明なうつわになりましょう と常日頃言っているのにもかかわらず わたし自身はいまだに トラウマをひきずっている。

父親や母親との関わりは そのひとに終生つきまといます。人間関係や行動に親子関係が投影され 語り手には語るものがたりの傾向としてあらわれ また 欠落ともなってしまいます。わたしは語りをはじめてから あまり好きではなかった母をじつは追い求めていた 心から慕っていたことに気づき 目の醒めるような想いをしたのですが 父でも母でもないひとが どうしてこのように心のなかを占めてしまったのか ほんとうには わかりません。

 

先日から 友人に紹介された整体に通っています。先生は白髪のおじいさんです。 初回 先生は「ひどいね これじゃ歩けないよ」 といいました。施術がはじまり 評判とおり とにかく 痛い。わたしはなにがあっても痛い!というまいと決心していたのですが 思わず呻き声がでてしまう。ラマーズ法のように ハッハー と息を吐いて お産のときのようにちからを抜いて イタミに身をゆだねてと思いながら からだは痛みにそなえて硬直してしまうのです。そのさなか 先生がわたしの腰に手をあてたとき 涙があふれてきたのです。痛みのためではありませんでした。慕わしいような切ないような哀しみが波のようにひたひたとわたしをつつみ.... あ...こんなこと 以前にもあった...と思いました。

修善寺の語り祭りのときのこと 友人からバランスセラピーの施術をうけたとき わたしはおとうさん おとうさん ....と父を呼びながら慟哭したのです。.....夜でした。白熱電灯のあかり 夜目に櫻が見えました....  そのあと わたしは生きるのがすこしラクになったのです。 整体二日目もおなじことが起こり わたしはインテグラシークリニックの先生(英国でダイアナ妃の施術をした方)から 筋肉は感情を記憶する とうかがったことを思い出しました。 からだには 哀しみがいっぱい溢れんばかりにつまっているのだ...とわたしは気づきました。

..... 語ることだけでは 心は癒せても からだにつもった悲しみは癒せないのかもしれない .... 施術をうけたらいつかきっと身体が記憶している悲しみがほどけてゆく わたしは生まれ変わろうと思いました。三日目 酷使してきた 身体に感謝しながら 受けました。前にもまして痛かった そのとき身体がシュッと音を立てたような気がしました。終わって よろよろたちあがって ありがとうございました と言ったとき 声が変わったことに気がついたのです。

声が明瞭になり 響きが大きくなり 身体の奥から出たと思った! ボイストレーニングなんて二の次なんだ 身体は楽器 身体は弦  魂でうけとり身体という楽器で響かせる。 身も心もどちらもとどこおりをゆるめ とかし 響くからだ 響くこころにしてゆこう .... 先生もハァハァ 息を継ぎながらいいました。うけるたびによくなるよ。明日は4日目 先生にお会いできるのも 施術を受けるのもたのしみです。

人間はとても不思議にできている.....自分のちからだけでは 己を癒すことはできない。努力 洞察 技術 そして愛があってはじめて ひとを癒し よみがえらせることができる....白髪の老施術士は 今日まで どれだけのひとの悲しみを痛みを癒してきたのだろう。 わたしも....もっと不要なよどみ とどこおりを棄てて 癒し よみがえらせるようになりたい.....そのときには 春の憂いも 悲しみも消えているでしょう。

 

まだまだ 変われる... 悲しみも喜びも みな 清め清められるためにある。まず 自分を癒し清め 怒り悲しみを手放し 透きとおらせ ひかりに変えてゆこうと思いました。



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