遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

誕生日の周辺には だれしも あっと驚くようなことが起こりがちのようです。

わたしにとっても 春は鬼門でした。何十回も誕生日を迎えておりますので 事故や事件さまざまありましたが とりわけ忘れがたいのは8年前 櫻井先生とお別れしたときのことです。昨年4月2日 お別れの会を明日館でひらき これで 総括 これで おわかれできる と思っていたのに この一年でお約束したことすべて いや それ以上 果たさせていただいた という感慨も自負もありましたのに 今年の春は ことさら ひそひそと胸が痛むのです。

おわかれしたのは8年前のまさに今ごろ ......時を経て思えば それは必然であり あたかも代償のように 2ヵ月後 わたしは不思議なチカラに目覚め 語りにおいても会の方針とはおよそ異なる語りの源流への道を旅し始めたのですが それとコレとは別 当時は息をするのも苦しかった。ふと昔戴いたメールを読んだことから 当時のことがまざまざとよみがえり おわかれのきっかけをつくった松本さん そして電話のやさしいことばから 先生への憤怒が沸騰し 間髪をいれず 先生へ訣別のことばを投げつけることになった 君川さんを もいまだに赦し難く思っていることに気づき わたしは愕然としました。

ユニットのメンバーには トラウマは語るものがたりを規定してしまうから パーソナルストーリーを語ることで 自分自身を癒し清明なうつわになりましょう と常日頃言っているのにもかかわらず わたし自身はいまだに トラウマをひきずっている。

父親や母親との関わりは そのひとに終生つきまといます。人間関係や行動に親子関係が投影され 語り手には語るものがたりの傾向としてあらわれ また 欠落ともなってしまいます。わたしは語りをはじめてから あまり好きではなかった母をじつは追い求めていた 心から慕っていたことに気づき 目の醒めるような想いをしたのですが 父でも母でもないひとが どうしてこのように心のなかを占めてしまったのか ほんとうには わかりません。

 

先日から 友人に紹介された整体に通っています。先生は白髪のおじいさんです。 初回 先生は「ひどいね これじゃ歩けないよ」 といいました。施術がはじまり 評判とおり とにかく 痛い。わたしはなにがあっても痛い!というまいと決心していたのですが 思わず呻き声がでてしまう。ラマーズ法のように ハッハー と息を吐いて お産のときのようにちからを抜いて イタミに身をゆだねてと思いながら からだは痛みにそなえて硬直してしまうのです。そのさなか 先生がわたしの腰に手をあてたとき 涙があふれてきたのです。痛みのためではありませんでした。慕わしいような切ないような哀しみが波のようにひたひたとわたしをつつみ.... あ...こんなこと 以前にもあった...と思いました。

修善寺の語り祭りのときのこと 友人からバランスセラピーの施術をうけたとき わたしはおとうさん おとうさん ....と父を呼びながら慟哭したのです。.....夜でした。白熱電灯のあかり 夜目に櫻が見えました....  そのあと わたしは生きるのがすこしラクになったのです。 整体二日目もおなじことが起こり わたしはインテグラシークリニックの先生(英国でダイアナ妃の施術をした方)から 筋肉は感情を記憶する とうかがったことを思い出しました。 からだには 哀しみがいっぱい溢れんばかりにつまっているのだ...とわたしは気づきました。

..... 語ることだけでは 心は癒せても からだにつもった悲しみは癒せないのかもしれない .... 施術をうけたらいつかきっと身体が記憶している悲しみがほどけてゆく わたしは生まれ変わろうと思いました。三日目 酷使してきた 身体に感謝しながら 受けました。前にもまして痛かった そのとき身体がシュッと音を立てたような気がしました。終わって よろよろたちあがって ありがとうございました と言ったとき 声が変わったことに気がついたのです。

声が明瞭になり 響きが大きくなり 身体の奥から出たと思った! ボイストレーニングなんて二の次なんだ 身体は楽器 身体は弦  魂でうけとり身体という楽器で響かせる。 身も心もどちらもとどこおりをゆるめ とかし 響くからだ 響くこころにしてゆこう .... 先生もハァハァ 息を継ぎながらいいました。うけるたびによくなるよ。明日は4日目 先生にお会いできるのも 施術を受けるのもたのしみです。

人間はとても不思議にできている.....自分のちからだけでは 己を癒すことはできない。努力 洞察 技術 そして愛があってはじめて ひとを癒し よみがえらせることができる....白髪の老施術士は 今日まで どれだけのひとの悲しみを痛みを癒してきたのだろう。 わたしも....もっと不要なよどみ とどこおりを棄てて 癒し よみがえらせるようになりたい.....そのときには 春の憂いも 悲しみも消えているでしょう。

 

まだまだ 変われる... 悲しみも喜びも みな 清め清められるためにある。まず 自分を癒し清め 怒り悲しみを手放し 透きとおらせ ひかりに変えてゆこうと思いました。



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