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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

家族のための病院通いが終わって ひさびさに羽を伸ばしにゆきました。あうるすぽっとのオーディションを逃してしまったことに今日気がついてがっかりしていたのですが、いい出会いがありました。地図を片手にでかけたものの さっぱりわからず パチンコ屋のティシューを配っているおにいさんに尋ねたら 親切にも ビルの前まで連れていってくれました。彼の青年に会わなかったら わたしは行き着くことができなかったでしょう。ありがとう!!あなたのしあわせを祈ります。

40分も前に着いたのに 店内は満員の盛況でした。壁きわのスツールでひとりさびしくワインを飲んでいたら 隣席の感じのいい女性が話かけてきて お連れの占い師さんに紹介してくれたのです。なんでも彼女は印鑑をつくっていただいて金運が著しくあがったのだそうです。みなさま 以前に 大企業はどこも専属の占い師を抱えていますよ とおつたえしたこと覚えていますか? わたしは以前 三越専属の占い師さんにみていただいたことがあります。「あなたは清流の鮎の語りをする、泥沼のどじょうの語りをしなさい。泥の中から白く輝く蓮の花が生まれる.....」と言われました。......ところがこれが いまだに清流の鮎なんですね いまでもその枠を越えることができませんが、清流にいつづけるのもたいへんなこと、あえて泥沼に沈むこともないとも思うようになりました。

さて 今日お会いした占い師さんは 三越どころでは.....いやいや 三越というのは三井財閥の原点だったっけ  その 日本の有数の大企業のうち二社の専属の占い師さんだったのです。大企業は敵なんですけど 占い師さんは別ですよね。観ていただく約束をしたので後日 ご報告しましょう。とりあえず今日のところは パワーがありますね、と言われました。

そのあと ばったり相原慶子さんと会ったのです。昨年相原さんが語り部として独り立ちのデビューをするとき 頼まれてプロデュースさせていただいたのですが 3月になって少しばかり驚くようなことが重なりました。それがこんなところでお会いするなんて神さまもいたずらなさるものですね。肩を叩いて挨拶したらぎょっとされていました。

JAZZのほうは 音響のバランスがちょっとでした。大きな場所でなくクラブでするのだから もっと生音に近いほうがよかった。ヴォーカルも高い声が割れてしまって残念でした。大音量で聞くよりより耳を傾けるというか しーんと聴き入るほうがわたしは好きです。語りもおなじですね。1stステージの茶色の月がよかった。2ndは イントロのトリオ演奏がよかった。ヴォーカルはシャンソンなんだかジャズなんだかクロスオーバーぽくてJAZZの好きなわたしとしては.....だったのですが 歌手の方のトークがとても楽しかったです。ピアソラの楽団の方とのコラボとか大方斐紗子さんとのステージとか おもしろい情報をいただいたのもうれしかった。

年に何度かは ほんとうにいいものが聴きたいし 観たいです。つばさをもつひとの 畏れを知るひとの つなぎ目となるひとの みずからを無にして投げかけるひとの 伝統芸能であれ JAZZであれ 絵画であれ 芝居であれ 音 響き 色彩 を心と身体で感じたい それらは光であり波動であり 魂の糧です。......身体の糧も大事ですけれど。

 



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聴いたとたん ロマ(ジプシー)のバイオリンかくも....と思いました。変幻自在......この方 ジャズがお好きなのだそうです。

⇒ こちら

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 ...... ゆうべ うらわで従兄とはじめて深い話をしました。わが一族のこと 女傑が守ったという女形城にまつわるはなし(女部田城か? ⇒ こちら あるいは日尾城 こちら) 鉢形城にまつわること 旗本山口氏(従兄の母 オリさんのご先祖)のこと。従兄の父は わたしの父と腹違い せな様と呼ばれていたとのこと。せな様とは長男のこと あるいは夫を指す。

酌をかたむけ 酔い覚ましにひとりカラオケに行きました。うたって語りのレッスンに最適なんですよ。よき歌い手のよきうたはひとつの語り ひとつの完結したものがたり。 

地上の星 ⇒ こちら

ヘッドライト テールライト ⇒ こちら

悪女 ⇒ こちら

時代 ⇒ こちら

空と君の間 ⇒ こちら

さようならの向こう側 ⇒ こちら これはいいです。

マンジュシャカ → こちら

美 サイレント → こちら

語り継ぐこと → こちら

この街 → こちら

ハイヌミカゼ ⇒ こちら このちとせさんは声がでていませんが ハイヌミカゼは歌い甲斐のある歌です

車やさん → こちら

川の流れのように → こちら

むらさき小唄 → こちら

古都逍遥 → こちら

朝日楼 → こちら  

黄昏のビギン → こちら

喝采 ⇒ こちら

伝わりますか ⇒ こちら

矢切の渡し ⇒ こちら

純・情歌 ⇒ こちら

天城越え ⇒ こちら

黄昏ゆく街で ⇒ こちら

 



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お正月に読んだ本

『天使のゲーム』

新潮社の2012年海外文学の第一位作品というキャッチコピーに惹かれて買いました。サフォンの前作 風の影 があまりおもしろかったのでハズレはないだろうと踏んだのですが 読み終えて感動よりも徒労感が残りました。ひとことで言うとフェアじゃない。二流のミステリ作家のやるように伏線と見せて筋を成立させるための陥穽が読者の読みすすむあちこちに施されている感じ.... ミステリとしても人情ものとしてもファンタジーとしても中途半端な感じがしました。ちょっと欲をかきすぎましたね。

まだ ご覧になっていない方はこの先 読まないでくださいね。新潮社の邪魔をするわけではありませんが 新刊より 図書館で借りて読むのだったと後悔しています。わたしにとっては上下巻1700円出すほどの作品ではありませんでした。このものがたりは作家のダビッドとクリスティーナの愛が実はテーマだったりするのですが なぜクリスティーナがダビッドを愛して?いるのに ビダルを作家として成功させるためのゴーストライターとしてダビドを利用しようとするのかわたしにはまったくわかりませんでした。たとえビダルに恩義を感じていたにしても ダビッドを愛しているならビダルと結婚まではしなかったはず 女心の必然がつたわってこない 単に男から男に乗り換えるだけの安手な女から突然至上の愛で恋人を救おうとする聖女になどという飛躍は無理すぎます。

ビダルにしても 作家だったら自分が書いたものか そうでないか ひと目でわかりますって! ましてビダルは長年新聞社や雑誌の 編集をしていたわけだし 印刷の前に読み直しますよね..... このひとプライドはありそうだし 後輩のそれも目をかけた若者の筆を借りてまでして 甘んじて成功を受け取るでしょうか  ...... それだけで 前提のひとつがわらわらと崩れてしまう。

マルラスカもなぜ 巡査に化けていたのか ビダルを邪魔しようとしていたのかわからないし グランデス刑事もよくわからない つまり人物の行動に必然性がない。 過去と未来が円環になっているというオチも不完全。 パラレルワールドのほいがまだ説得力ありそう.....小説はウソ虚構なんだけれども 綿密に構築したウソの世界を『真実』にするのが作家の役割だと思うのです。読者をその気にさせる その世界の住人にさせる それができないと感動は生まれない。センペーレのエピソードには心打たれるものがありましたが 全体としては キラキラしたモザイクのように見えました。生にまつわる悲嘆 汚濁 にもかかわらず 地上を照らす残光のような生きることの輝きがくっきりとかびあがってこないのが残念でした。

この作品を買っている方のブログ → こちら

ほめ方にも苦労していますね → こちら 読めば読むほど、なにかキツネにでもつままれているような気になってくる。じつは、それこそが、本書の魅力の半分を占めているのだ。(これがピッタリ)

娘の本棚から拝借した 『嗤う伊右エ門』 これは伊右エ門とお岩の人物の造形が予想外でした。とても おもしろかったです。

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米原万里さんの 『アーニャの真っ赤な真実』 これはもうひとりの娘から借りた本 米原さんがプラハの学校にいた頃の3人のクラスメートの思い出とその後 .... なかでも白い都のヤスミンカのものがたりが心に残りました。たった一度ヤスミンカの家に行ったとき 米原さんはおとうさんの若い頃の思い出を聴きました。なぜ16歳のとき パルチザンになったかを。そこには一人の先生への敬慕と愛惜があったのです。その後 米原さんはヤスミンカのおとうさんがボヘニア・ヘルツェゴビナの最後の大統領になったことを知ります。 けれども白い都 ベオグラードは米軍に爆撃され ヤスミンカもおとうさんの運命はわかりません。この先生のエピソードは胸に沁みます。事実に根ざしたものがたりはとても強いものです。

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『ナショナル ストーリー プロジェクト』 編集オースター

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全米からあつめられたものがたりのⅡ  

アメリカ合衆国は歴史が浅く ネイティブ以外は昔話もないので 必然的にパーソナルストーリーが盛んのようです。この第二集では 日本人聖歌隊 のはなし エラの話が胸に沁みました。

これは王国のカギ 

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 ジュブナイル というなら いいのかな.... 千夜一夜の入門になるかもしれません。けれども 良きファンタジーはおさなごころを忘れない 夢見るおとなのための読み物でもあるのです。そうした意味で苦言を少々....。

中学生のひろみが失恋したことから異世界へ....そこはアラビアンナイトの世界 ひろみはジン(魔神)ジャニとなって魔法のちからを手にいれお家騒動のなかで重要なやくわりを果たしてゆく.....異世界で体験したことが現実世界のヒロインを変えてゆく 現実に向き合って生きてゆくというよく少女漫画にあるパターンです。おもしろいのは 現実世界の思い人宮城 恋敵リコ に仮想世界の 王子ハーハルンとユージーン ユージーンを愛する奴隷女ミリアムがそのままストレートに 投影されているところ....ここでもひろみは失恋をするのですが 受け入れることを学ぶというか......。 千夜一夜という奇想天外なものがたりをしたじきにしながら飛翔がない、カタルシスもない、 実に日常的なファンタジー というところがなかなかでした。 アラビアンナイトより 空色勾玉のように古代史を探っていってほしいと これは一読者からのおねがいです。



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........なにか足りない なにかが余分 ライブで感じた意味がすこしわかったような気がしたのです。

日本には私小説の系譜があります。私小説とは、作者が直接に経験したことがらを素材にして書かれた小説ですが その系譜たるや 森鴎外 からはじまって 夏目漱石『道草』島崎藤村『春』ほか谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」『痴人の愛』宮本百合子『伸子』三島由紀夫『仮面の告白』大江健三郎『個人的な体験』.........非常に多くの小説が私小説の認定を受けていることに驚きます。 

シンガーソングライターでも 陽水とか尾崎豊 長渕剛  鬼束ちひろ...... 自分の実体験を歌っている場合が多い...... もっとも 自分が体験したことから触発されない小説やうた などあるはずはないのですが.....要は 個人的な体験がどれだけ聴くひとたちの胸を揺り動かすか 普遍的なものへ昇華しているかということだと思います。

小林秀雄は「私小説論」(1935年刊)で、西洋の「私」は社会化されているが、日本の「私」は社会化されていないと説いたそうですが 社会化されていても されていなくても 体験されたことによる心の振幅 悲しみ 喜び 不安 希望 が聴きての心を揺さぶるかにまずかかっている。そしてつぎにそれが 生と死 愛 ひとの本質 宇宙の根源にむかっているかということが大事なのではないかと思うのです。そこには体験した自己に対する客観的視点が必要になる。

それは二律背反なんですね。極限状態とか強い感情にひとは惹かれるものだし 歌っていると気持ちがいいし でも そうすると客観視なんてできはしないわけで.....とくに歌は。両立させるのはむつかしい。

歌も語りも 癒しだけじゃないけれど 深い癒しは絶望を超えて未来に向かう力を持っている。わたしが癒される歌は....smile とか too young とか ......

個人的な体験を超えて つまり 自我をすてることで 熟成するものがあるのじゃないか..... 自分が目指したいのはそういうこと 聴き手にぶつけるのではなくてね 聴き手を抱きしめるように語りたいと思ったのです。森圭一郎さんの歌がぶつけるような歌だったというのではぜんぜんないのですよ。

 

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一昨日 Nさんにさそわれて行ったのが なごみ ..... 素材を重ねることで ダシもいらないという陰陽を考えた調理法でこしらえたランチ.....牡蠣のグラタンがおいしかったです。お店のなかも隠れ家みたいな心地よさがありました。

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今日はその なごみで 森圭一郎さんのライブ に今度はHさんにさそわれ赴きました。お店の中はひとでいっぱいでした。森さんは16歳のときのバイク事故で自分の足であるく自由を失いました。けれどもそのことで失ったものより得たもののほうが大きかったと「光と闇」という歌の中で語っています。語るというよりはシャウトですね。ちいさな場だったので マイクがないほうがよかったかな.....と思いました。森さんはほとんど自分がつくった歌を歌っているそうですが 内容はパーソナルストーリーでした。歌を聴いているうち 自分のものがたりのなかへ入ってしまうのがおもしろかった。突然 夏の光のなかにいたり....梢が見えたり..... 聴いている自分 感じている自分  ここにいるわたし いないわたしが そこに共存している らくらくと境界線をのりこえて...... でも なにか足りないものがある。いいえ....なにかが余分 薄い紙がはさまったように....



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懐かしいね まだ 無邪気が残ってた時代.... ひたむきさが恥ずかしくなかった時代 みんな消えちゃうまえに聴いて....

ゆずれない願い

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銀狼怪奇ファイル

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僕は思う

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はじまりはいつも雨

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     「それでも おれたちはこの世界で生きてゆくのだから」

この台詞のことは前回 書きましたが 結局 なんだろう?

予告編にあるような『革命的なこと』はなにも起きないんですね。

学校のヒエラルキーは変わらない。「できるヤツはなんでもできる 」 階級社会はそのまま。

原作を読んでいないので しかとはいえないのですが 作者の立ち位置はどこよ? 帰宅部といってもひとくくりにはできないわけで だれもがバスケットを裏庭でやってるような かっこよくて 頭もそこそこ イケテル彼女がいるわけじゃない。大学受験しか念頭にないのもいるし 遊び人もいる ハグレテるひともいる。それに文化部にだって超エリートはいました。ちょっとパターン化しすぎじゃない? ちょっと上から目線なんじゃないのかな。

過去のノスタルジーにふけったってしょうがないんだよ。今は戦時なの。もっとインパクトある映画つくってください......現代じゃなくたっていい 歌舞伎は時代を変えた時次ネタを上演して 幕府の検閲を逃れた。映画人はもっとできるんじゃないですか!?

文化で この国を守ろうよ。闘おうよ。

 

 



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桐島 部活 やめたってよ

観てきました。観て損はないだろうなと思います。毀誉褒貶のある映画とも思います。ほとんどのひとにあった高校生活.....その高校生活をどのように送ったかで....部活やったか 恋をしたか.....評価が分れるだろうし 映画の主人公も変わってくるでしょう。

わたしにとっての主役は吹奏楽部部長沢島さん そして彼女の想い人 野球部を休んでいる宏樹くんでした。わたしは女子高でした。45年前母に4万円のマンドリンを買ってもらいながら マンドリンクラブは所属していただけ実質帰宅部で 屋上と近くの神社と古本屋に出没していました。クラスからははぐれて 授業中はニーチェとか読んでいるかわいくない女子高生でした。 そのうえ制服はきないし校内ははだしで闊歩しておりました。要するにかなりへんてこな子だったのです。

学校はキライで 牢獄のように感じていました。だから 高校生活なんぞにノスタルジーは感じないのですが 映画を観るあいだ 時折 学校の臭いを感じました。冬の校舎の匂い 運動部部室の汗の臭い 教室のざわめき 学食のひるどきの雑踏と匂い .....すると心臓がピクリと動悸をうつんですね。わたしでさえそうなのだから 青春の痛みも甘さも骨にしみこんでいるひとたちにはたまらないと思います。

大後寿々花さん とてもよかったです。気になったのは 結局 部活賛歌じゃないの ということ それから かすみ役橋本愛さんのクレオパトラみたいな斜め目線 これが網膜に焼き付いてしまって....この映画に関していえば もっとふつうの女子をだしたほうがよかったんじゃないかな 美女ってとんでもないインパクトがある、映画を食ってしまう、そういう意味でバランスがちょっと....。

それがなければ 

「それでも俺たちは、この世界で生きていかなければならないのだから」 この台詞 もっと効いたんじゃないかな

......3.11以後 の主旋律ですね。

それでもこの世界でわたしたちは生きてゆく.....

 

 

 



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気になる映画です。

桐島...は今週いっぱいかな....

桐島 部活やめるってよ → こちら

高校って生徒がランク付けされる、なぜかそれは全員一致する。

~放射線を浴びた~X年後 → こちら

48.5μsv/hの被曝 日本列島を覆う放射能 消え去ろうとした事件に光をあてたのは高校生と生徒だった。

日本が放射能をあびたのは4度.....

祈り サムシンググレートとの対話 → こちら

祈りは眠っている遺伝子をONにする。



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橋本愛 このこはいいね。目がモノを言い、ルックスも演技も。男にも そうでないものにもひっかからないで いい女優に育ってほしい。



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REIさんに誘われて大倉山に向かいました。電車のなかで 眠り込んでいたわたしは新宿の直前ではっと目を覚ましました。のどの奥がいたく胸の奥がチリチリしました。左の目がけいれん 左の耳の奥がいたかった。一瞬 恐怖に襲われそうになりました。.....電車に乗っている方々はなぜ平気なのだろうと思いました。

放射能にたいする感受性はひとによって 100倍 なんともおおまかな数字ですが 違うと読んだことがあります。鋭い感覚の持ち主でその場で μsvを的中させる方もいるようです。わたしも当たらずとはいえ 遠からずの口だったのですが このごろ 気になるのは のどの痛みの感覚と線量計で図る空間線量がかならずしも一致しないことです。0.10μsv/hでものどが痛いことがある。イタイ日 娘に訊いてみると 娘とイタイといいます。

これはいったいどういうこと?  感受性が増した?なにか+αの要因がある?

そんなことを考えているうち 大倉山駅につきました。暮れなずむ街路 石畳の長い長い坂 左手の林から緑の匂いがむっとおしよせてきます。かすかに香るカヤの樹の...... 増田先生と会ったのも 渡邊真喜子先生とあったのも この大倉山記念館でした。pollyこと 多恵子さんと会ったのはとなりの武蔵小杉でした。 増田先生は声楽家 満喜子先生はスピリチュアルなヴォイストレーナーで声楽家 多恵子ちゃんも歌手でした。

声をとおして知った三人とも もう この世にはいません。.....

大倉山記念館は工事中で 趣深いその全容をみることはできませんでした。ホールはすこし縦長 天井は高く 木と漆喰?でできていて ようするに蔵のようなつくり 音響はすばらしい。

今日のギター奏者はふたり 山崎まさしさんのギターは岸辺に寄せるさざなみのようでした。川面の水泡 日光とたはむれる波が川底の玉石に影をううつしている そのひかりまでが見えるような豊かな演奏 情報がいっぱいつまった音色でした。わたしは 山崎さんおギターソロのあいだ スペインの市場にいました。お惣菜のかずかずが山ととつまれている市場 行ったこともないのに そこにいました。

一方 年下の江戸さんのギターは渓谷をしぶきをあげてひた走る清流のようでした。....芳醇な山崎さんのギター とても素敵でしたが わたしは若い江戸さんを応援したいと思います。

遠藤あや子さんの歌はとても力強かった。タラントとナナが心に響いて 泣いてしまいました。ぼうや 泣かないで 眠っておくれ かあさんはおまえに 砂糖菓子をあげよう..... 聴きながら 一つのものがたりをわたしは生きていました。

音楽は耳で聴くのではなく 身体全体で聴きます。身体のどこかに集中して聴きますと 興味深いです。背骨で聴く 子宮で聴く 子宮で聴くと長くもちません(笑)

呼吸は言語で変わるのだろうと思います。すると生き方もかわり 性格もかわる うたうことは全身でおこなうので 身体もかわっていくでしょうね。外国の歌に惹かれるのはそのかたの過去生などとも深くかかわっているのではと思います。言語の意味はわからなくても ひびきでつたわるものはある。...でも わたしはやはりあや子さんのうたを日本のことばで聴きたかったかも。

最期のブレリアが圧巻でした。大倉山の忘れがたい夜でした。あや子さんの火のようなうた 軽妙なというか大胆なツッコミトーク 楽しませていただきました、ありがとうございました。

.....わたし 若返りましたか? とてもうれしかったです。

 

 



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やったのは素人の80代のお婆さん。どうやら信仰の篤さから「キリストさまが可哀想、何とかしないと」とやったらしい

この絵 どうするの...?

 

 



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 晩夏光 バットの函に詩を誌す  中村 草田男

 

  晩夏    津村信夫

 人の住んでゐない家の庭には雑草がはびこつてゐる。一茎ごとが目に見えない風に心もち戦いて、蛙が白い腹を出して死んでゐる。一瞬の鱗の輝きが草むらに隠れる。

 石造の家の壁にはもう久しく日が射してゐる。あの気の遠くなるやうな耐熱がぢりぢりと汗を流してゐる。

 池をめぐつて、この稚拙なる人工の水底からこんこんと黒く汚ならしく沸くものは何であらう。もの皆の腐る匂ひのなかに、生れてくるものは何であらう。



 人の住んでゐない家の庭には雑草がはびこつてゐる。その一茎ごとに蜻蛉がとまつてゐる。わずかに哀憐を光らして。

 おこりつぽい耐熱は、あのいたいたしい赭顔はもう身動きもしない静かさで、いつまでもいつまでも気の遠くなるやうな時の間を膏汗を流してゐる。

 

  酒吐くように白波吐いて 海は晩夏     金子 兜太

  遠い岬に    白波一瞬覗く晩夏       同

 

 

 カクテルの塩舐めてゐる 晩夏かな  角川春樹

 

 放射能に炙られてゐる 街晩夏     流火

 

 



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