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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



........きのう はじめて 観たのだが どうも気になって 気になって ..... 山本耕史 さんは花より団子で 花沢類 の声を担当していた役者さんだった。殺陣が若手にしては滅法上手い。このごろNHKによく出ているらしい

どこが 気になるかというと 目 である。 きれいな目 見ているけれど見ていない 自分しか見ていない ..... とわたしは感じた。 自分「ひとりで」ものがたりを語ってしまっている。完結している....舞台役者のはずなのに...?それが不思議で じっと見ていた。所作がうつくしい。かくあるべきという美意識 スタイルを持ってらっしゃるのだろう。山本耕史 さんが 丹下典膳をそういう人物 美意識を持ち 自分のなかでものごとをとらえ 決め 運命に殉じる ...... そうとらえているならいいけれど。丹下典膳はそれだけではないと思う。こころのなかに揺れ動く海を持っているのではないか。それを もうちょっと見たいなぁ......ほんとうのかっこよさは かっこわるさからもくる たとえどんな強く見える人間でも 弱さや恐れや情けない部分を抱えていない人間はいない。自分のなかに弱さを見る 執着を見る 恨みを見る たじろぐ 苦しむ 未練を断ち切る その葛藤にこそドラマがある 見るものを惹きつけずにはおかないその揺れ....がもっとあれば 千春に「もう 嫁はもらわぬ」 という台詞が生きる。 もっと胸が揺さぶられる。さらっときれいに過ぎるのだ。もっといい役者になってもらいたいなぁ....

いい役者は滅多にいない。自分のガラや色で勝負するひとはいるが、私が好きなのは 自分をカラにして役そのもので生きるひと。それを役者という。



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           斉藤惇夫

さあゆこう仲間たちよ
 住みなれたこの地をあとに
 
 曙光さす地平線のかなたへ
 聞こえるだろう ほら
 梢をゆする風の中に
 流れ下る河の歌声が

 さあゆこう仲間たちよ
 ふりそそぐ日の光を背に
 若草もえる岸辺のはてへ
 聞こえるだろう ほら
 川面をわたる風の中に
 はるかとどろく潮鳴りが

 われら草の根をまくらに
 旅を住処とし
 久遠の郷愁を追いゆくもの

 さあゆこう仲間たちよ
 うずまきさかまく大海原を
 残照輝く水平線のかなたへ
 聞こえるだろう ほら
 あれくるう風の中に
 自由と愛のほめ歌が


死んだ男の残したものは    谷川俊太郎


死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と一人の子供
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだ子供の残したものは
捩れた足と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
壊れた銃と歪んだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてる私生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない





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            川上澄夫

かぜとなりたや

はつなつのかぜとなりたや

かのひとのまへにはだかり

かのひとのうしろよりふく

はつなつの はつなつの

かぜとなりたや

            伊東静雄

八月の石にすがりて、

さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。

わが運命(さだめ)を知りしのち、

たれかよくこの烈しき

夏の陽光のなかに生きむ。


沢の蛍           和泉式部


もの思えば 

    沢の蛍もわが身より

あくがれ出づる
         
       魂かとぞみる



ネロ ――― 愛された小さな犬に     谷川俊太郎

ネロ
もうじき又夏がやってくる
   お前の舌
   お前の眼
   お前の昼寝姿が
   今はっきりと僕の前によみがえる
お前はたった二回程夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
そして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している
   メゾンラフィットの夏
   淀の夏
   ウイリアムスバーグ橋の夏
   オランの夏
そして僕は考える
   人間はいったいもう何回位の夏を知っているのだろうかと 
   
ネロ
もうじき又夏がやってくる
   しかしそれはお前のいた夏ではない
   又別の夏
   全く別の夏なのだ
   新しい夏がやってくる
   そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
   美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと 僕をかなしくするよ
   うなこと
そして僕は質問する
   いったい何だろう
   いったい何故だろう
   いったいどうするべきなのだろうと


ネロ
お前は死んだ
誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って
   お前の声
   お前の感触
   お前の気持までもが
   今はっきりと僕の前によみがえる
しかしネロ
もうじきまた夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる

そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
   新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
   春をむかえ 更に新しい夏を期待して
   すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために
                            
           『二十億光年の孤独』










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夕べ 眠れぬままに 古本屋でみつけた 愛おしい骨 を読みました。650円と高額 古本屋にしては・・・ でしたが 面白い本は背表紙が語る 指がわかる ・・・ 思ったとおり読みごたえのある一冊でした。

20年前 ちいさな町で起きた 15歳の少年ジョシュの失踪事件。町に戻った兄オーレンの目の前に繰り広げられるのは ひとびとの愛と憎しみの織り成すタピストリ・・・

愛と愛するがゆえの疑心と錯覚の招く悪夢・・・ 家政婦ハンナが秀逸 彼女は隠れたヒロインです。わずかな瑕疵は書きすぎたこと そして降霊会・・・ミステリと小説のファンなら 堪能されるのではと思います。

しかし 考えてみれば書きすぎるというのは案外 大きな瑕疵かもしれません。作家は思いのたけを書きたいものであり 書くという誘惑から逃れるのはなかなかむつかしい。この一章がなければ このひとことがなければ この一巻がなければという作品はままあります。グレアム・グリーンにすら余分なことばがあります。

作者は登場人物に耽溺してはいけない。どんなに愛していても いや愛するがゆえに透徹した客観性が必要なのではないでしょうか。

むだなことばが無いという意味でわたしが好きなのは ジョルジュ・シムノンです。「雪が汚れていた」とアーシュラ・K・ルグインの「闇の左手」はもっともうつくしい愛のものがたり 救済のものがたりだと思っています。

歌もそう・・・・・どんなに声が出ても歌いすぎては こころを通り過ぎてしまう。語りも漫画もそう・・・・これは自分の美学かもしれないが 品が落ちてしまう。竹宮恵子が萩尾望都と根本的に違うのはそこだし 吉田秋生がよく陥るのもそこです。秘すればそこに美が生まれる ということでしょうか。

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危険な関係

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いそしぎ

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おととい観たポーランド映画 森の中の古びた家に住む 老女と犬のフィラ

映画は老女のモノローグですすむ。

どこの国にもあるのだろうか 棄老...息子と孫がたまたま立ち寄る
廃屋にもにた家で 老婆とフィラは ひっそり暮らしていた。
ときおり 隣家の女をたずねてくる中年男
若い夫婦が経営しているらしい 子どもにむけた音楽のクラス

庭のブランコにのりたくてもぐりこんでくる子どもたち
老女はときおり 娘のころに微睡むようになっていた。

ある夜 フィラの知らせで老母は 息子の裏切りを知る。
こともあろうにこの家を......

絶望した老女は 黒いレースに着替え 死を覚悟するが
突如 正気にかえる。彼女は戦うことに決める。

そして.....

ネイティヴのひとにとって 老いは 智慧であり尊敬のあかしであった。
けれど 現代社会において 老いは ひとことでいえば孤独である。

所在なく たたずむ 老人はいたるところにいる。
スーパーで 公園で その他の場所で。

.....白黒ですが わたしはカラーのほうがよかった。木漏れ日が見たかった。





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    きのう 津軽三味線の会に行きました。3/17 高橋竹山さんの三味線を聴きにいくつもりだったのですが 10日前友人から誘いがあり こちらにうかがうことにしたのです。

    三越や三愛のすぐちかく 小料理屋さんで 20名少数限定の会 お客さまも面白い方が多かったです。歌手霧島昇さんの娘さんとか作家さんとか.....わたしは一番前で 30センチ離れていない場所での演奏でした。奏者山中信人さんは15歳から青森で三味線の修行をなさった方でした。わたしは酩酊しました。脊髄から脳天まで三味線の響きに貫かれ あの世とこの世をいったりきたり 疾走したかの感がありました。有名な津軽じょんがら 旧節 新節 新旧節 と聴かせていただきました。

    終演後 山中さんに こそっと「どちらがお好きですか」 とうかがいましたら すこし困った顔をなさって「実は旧節です」とおっしゃいました。.....わたしもそうだったんです。今 ジャンジャカジャンジャン ロックみたいな新節がもてはやされておりますが 旧節は つややかな音は波のように重なって とても豊かでした。.....津軽三味線とコラボしたらおもしろいだろうな.....と思いました。インパクトのあるものがたりがいいですね。たとえば 雪女とか 鬼女房みたいな.....。 

    3.11から1年たちました。4号機が燃料棒にしかるべく安全な措置を施すまで持つだろうかということはさておいて これから3.4年後 起こるであろうパニック 中期的に見て 日本の人口の激減は避けられないことのように思われます。限られた時間をまざまざと目の前にして パソコン屋さんがくるのでとり散らかった部屋を片付けながら しみじみ考えておりました。山なす書籍 書き散らした草案や資料 わたしはいったいなにをしているのだろう。あれもこれも手をつけて 残された時間のなかでなにができるのだろう......

     「原発」をなくすためにできるだけのことをする。
     
    それは変わらない、けれど ふと あたりまえのことに気づきました。それは 自分しかできないことを優先的にするということ。家族のしあわせのためにすることももちろんです。それから まわりをあつくあったかくあかるく する.......なんですか 声に力が無くなった人が多い。たたかわずしてあきらめちゃっているひともいる。うちの弟なんかそうですね。すっかり洗脳されて 自分で処理できる範囲の外は 拒絶 受け取ろうともしない。

     腹がたつけど そこで怒っちゃいけないんだな あきらめてもいけないんだ.....わたしができることといったら語りしかないのだから それで 元気が出るようなことやってゆく。場所をあたためてから 大事なことも話してゆく。昨日聴いたことば 入る は 出る の返り....できるだけ自分から出す 愛 呼吸もそうだし 人間のいとなみはみなそうです。できるだけ 出すこと わたすこと あたためること...... まず場があったまらないと 語りだって伝わらない。

    それから 語りをきりひらいて前に進むということについても 他の語り部さんがやっていないことを優先的にしようと思います。それは神がたりだったりパーソナルストーリーですね。いにしえの神々を語る神がたりのためには調査が必要です。それから身体も心も魂も清めてゆくことが必須.....

    パーソナルストーリーって 自分やまわりのひとのおはなしだけではないのです。たとえば ヒロシマ たとえば南方戦線 たとえば フクシマ たとえば戊辰戦争の一兵卒 たとえば ..... 巷のひとびとのいのちのものがたり それはパーソナルストーリーです。生きるということはたいへんなこと 笑い泣き 懸命に生きたひとびとのものがたりを語る そのことに力を注いでいきたい。

    神がたりとパーソナルストーリー いはば 天のものがたり 地のものがたりですね。........でもそんなこと考えるまでもなく 子どもたちが目をきらきらさせて 参加型に興じるときとか おばあちゃまたちががはがは笑うときとか そこに神さまがいらっしゃるんだと思います。全国の 語り部さん ストーリーテラーさん 日本をあっためましょう。あかるくしましょう。

        



 

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    きのう 午前中は買い物とカフェ 午後は自主上映会にゆきました。多くの知人と会いました。10年ぶりの再会もあり 語りの会にきてくださったおかあさん方から声をかけていただいたりしました。ユニットの仲間とも会えて楽しい日となりました。

    大田さんは 家永教科書裁判で、30年にわたり家永教授を支え 教育内容に対する権力の介入が日本の教育荒廃の病根であることを訴えました。教育とは教え諭すという上から目線のものではなく 子どもが自ら学んでゆくことをささえてゆくことだ....という視点、それはあたりまえのようで とてもあたらしいものにわたしは感じたのです。

    その根っこに 太平洋戦争で 輸送船を米軍に撃沈され 漂流しジャングルをさまよった経験があるといいます。なすすべもなかった東大のいわばエリートだった大田さんに比して 農民兵 漁民兵は生きる力を身につけていた、それを目の当たりにした大田さんは いままで学んできたことはいったいなんだったのだと自問したそうです。

    戦後 大田さんは 居場所のない農家の次男坊三男坊たちと青年学級をひらきます。そのなかに弟妹の面倒を見る必要から 高校にもいけなかったうらわかい女性がいました。青年たちは詩をもちより悩みを共有し ガリ版を切って機関紙も印刷するまでに成長してゆきました。ところが、女性は父親から 青年学級への参加を禁止されてしまいます。仲間たちは彼女を支えました。そして ある日 娘は思い切って 父に語りかけるのです。「とうちゃん かあちゃんとおなじようになるのはいやだ」と.......「オレだって話せばわかる」 娘は父の許可を得て小躍りします。そして大田さんの紹介で幼稚園の保母さんになるのです。その充実したしあわせそうな顔......彼女は自分で運命をきりひらいたのでした。わたしは その方に いつしか母のおもかげと長女のおもかげをかさねあわせていました。涙があふれました。

    大田さんは毎週 一週間分の新聞の折込広告の重さをはかっています。その重さは欲望の重さなのだそうです。現代社会はなんとかしてモノを買わせようとします。そこでわたしはハっとしました。新聞をやめて2年 テレビをやめて9ヶ月 すっかりモノを買わなくなったことに気づいたのです。やっぱり知らぬ間に洗脳されていたんですね。わたしたちはいつのまにか国民・市民・人間から 消費者にされてしまいました。消費者は労働を金に変え金をモノに変えます。そのシステムのなかで次第に孤独になってゆくのだと太田さんはいいます。

    では どうすれば わたしたちは孤独から逃れゆたかに生きてゆけるのでしょう。太田さんは考えます。基本的人権とはなにか.......それはいのちだ。ではいのちの本質とはなにか.....
① いのちはひとつひとつがちがう。
② いのちはじぶんから変わってゆく。
③ いのちはここちよくかかわる。 ひびきあう。

いのちは自然の摂理とともにある。太田さんは地域のミュージアム化をめざしてゆきます。ひとびとがよりそう場を模索してゆきます。ゆめとあこがれをで自分やまわりのひとをあたためながら......

著書を買いました。ぱらぱら めくったなかに あることばを見ました。柳田國男が 語ることは かかわること といっているというくだりです。...... ひびきでつたえる語り部としてはとても意味深いことばですが ネットで検索してもでてきませんでした。

ずっと 低調だったのですがなにか吹っ切れたようです。わたしの夢 あくがれる心持をかたちにしてゆきましょう。多くのひとのたくさんの夢 あこがれとひびきあって補いあい 助け合って生きてゆきましょう。



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ネタバレなので 未見の方は 見ないでください。おもしろい映画でした。

.....あらすじ.....
月刊誌“ミレニアム”の発行責任者、名探偵カッレ君というあだ名の敏腕記者ミカエル・ブルムクヴィストは、ヴェンネルストレムの悪行を記事にしたが 逆に名誉毀損の裁判で敗訴し、“ミレニアム”から離れることになる。

警備会社の調査員リスベット・サランデルはミカエルの調査を依頼された。

リスベットに調査を依頼していた大企業ヴァンゲルグループの元会長ヘンリック・ヴァンゲルはミカエルにの面会の申し込みだった。突然のことに戸惑いながらもスウェーデン北部のヘーデビー島を訪れるミカエル。

ヘンリックは彼に姪ハリエット失踪事件の調査を依頼する。

1966年9月22日、ヴァンゲル一族の家族会議の日、“会って話がしたい”とヘンリックに告げていたハリエットが忽然と姿を消した。捜索の結果、彼女は何者かに殺され、遺体は遺棄されたという結論になったが、ハリエットがヘンリックの誕生日にプレゼントしていた押し花が、今でも毎年贈られてくるという。ヘンリックはハリエットを殺した犯人が送ってくるのだという。

ミカエルの前に、次々と明らかになるヴァンゲル一族の隠された過去。ハリエットの父は、ナチに加担していたヘンリックの弟。両親の酒浸りが問題になったことで、ハリエットはヘンリックのもとに引き取られていた。その後、ハリエットの父は海岸で溺死する。

ミカエルはハリエットの残した日記帳から、謎のメモを発見。このメモが未解決連続女性殺人事件のカギであること、ハリエットが犯人をつきとめたらしいことを知る。

ミカエルはヘンリックの弁護士に紹介され リスベットを助手にし 共同で調査を進めるが 猟銃で撃たれ ケガをする。


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上田でハリウッド版 自宅で スウェーデン版 映画を観ました。両方観る事で立体的にわかったような気がします。ハリウッド版 はスタイリッシュでリスベットがスーパーウーマンに描かれています。スウェーデン版のリスベットはちょっと老けている感じはするが 等身大に感じます。

ハリウッド版では 聡明なハリエットをヴァンゲル財閥の総帥に望んでいたヘンリックがハリエット事件にのめりこんだことがヴァンゲル者の衰退につながったことが示唆されていますが スウェーデン版ではそれはなく ヘンリックがわが子のように愛していたことから捜索をつづけたということらしい.....あまり語られていませんが.....

ミカエルはハリウッド版のほうがかっこいいが スウェーデン版ではリスベットをくるみこむようなあたたかさがある。

このものがたりでは

①ミカエルの物語 ヴェンネルストレムとの確執 共同経営者エリカとの関係 娘との関係
②リスベットの物語 暴力的な父との過去 後見人の弁護士との関係
③ヴァンゲル一族の物語
④連続殺人事件

が平行して語られているのですが すべてをつなぐ ④ について ハリウッド版は畳み掛けるようなスリルがあるのだが 膨らましすぎて 解決への展開がよくつかめない。スケールはちいさいがスウェーデン版のほうがまとまっています。人間に寄り添うならスウェーデン版 美男美女 スペクタクルをお望みなら ハリウッド版をごらんください。どちらもお金を払う価値はあります。

ひさびさに長野で見たテレビ 日曜の午後なのに 再放送 バラエティー番組のばかばかしさ 某宗教団体が番組の提供をしていることに唖然としました。



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詩と音楽のコンサートに行きました。谷川俊太郎さんのコトバのヒビキとVOICE SPACEのパフォーマンス はとてもも新鮮でした。あっ VOICE SPACEというのは芸大の OB OGがゆるやかにつながっている集団です。谷川さんがハイブリットと評したように JAZZ ソプラノ テノール 長唄 尺八 筝 小鼓 ピアノ パーカッション ベース なんでもあり。谷川俊太郎 賢作 さんたちとの掛け合いもたのしかった。

けれども わたしは まどみちおさん の どこのどなたで 少し泣き 佐々木幹朗さんの明日 で涙ポロポロでした。3.11以来 はじめて 自分のために泣くことができました。涙はわたしを癒してくれました。いただいたチケットでしたが 行くべくして行かせていただいたコンサートであったように思います。

昨夕から今朝 自分のなかでおおきな変化がありました。このまま ありのままをそのままうけいれようということ。NOということなしに。汚染された大地も奪われた空もそのままに ..... この国がすきです。この国のふつうのひとたちがすきです。みんなといっしょにふつうに生きていきます。ふしぎなことに車で走り抜けるこの街 わたしの住む街が まったく違うよその街 ひろくてあかるくてうつくしく 感じられた朝でした。


あした
いつもとちがう匂い
あした
シクラメンの桃色の花を咲かせて
あした
放射能の入った天からのもらい水を飲むだろう
あした
大地が揺れて消えて凍り付いて もっと....
あした
それでも 生きている
あした
恐怖が底のない桶のように固まる
あした
わたしたちを貫いても
あした
揺れて割れる地球の上で
あした
花のように毒を吸い上げる わたしたちは......
あした
いつものように 窓のカーテンを開けて
あした
太陽の光で部屋を満たす
あした
地球の上で生きる いつものように
あした .... .... ....
(3.11 以後 書かれた 詩なのだそうです。わかりやすく 深い詩ですね。ことばがちがっていたら おゆるしください。)

コンサートのとちゅうから からだがなにかでみたされて
ぱんぱんになって 声がだしたくて 歌いたくて たまらなくなりました。あしたで声を出させてもらって ほんとうにうれしかった。お客さんだって 受け取るだけではいっぱいになってしまう......快感はいつだって in put より out put です。それが人間の本質です。

カタリカタリでも 毎回 聞き手のみなさまに参加していただいていますが もっと もっと 割合をふやしてみたいと思います。そこで 13日のおやこの会と 14日の語り継ぐ戦争と平和 すこし趣向をかえることにしました。

いまになって 渡邊満喜子先生とOvertone Breath Bandの試みを思い出しました。先生のコンサートの場合はことばではなく 倍音のロングトーンと 踊りのパフォーマンスの組み合わせでした。聞き手の参加もありました。先生がめざしていたのは 倍音の発生による魂の癒し と共生 ではなかったかと思います。

遠い夢ですが  エンターティンメントとして成立してなお 魂シズメ 魂フリ すなわち 再生につながるものが目指せればと思うのです。

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    このごろ わりといい出会いがあります。上記3つの映画 佳作でした。なかでも「トイレット」がおもしろかった.....クスクス、げらげら わらわせて 最後泣かせて ドンデン返しでまたわらった。とても気持ちのいい映画でした。

    黙阿弥ホテルは井上ひさし原作 たぶんこまつ座の録画です。このなかで井上ひさしは 戯作者に言わせています。「芝居とは.....女をとことん悲しく死なせ とことん美しく死なせる....そこに知恵をしぼるのだ」......ことばは違うかもしれませんがそんな意味合いだったと思います。まさに.....語りもと思います。もうひとつのパターンは どうやって(精神的にあるいは肉体的に)殺し どうやって甦らせるか....。

    クレアモントホテルはひとりの老女が死ぬまえにひとりの青年と出会うものがたり.....それは ひとつの恋であり亡き愛する夫との邂逅でもありました。そしてその青年の甦りでもありました。ツォツィは....少年のころ 母と別れざるを得なかった そして母に対しある呵責またはトラウマを抱き続けた.....自力で生き抜くうち チンピラとなり女性に怪我をさせ 赤子を誘拐する羽目になる.....しかしその幼子とのつかの間の時間に 人間性を取り戻してゆくものがたり......すなわち 再生.....トイレットはカナダのものがたり 母が亡くなる直前に日本からやってきたばあちゃんは英語を話すことはなかったが 3人の孫の心をひらき 人生に立ち向かう後押しをして死んでゆく.......三作とも生と死のものがたりであり 再生のものがたりであり なにかを得るためになんらかの『贄』をひとは差し出すのだという含みをもったものがたりであると思います。

クレアモントホテル → こちら

ツォツィ → こちら

トイレット → こちら

    きのうは作詞家 阿久 悠 のつくった歌の特集がありました。阿久さんの 勝手にしやがれ 五番街のマリーなどひとつひとつの作詞にものがたりがありました。なかでもいままであまり聴くことのなかった三曲がとても印象に残ったのでUPしておきます。演歌はおもしろいですね。優れた歌手は細部をおろそかにしない。歌詞をとてもたいせつに あるところは輝くようにあるところは潤むように また匂やかに 憂いをもって......歌います。語りも一音一音を煌くように語りたいと思います。


転がる石 → こちら

花束(ブーケ)→ こちら

冬の唄 → こちら

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    夕べ 攻殻機動隊を見ました。伝説的な日本のアニメのひとつなのですが 今まで見ていなかったのです。2029年 第3次核大戦とアジアが勝利した第4次非核大戦後、脳をネットに直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加したサイボーグ(義体化)技術が発展、普及し 科学技術が飛躍的に高度化した日本が舞台。電脳化され義体化された人間が人間たりうるモノはなにか がテーマのようです。ストーリーはテロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の公安警察組織「公安9課」通称「攻殻機動隊」の活動を通して展開します。

    おもしろかったです。作者は人間が限りなくロボットに、そしてロボットが限りなく人間に近づいた時代、そのふたつを決定的に分けるのがゴーストと定義していたようです。ゴーストとは 自分が、自分自身であるために最低限必要なモノ、又はその境界に存在するモノであるのと同時に あらゆる生命・物理・複雑系現象に内在する霊的な属性、現象、構造の総称であり、包括的な概念......つまり個のなかに存在し 個を個たらしめているとともに森羅万象のなかに存在しすべてが大河の一滴のようにつながっている? とわたしは解釈したのですが どうでしょうね。

    少佐こと草薙素子さんの声が魅力的 コントロールされた 過不足の無い それでいて微妙なニュアンスのある声 かなりはまりました。このアニメがなかったら ハリウッド映画「マトリックス」は生まれなかったでしょうね。日本のアニメはすごいね。ハリウッドでスピルバーグ?が実写化とか。


素子さん

  タチコマというロボットたちがかわいい。思考を獲得してゆく 助け合い、思いやりとか自己犠牲まで体現してゆく.....機械に過ぎないのですが 霊性をもってゆくんですね。


タチコマ

    この作者さんはサリンジャーがお好きなのかな? 攻殻機動隊にでてくる”笑い男”は九つのものがたりのひとつにあったし 「あなたは世界中で起こる何もかもがインチキに見えてるんでしょうね」という”ライ麦畑でつかまえて”のせりふもでてきます。ちなみに少女漫画家はサリンジャーファンが多いです。すぐ思い出すのが 名作「バナナフィッシュ」そして大島さんのミモザ館でつかまえて.....ついでにわたしが一番最初にプロデュースした語りの会のタイトルは”九つの物語”そのままでした。主人公の少年のように 子どもたちが落ちないように? 見張っていたいと若かったわたしも思ったことがあります。

    攻殻機動隊 → コチラ

名せりふ

世の中に不満があるなら自分を変えろ!!。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!!。

我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。

バトー、忘れないで。貴方がネットにアクセスするとき、私は必ず貴方の傍にいる。

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   「質屋」を観た。この映画はわたしのベストワンだった。次に「すきなのが怒れる11人の男たち」.....40年ぶりに観て驚いた。わたしは たしかに青い空.....を見たと思ったのに 映画はモノクロだった。白い雲 蒼い空 草原のピクニック うつくしい妻 子どもたち 両親......そこへナチスがやってくる。男はすべてを失った。目の前で妻がドイツ兵に犯された。どうすることもできなかった。ニューヨーク 教授だったユダヤ人の男は質屋のオヤジになっていた。週一度木曜日 所轄の刑事が金を取り立てにくる。貧しいひとたちがひきもきらず 質草を持ってお金を借りにやってくる。フラッシュバックのように過去がよみがえり男を苦しめる。やさしい妻。幼い息子 家族を守れなかった自分。男はなにも信じてはいなかった。正義も愛も芸術もなにもかも......お金だけだった。その金も実は売春宿の上がりからくる不浄の金と男は知る。質屋は暗黒街のボスの事業の隠れ蓑になっていたのだ。

そんな男を慕っていたのはジーザスという若い店員だった。.....が 彼は 強盗の手引きをしてしまう。仲間が男に銃を向けたとき ジーザスは男を守ろうとして 銃で撃たれ 血にまみれて死ぬ。男は自分のためにジーザスが死んだことを知り メモ刺しの鉄の針でわが手を刺し貫き おもての雑踏へふらふらと出てゆく。

若かった わたしは この映画を 回心をテーマにした映画と思っていた。わが子を失った男が 息子のような......生きていたらそのくらいになっていたであろういはば 息子の身代わりのような店員の無償のわが身を投げ出す愛で 蘇生した 甦った男のものがたり 再生のものがたりとずっと思っていた。

だが 別の見方もできるのだった。わが罪で キリストを殺した男の贖罪のものがたりと そう見ることもできる。衝撃だった。.......それは 今 わたしが 自分のうちの罪に気づいたからかも知れなかった。ものがたりはこんなにも変容するのだった。


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  先日 聴かせていただいた 民話の文字起こしをしています。「甘酒」 「惚れ薬」 がおわって 今 「三枚のお札」の途中です。聴かせてもらったいい語りは すぐ語れるのですが わりあい すぐ わすれます。それで 文字にとめておきます。語っていくうちにだんだん かわってゆきます。そのたび 原稿をなおしてゆきます。

    絶版になっていた本がとどきました。ひとつは 松谷みよ子さんの「茂吉の猫」 ざざんと 身内に戦慄の走るお話でした。空は妙に 静かで それがなんだか 気になって.....薄いベールがかかっていますが ケムトレイルのいたずら書きが見えません。北海道から沖縄まで まるで実験でもしているように地震が起きています。こわいですね。

    NHKの邦画を彩った女優シリーズはなかなかおもしろいですね。大原麗子 太地喜和子 賠償千恵子 とつづいて今夜は最後の夜です。わたしは このシリーズをみて 高倉健 最後の銀幕スターと呼ばれる健さんの底深さを見たように思いました。「居酒屋兆次」 の 大原麗子の衝かれたような表情 「駅」の倍賞千恵子の「サクラ」とは打って変わった女のさが 女にこんな顔させるなんて すごい俳優だな と思います。それだけではありません。 


 








大原麗子は「居酒屋兆次」のあと しばらくサヨが抜けなかったと述懐 倍賞千恵子も同じ高倉健との共演作 「遥かなる山の呼び声」......(今 気がつきました コレ カムバック シェーン! なのね)....で”倍賞千恵子さん”に戻れなくてつらかった といっているのです。

能から出たことばに役者があります。役者はもともと生きた人間の役をするものではありませんでした。神や精霊、怨霊、亡くなったひとの役をしたのです。役者の別名である俳優の俳とは人に非ずと書きます。俳人(わざびと)→俳優 女優 男優....

いい役者にはその時代を担うような業 があるような気がします。そして 時代を究極まで 身のうちに体現することで時代を超えてしまうような気がします。....じつはわたしもすこしばかり 役者をしました。素人劇団でしたが 楽の日 埼芸の座長に あんたは面白い役者だ どこかできっと役者をつづけなさい といわれました。そのときすでに劇団をやめることがわかっていたのでしょうか。わたしには知る由もありませんでしたが。

役者はほんとうにおもしろいのです。役と自分がひとつにとけあってしまう。思いもかけない自分がそこにいる。娘たちはわたしが ある役をしていたとき どんどんかわってゆくのが怖かったそうです。おかあさんはあんなに上品でやさしかったのに...?と娘たちはいいます。.....わたしはたいそう 喧嘩っ早く 戦闘的になりました。品もわるくなったようです。

でも それはもともと わたしのなかのどこかに あったものなのです。もとってどこだと思いますか? 大原麗子さんと「おはん」などで共演した石坂浩二さんは 「役者は自分のなかにないものは出せない」と断言していました。ほんとうにそうなのかな......あると思えなかった資質が身の内から むらむらとたちあがってゆく 理性とはまったく 違うところで というか 自分のあづかり知らぬところで起きてしまう あれあれ というのでもなく 本来の自分は観るものになっている。とても静かにすこし上にいる あけわたして....。入ったものがね 行きがけの駄賃にひらいたものを置いてゆくんですね。

大原麗子さん 倍賞千恵子さんの ”顔” そんなふうに見えませんか。...魅せられた顔。一回でも これをあじわってしまうと戻れなくなります。追い求めてしまう なぜなら 至福だから。魂に刻印されてしまうから。


このふたりとちがって 太地喜和子さんは映画にも出演しましたが 舞台に比重をかけた女優です。





彼女が耀きを放ったのは 遊女 娼婦 ストリッパー あるいは地母神のような女性でした。 役をするというのは器になることなんですが 日本は役者のキャラクターに乗せるのね そういうキャスティングをする。だから 役者が小粒になる。自分にあった役しかさせてもらえないからです。でも 太地さんの場合 自分の恋 をベースにしているせいもあるが 自分の器をそういうものにしてしまった ”感” があります。口にはいえない快感だったと思う。正直 わたしは 残念に思います。

語りは 20分なり 30分 ものがたりに あけわたせばいい ゆえにつづけられる。芝居のように一ヶ月も二ヶ月も占拠されていたら 日常生活は成り立ちません。 女優さんのほうが男優よりたいへんですね。小百合さんが母にならないのも 小巻さんが結婚しないのもそのせいかな。役者としての人生 人間としての人生を 両立させるには 大いなる意志の力が重要です。そして 役者・俳優とは 人間としてのふつうの幸福を賭けても 失っても悔いないものなのです。大原さん 太地さんのご冥福を祈ります。

蛇足ですが お三人ともいい声ですね。三人の声そのものが役者としてのありようを 語っています。そして 語りもね キャラに乗せるだけではつまらない あるパターンの繰り返し....でもいいのですが カラのうつわになりきることで それこそ だれの人生でも生きられる どんな物語でも引き受けられる。こんな 贅沢はない。衣装も背景も 脚本も 歌も 音楽も なにもかも自前でできてしまう ちらしなどの制作も プロデュースもトータルで......こんなおもしろいことありません。 役者は脚本(台詞)・演出との葛藤があって それから生まれるものもあるけれど 所詮はひとの構築したい世界のひとコマ 語りはね それだけのものではない と わたしは思います。




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    BSで ヤマト 観ました。もしかして....とおそるおそるだったのですが 思ったよりずっとよかったです。宇宙戦艦ヤマトはかなり荒唐無稽なまんがです。戦艦大和は太平洋戦争末期 帰りの燃料もなく 轟沈を覚悟で一縷の希望だけを抱いて出航しました。 日本の誇る技術の粋 戦艦大和。先に沈んだ武蔵とともに 米軍に爆撃され大勢の乗組員とともに海の藻屑となった大和が復活することは 日本人にとって胸が熱くなるようなこと でもありえないことでした。それにコスモクリナーだって。

    漫画だからこそ通用したシチュエーションを実写化する それはたいへんだったと思います。でも大和の復活はサラリと流し 焦点を人間が生きてゆく希望にしぼって この映画はある意味成功したと思います。ちょっと 出演者の調和がとれてないところもありましたが.....山崎努さん演じた艦長 それからキムタクの声がよかった。CGも見ごたえありました。それにしても放射能除去装置 ほしいですね。

    アバターは三度目ですが 観客動員数や内容のよさがあっても アカデミー賞とれっこないね と思いました。それがアメリカの自由の限界 そして にもかかわらず 自国の植民地主義をさらけだせるのが強さでもあります。日本の映画界もエンターティンメントとして もっと熱くそして冷静に 日本の政治のこのぼろぼろのありさま 市井で懸命に生きるひとを描いてほしいと思います。ジェダイが時代劇のジダイからというのは有名な話ですが アバターのエイワも平和からではないかなと思いました。もうとっくに気づいた方がおいでと思いますが。......それからガンシップや魂の木にナウシカやもののけ姫の残影を見たような気もします。

    最後に 錦織くん おめでとう おつかれさなでした。フェデラと対戦したいという願いがかなってよかった。このつぎはフェデラに勝つという目標に向かって ぜひとも勝利を手にしてください。

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