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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

奈良さんはガイヤシンフォニーで有名になった縄文の奏者です。

うつくしいかたがいらっしゃると思いましたらそれは伴われた奥さまでした。

ながいやはらかな鉄にびいろの髪を三つ編みにまとめ 白いコートをはおられたようすは少女のようでした。

 

個人のサロンでのこじんまりしたコンサートでした。

わたしは奈良さんのコンサートではいつもトランス状態になってしまうのですが 今回は特別長い旅をしました。

共感覚といっても古楽器だけなのですが 音がわたしにはいろとかたちに感じられます。

青 紫 翠 オーロラのように変化するえもいわれぬうつくしいいろに至福を感じ 夢のように空に飛翔しようと

しましたが 激しい悲哀が身を噛みました。わたしは水辺にいるようでした。そして魂のかたわれはそこにいて

わたしはどうしても彼をたすけることができないのです。いくら手をのばしても...

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり 嗚咽をこらえるのがやっとでした。ずいぶん長いこと泣いて ふと気がつくとそばに

白い花が咲いていました。激しい打楽器のリズム........

黒い煙 紅蓮の炎が波のように襲い掛かっています。わたしは手をあざし熱風をふせぎながら泣きながら歩いて

います。幾重にも重なる波 いつまで耐え忍べるだろう......ふと見ると青白いこぶし大の光 がわたしのからだに

まとわりついてくるのです。どうにもうるさくわたしは両のてのひらでその燃え盛る青白い火をつかまえて 目の

まえにかざした....これをいったいどうしたらいいの.......いつまでもっているの........

わたしは神さまに必死で祈りました。ずっと手にもっているのはつらいし 手放してもいけないとわかっていたので

どうしていいかわからなくて.......

すると 掌のなかの炎がゆれうごく花のようにゆらめきながら すがたをかえてゆく あまりうつくしくて 瞬時も

目を離せない......そして 最後の瞬間 わたしはおもわず その青白いほのおをわが口に吸い込んでしまった

のです。幻影はまだつづきます......

時間にしては1時間とすこし けれども わたしには何年も何年も経ったような気がsました。

ほとんどの方は深く深く寝入っておられたようでした。お茶とお菓子とシェアの時間 あるかたが 奈良さんの音楽

がひびきによって わたしたちの心身を調律しているとおっしゃっていましたがそのとおりです。

もっというなら ひびき それはひかりなのです。 わたしたちのあるべき魂 あるべきからだに そのひびきが

ゆがみをはずし ちかづけてくれる そんな気がしました。

そして これこそが芸能の原点 魂振り 魂鎮めであり わたしがかたりでめざしたいと僭越ながら思うことなのです。

あのあおじろく

 



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何年ぶりでしょうね。あのころのニックは長髪やんちゃな青年の面影でしたが しっかり熟年になりました。

わたしはニックと櫻井さんの公演に行ったのだろうか 行かなかったのだろうか

さだかではないのですが CDはたまさか 今も聴いています。

語りの入っているものより ケルティックハープの演奏のみのほうが好きです。

”In the North-East Kingdom”がとくにすきで この曲がなかったら いちばんあたらしいものがたり「竜と王妃」北の王国シリーズⅡは生まれなかったかもしれません。

http://nick-emily-stories.jimdo.com/2013公演とチケット予約/



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CIMAIで 海太郎さんのピアノ・ライブがありました。海太郎さんはシャイな少年のようなひとでした。

......最初は不協和音のつらなりで 苦しく感じました。

彩度の低い色 .... くすんだオレンジ とか モーヴ とか あらわれては消え あらわれては消える.....

線とカタチ そのうち マッス 不定形なかたまりのように色彩がつぎつぎとあらわれ わたしは恍惚となった からだが揺れる

それはカドのとれた方形の色彩が連続してあらわれる 現代絵画.......のようでもあり 表面の感覚がエナメルのようにつるりとしていたり

シフォンのようにふうわりとしていたりするのです。ときどき 閃光のように エッジの効いた色彩があらわれる

心地よいのですが そのイメージを追ってゆくと 疲れるので 身をゆだねることにしました.....

 

思い出した.... 水戸先生のリュートの響きをわたしは飢えたように求めた....

新大久保の教会でのコンサート 白く煌く水晶の伽藍が生まれてゆく 出現とともに 一部は消え 無限の 生成と消滅が繰り返される

その美しかったこと いまでも 涙がこぼれる ..... 

私は 古楽器 ビウエラを習い始めた頃 自分が共感覚の持ち主であることを知ったのでした。

音は色彩と形状で浮かび上がってくる 澄んでいない音は糸をまるめたよう クリアーな一音は円形.....

苦痛は黄緑の色であらわれる

 

.......ピアノは海のハバネラ この曲はこよなくうつくしかった

澄んだ 紅のいろ が炎のように 水のように....

山のハバネラ ...... あざやかなコバルトブルーに 紫......

 

あとで わたしは ”サンライズブルース”のジョシュの台詞を思い出した

「フェイのうたを聴くと景色が見える きれいな色が滲んで見える.....」

あぁ このことだったんだな.....    わたしはたいせつなことをあたまの表面ではすぐにわすれてしまう

でも こうして うかびあがってくる .....  人間て不思議だなぁ   .... 、もっとゆだねていたいなぁ 

音 色彩 ものがたり ..... すべて 波動

 

このコンサートをCIMAIさんとプロデュースしてくれた yuzuriさんと再会した。

明晰な 清清しい感じがあった。 迷いが霧散した......山の中の冷気はそのままで......

 

共感覚 → こちら



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→ こちら

隣のひとが怒ってた!?

あなたはぜんぜん怒ってないの? ぜんぜん迫力ないんだよ もっとはっきり言ってくれ

 

♪教科書は現代史をやる前に時間切れ そこが一番ん知りたいのになんでそうなっちゃったの?

地上に平和を育てよう お伽話じゃない 互いの幸福 願うことなど



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宮川さんからチケットをいただいたので 友人を誘い横浜みなとみらいホールで待ち合わせしました。無常にも目の前で湘南新宿ラインのドアはしまり 一電車乗り遅れてしまい、1曲目は映像で聴きました。

シューマンの子どもの情景 を聴いたときは まるで別の曲を聴いているようでした。ベースを四面の琴が受け持っています。琴もですが 和楽器の音色には 揺らぎ 唸りのような 爽雑音が多く含まれます。そのせいか 西洋音楽を和楽器で演奏するのを聴くとクリアーではないのです。元気なにぎやかな曲は祭のような雰囲気があっていいのですが 研ぎ澄まされた旋律のときは違和感を感じないわけでもありませんでした。

けれども 有馬礼子作曲の 「春の宵」 「春のラプソディ」はすばらしかった。琴の音がさざなみのようでした、それに笛 尺八 二胡 .... 鼓 太鼓 ..... 風のそよぎ 葉ずれの音 鳥の声 岩を打つ水の音...... 一幅の絵を見るよう...... そうか 和楽器は自然にある音色を模した音色なのかと得心がいきました。身体も心も飛翔していく...心地よさ 思わず涙がにじみました。 杏色といいますか伽羅色といいますか ベージュがかったオレンジ色の着物の方の琴の響きがことに胸に沁みました。

日本人は澄んだ声より 浪曲師のダミ声が好きだったそうです。(今はどうだか知らないけれど)倍音をたくさん含んだ声なんですね。自然のんかにも倍音がたくさんあります。生命の音です。

帰り ポンパドールでパンを買いました。昔 横浜に住んでいました。森永ラブという喫茶店があって 顔を白く塗ったメリーさんがときおりきていました。お化粧をしてロングドレスを着たメリーさんはちいさなお人形さんのようでした。

宮川さん ありがとうございました。音楽の響きとともにパンフレットのなかの「芸術品をみなが下でじっと鑑賞するという一方通行ではなくて音楽とみなさまの心の対話がはずむ演奏会にしたい 聴いていただくだけでは音楽は生き物にならない」という指導者のことばに頷きました。そうです 語りもおなじ 語るだけではさみしいのです。

 

 



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戦後 皇太子御成婚 正田美智子さんが1959年(昭和34年)4月10日、皇太子明仁親王と結婚、明治以降初めての民間出身[2]の皇太子妃となったとき 戦後にピリオドが打たれ あたらしい時代がはじまったような気がわたしはする。おふたりの晴れの姿を見ようと その頃はまだぜいたく品であったテレビに余裕の在る人々は飛びつき 親戚のテレビや該当テレビのまえで世紀の婚礼を観たのだった。その後爆発的にテレビは売れ 三種の神器 冷蔵庫 洗濯機 テレビの時代がやってきた。今テレビ文化は落日のごとくだが 当時はテレビからつぎつぎにヒーローが生まれた。力道山 長嶋茂雄 若乃花 栃錦 などなど スポーツ選手だけではなかった。テレビからは実在の人物以上のインパクトをもったヒーローたちがつぎつぎ生まれ 少年少女を熱狂させた。

① 月光仮面(げっこうかめん)は、KRテレビ(現・TBSテレビ)と宣弘社が制作し、『タケダアワー』第1作として1958年(昭和33年)2月24日から1959(昭和34年)7月5日まで放送されたテレビ冒険活劇番組、またその覆面主人公ヒーローの名。日本初のフィルム製作による国産連続テレビ映画である。川内康範原作。

♪ 月光仮面のおじさんは 正義の味方よ よいひとよ

② 『少年ジェット』武内つなよし原作 月刊誌『ぼくら』に1959年から3年間連載されていた。→ こちら

1959年3月4日から1960年9月28日まで大映テレビ室製作でフジテレビ系にて放映された。ヱスビー食品の一社提供番組。また1961年7月2日から1962年4月1日までは続編『新少年ジェット

 少年ジェットこそはまことの少年の姿なのである...と言うナレーションからはじまる。少年ジェットは探偵事務所で助手をしている。ミラクルボイスで敵を倒す ♪ 勇気だ 力だ だれにも負けないこの意気だ ヤッ  

→ こちら 

『変幻三日月丸』(へんげんみかづきまる)は、19593月4日から1960年2月4日までフジテレビ系列の毎週木曜19:30 - 20:00に放送された時代劇である。

♪ 百里の海を乗り切って 都の空に巻き起こす 疾風か龍か 稲妻か 邪悪をこらす天の声 あぁ 変幻三日月丸は快男児♪

 → こちら

海底人8823』(かいていじんはやぶさ)は、1960年に製作された特撮テレビ番組、および劇中の主人公であるヒーローの名称。大映テレビ室製作。1960年1月3日から1960年6月28日まで

→ こちら

怪傑ハリマオ』制作は宣弘社で5部構成の全65話。太平洋戦争直前前後にマレー半島で日本軍に協力したマレーの虎と言われた谷豊をモデルに山田克郎の『魔の城』を原作として制作された。抑圧される東南アジア(第4部を除く)の人々を解放すべく、正義の使者ハリマオが活躍する。森下仁丹の一社提供番組

放送期間: 1960年4月5日- 1961年6月27日

 ♪......8823海底人 8823謎のひと 正義の勇者だ ハヤブサだ ♪

そして いよいよ アニメの時代

①『鉄腕アトム』→ こちら 

1963年1月1日~1966年12月31日まで放送。全193話。

世界初の毎週放送の本格的テレビアニメ。テレビアニメの基本形態を作り、日本におけるテレビアニメシリーズの嚆矢とされている。

ある意味でアトムはモノセックス 少年ではなかった 両親も兄もあとからつくられた ロボット...としてあまりに巨大な力を持つことの誇りと哀しみ またエネルギーが切れると動かなくなるという弱点があった。すでにヒーローとしてのジレンマを抱えていた。そこが魅力だったのだと思う。

②『鉄人28号』→ こちら

太平洋戦争末期、大日本帝国陸軍が起死回生の秘密兵器として開発していた巨大ロボット「鉄人28号」が戦後に現れ、鉄人を自由に操る小型操縦器(リモコン)を巡って悪漢、犯罪組織にスパイ団までもが入り乱れる争奪戦に、主人公の少年探偵・金田正太郎も巻き込まれる。数々の苦難の末に鉄人を手に入れた正太郎は、今度は鉄人28号の力で次々と現れる犯罪者や怪ロボットを倒して平和を守る為に活躍する。

金田正太郎 たぶん国鉄スワローズの金田正一がモデル 学校へ行くヒマあるのだろうかと思っていた。リモコンというのがハンドルがひとつだけで アレでどうやって複雑な動きができるのか謎だった。リモコンを奪われると鉄人は敵の味方になってしまう。心がない。そのへんがほろ苦かった。

1956年(昭和31年):漫画『鉄人28号』が月刊誌『少年』で連載開始される。

1963年(昭和38年10月8日):テレビアニメ第1作『鉄人28号』(白黒アニメ)(全84話)がフジテレビ系で放送される。スポンサーは江崎グリコ・グリコ乳業。

♪ 夜の街にガオー ビルのハイウェイにガオー ダダダと弾がくる バババと跳ね返す ビューんと飛んでく 鉄人28号 手をにぎれ正義の味方 叩き潰せ 悪魔の手先 誰にも渡すな大事なリモコン 鉄人 鉄人 早く行け ビューんと飛んでく 鉄人28号 グリコ グリコ グリコー

③『宇宙少年ソラン』(うちゅうしょうねんソラン)→ こちらは、19655月4日 - 1967年3月28日にTBS系で全96話で放送された日本テレビジョン映画部(TCJ。現エイケン)製作のSFアニメ。本放送時の提供スポンサーは森永製菓

ソランははじめての 恋を知るヒーローだった。ちょっと萌えでしたね、声優の朝井ゆかりさんの声がすてきでした。この方と 北条美智留?さん お二人の声は少年の声...でしたね。

♪ソラーン ソラーン ソラーン はるかな宇宙から ソラーン ソラーン ソラーン 星に乗ってやってきた 胸に輝く 秘密のペンダント 燃え上がるファイト みなぎる力 さぁ 行くぞ チャっピー みんなが待っている 宇宙少年ソラーン ソラーン ソラーン ソラーン

④『エイトマン』 → こちら

8マン』(エイトマン)は、週刊少年マガジンに19635月から連載された漫画、及び同作品を元に1963年11月8日から1964年12月31日までTBS系で全56話が放送されたSFテレビアニメ、およびそれに登場する主人公の名前。漫画版の表記は数字の『8マン』だったが、テレビアニメ版の表記はカタカナの『エイトマン』に変更されている。

原作は平井和正 漫画 桑田次郎 仮の姿私立探偵、東八郎(あずま はちろう)。生前も同じ名前(生前の職業は刑事)。仕事の依頼は少ない(第1話で、さち子が給料の心配をしているほど。ただし、多いと本業である「警視庁の秘密捜査官」に差し支える)。「谷博士がNASAで製作した」、と言及している。さらに、「8マンに使われている技術は、超古代文明に由来する」とも述べている。は超音波を捕らえることができる。顔は人工皮膚(プラスティック)で覆われており、どのような顔にも変装できる。関節は伸縮可能(関節を縮めることによって、女性など小柄な人物にも変装できる)。予備電子頭脳が肩にセットされている。ボディの骨格はハイマンガン・スチール。動力源は内蔵の小型原子炉。

♪ ひかる海 ひかる大空 ひかる大地 ゆくぞ 無限の地平線 走れ エイトマン 弾よりも早く 叫べ 胸を張れ 鋼鉄の胸を エイト エイト エイト エイト エイト ファイト ファイト ファイト ファイト ファイト エイト

 

テレビアニメ アトムのヒットにより 各局こぞって ロボットアニメを開発した。

鉄人28号は のちの巨大ロボット 戦隊ものの萌芽になったのではないか? エイトマンもまた サイボーグ009などへの流れをつくったような気がする。エイトマンは完全なロボットなのかサイボーグなのかよくわからないが 生前人間だったとすれば サイボーグなのだろう。完全無欠ではものがたりにならないので それぞれのヒーローには弱点もあれば 限界もある。そこが味付けなのである。子どもたちは 強くありたいとのぞみ同化する。同時にその弱点にも心を寄り添わせようとするのではないかと思う。

 

 



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あまちゃん 佳境にはいってきました。NHK朝ドラの伝統 女の一生 をしっかり受け継ぎながら クドカンの朝 はなんと奇想天外だったことでしょう。

母娘孫娘 夏 春子 秋 の青春はそのまま 戦後昭和の歌謡史でした。橋幸夫 アイドル (噂によれば松田聖子も出るとか) そしてAKBまで歌謡史への風刺とアイもちりばめられていました。

まず 驚いたのは薬師丸さんと小泉きょんきょんの格の違いでした。戦後最大のアイドルといってもいい松田聖子(好き嫌いは別として歌唱力といい 伝説といいきわめつけでした)を超えられたのは薬師丸ひろ子さんだったのかもしれないな....と朝ドラを観ながら思いました。 なんだかファンになってしまいました。

しかし 小泉今日子さんも演技開眼かな 夏ばっぱとのシーンでは胸にぐっとくることしばしばでしたね。(でも春子のアイドル時代とスナックのママ春子がまったくつながらない あんまりしたたか過ぎて)

夏ばっぱと風来坊のじっち 春子さんとタクシードライバーの夫 太巻さんと鈴鹿ひろ美  .....あたりまえの夫婦像でないさまざまな人生のみちづれのかたちがありました。

水口もよかったね..... あの自然体 おとうさんを超えたかもね..... 松田優作はなにを演じても松田優作だったけれど.....彼は違うね ..... ホンモノになれるかも

潮騒のメモリーはいったいダレが歌うのかな? 個人的にはアキちゃんユイちゃんに歌ってほしいけど

 

.......さて 映画「潮騒のメモリー」の公開は2011年3月5日 .....その6日後に東日本大震災..... 

駅長は 北三陸の駅は 夏ばっぱは 海女さんたちは ..... そして アキは ......

クドカンはなにを見せてくれるでしょうか?

 

 

 



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きのう 17歳の硫黄島を読んだ。

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作者秋月鶴次さんは群馬県出身(現在は栃木県)15歳のとき 志願しました。配属されたのは 硫黄島 地獄と呼ばれた硫黄島で 地下壕の猛暑と異臭のなかで6時間片時もレシーバーを放さず 通信兵としての勤めを果たし つぶさに圧倒的な米軍の物量の前に 日本軍が制空権も制海権もなくしてゆくさまや激戦地すり鉢山の死闘を目にしたのでした。 壕が破壊されたあとは負傷した身体をひきずりながら 自らは死ぬまい 生きられるだけは生きようとジャングルをさまよい 人事不省のまま 米軍の捕虜となったのです。翌年1月 日本に帰ってからも秋月さんは死んでいった戦友たちのことを片時も忘れず 書き溜めたものを17歳の硫黄島として出版しました。

 「....昼も夜も変わらぬ暑さだ。まるでオンドルが全開しているようだ。汗が糊となって身体中の布を吸いつける頭から煙が上るように湯気が立ちレシーバの押さえる耳の感覚が薄れ腎部が痺れてくる、通信科の隅にはバケツの水が用意されていた。常時、水番が見張っている、一度に小さな茶碗に一杯だけ飲めることになっている、水を飲むと汗が倍加するので控えたいがやはりなによりも水が飲みたい。一度でいいから思い切り飲みたい。バケツの水は、水と言っても名ばかりでしょせん雨水だし、硫黄ガスの独特な臭気と室温を溶かしこんでいる、ゴミや微生物も見え隠れしていた、食事も握り飯がひとつきりだった。」

とうとう米軍上陸 侵攻がはじまる。

「前線陣地からの状況連絡員がきた。彼は米軍上陸以来何ひとつ口にしていないという。食べ物が欲しい、死傷者が続出しているから増援がほしい。弾薬がない。素人の手も借りたい。悲痛な訴えであった。その連絡員を見れば、両手首から先がない。足のある者は弾薬運びを、片手の者はその片腕を使って、兵器を修理しながら奮闘しているのだという。.........増援を頼みます、とその手の無い連絡員は懇願した。さっそく 本部に連絡した。 増援はない。突撃は好ましくない。夜間切り込み作戦により被害を増すより、地下陣地にて持久戦を択び、各自 陣地を死守せよ、との返事だった。わかりました、とにかくそこを墓場として死ねということか.....仲間が今かまだかと待っているので帰ります。....男はちいさく細い病人のような、今にも倒れそうな足取りで戻っていった。」

「一分経過するごとに三人が死に、一メートル進むたびに一人が死ぬ。日本軍の防衛拠点となったのが、島一帯に無数に築かれた全長18キロの地下壕。内部の気温は昼夜問わず40度近くあり、排せつ物や死体の腐乱臭で満ちた。硫黄島の戦いは、敵に接近された時に応戦する持久戦で、本土への攻撃を一日でも遅らせるためのものだった。敵弾が命中すると辺りに肉片が降り注ぎ、「おっかさん」との叫び声が上がった。投降するよりはと死を択ぶものも多かった。銃声一発でひとり死んだと思った。」

「耐久試験だ、これは 人間の......。でも頑張るんだ、このことをだれかに言うんだ、と思った。だから俺は生きなくちゃなんない。......」

.................................................

2006年NHKスペシャル 硫黄島玉砕で...

「死んでね 意味があるんでしょうかねえ。どうでしょうねえ。だけど無意味にしたんじゃかわいそうですよね。それはできないでしょう。”おめえ 死んで意味なかったなぁ.......”っていうのでは、酷いですよね。家族に対してもね。そして、どんな意味があったかというと.........これは難しいんじゃないですか? まあ、(死んだ戦友たちに対しては)俺はこういう生き方しかできなかったんだ。勘弁してくれって言うだけです。これで許してくれ、 これで精一杯なんだ、と」

オンエアされなかった秋月さんのことば

どんな意味があったか それは難しい。でも あの 戦争からこちら六十年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねぇ、と言ってやりたい。」

 

 

 日本軍二万二千人のうち 生き残ったのは千名あまりだったという。硫黄島で硫黄島は自衛隊の管理下におかれ 一般人は入ることができない。まだ一万人以上の遺骨がジャングルのなかに眠っている。



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ゆうべ レイトショウに息子とゆきました。

冒頭から飲み物のカップとパンを握った手がこおりついてしまいました。うつくしい映画でした。

うつくしい飛行機をつくりたかった男と愛した女のものがたり......日本の技術立国への道のものがたり 

モノつくりへの静かなる情熱......平和への叫びもメッセージもない。

ひとの生き方 立ち居に 日常のことばのなかに明確なそれがあった。うつくしい日本 うつくしい自然 景色をみているだけで息を呑むようだった。

関東大震災の映像 とよもす地鳴り がリアルだった。なんどか音にハッとした。庵野さんの二郎の声がよかった。

舞う雪がこよなくうつくしかった。青い空に白い鳥のように舞う九試単戦がうつくしかった。涙が流れた。

 

堀越二郎 ⇒ こちら

漫画 ⇒ こちら

キャスト等 ⇒ こちら

七試の製作で挫折した二郎が泊まった草軽ホテル であった 謎のドイツ人カストルプの台詞

「ここは魔の山だ。国連脱退なかったことにする、支那の侵略なかったことにする........」 TPPなかったことにする 放射能なかったことにする .....

イタリアの飛行機設計技師カプローニのことば

「技術がない?.....技術よりセンスだ。....技術はあとからついてくる。」

「設計でも 芸術でも ほんとうにうつくしいものを? 生み出せるのは10年だ、君はその十年をたいせつにしなさい」

堀越二郎のことば

「ぼくらは二度と無い時間をたいせつに生きている 」



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自力整体 きのうは4名だったので 他力整体 ナビゲーターの穂積さんに しっかりほぐしていただきました。

7/6の準備で 肩甲骨がバリバリ ひざは痛むし ボロボロ.....

とてもラクになり ゆうべはぐっすり眠れました。福島県 川内村の語りに向って トレーニングをはじめられそうです。

お夕飯の当番だったので 近所のスーパーに行きました。

買えたものは....宮崎のにら 長野のレタス ロシアのカラスカレイ 九州の新じゃが にんじん ドトゥールのアイスクリーム など...

メニューはカラスカレイの煮付け ポテトサラダ レタスのサラダ ドレッシングは娘につくってもらいました。

円安で 輸入のおさかなが高くなっています。いろいろな意味でお買い物がたいへんですね。......

あきえ夫人にはこんな苦労はわからないだろうな....

 

夜 岩手の戦争未亡人の聞き書き 岩波新書を読みました。

青年の面影のまま 亡くなった夫をずっと忘れかね こころの支えにして 戦後頼るひともなく お金もなく 後ろ指もさされながら 子どもを育てることだけを生きがいにした人生.... 

都会のととのった手記とはちがうまざまざと風土や想いをつたえる聞き書きになんどかぐっときました。泣けるということは現実でも本や芝居の世界でもしあわせなことなのだと想います。この本は重かった、こころを強く動かされながら泣くこともかなわなかった。とつとつと語った婦人たちもそうだったのでしょう。

.......あの人と一緒に暮したのは、たった五ヶ月だったモ。オレ、嫁に来たのは昭和十七年の春、十八になる時だったモ。そして秋の十月に召集来て征ったのだからナス。
五ヶ月一緒に暮らしたといっても、まるで夢中で暮した五ヶ月だったからナス。春さきの忙しい田植え時に来て、百姓の仕方もまるっきりで知らないもんだから、ただあの人さ、くっついてばかり働いて、どうやらあの人の気心もわかって来たな、と思ったころすぐ別れてしまったようなもんだったナス。たった五ヶ月一緒に暮したきりだったんだが、それでもその時、運が良かったか、悪かったんだか、もう腹さ子供入って二カ月になっていたったモ 〈明日たつという前の晩、みんな集まって出征祝(たちぶるまい)してくれた時、あの人急に座敷から見えなくなってしまったノス。オレ、どこさ行ったべ、と思ってさがしたれば、暗い部屋(寝所)の床の上さ黙ってあぐらかいて座っていたノス。オレのところ見たれば、「俺なあ……」っていったきり黙って動かないで座っていたっけモ。今でも、オレ、ハ、その気持ちわかるマス。だれェナッス、喜んで行く人、どこの世界にあるべナッス。酒のんだって、騒いだって、なんじょしてその気持消えるべナッス。オレもハ、泣いてばかりしまって、ろくな力付けも出来ないでしまったったモ....

わたしにはまだ夫がいる。ヒーリングと節制でなんとか健康を保っている夫だけれど もし ひとりになったら..... どうやって 背負っていこうか....しばし考えました。



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⇒ こちら



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夏は来ぬ 相模の海の南風に わが瞳燃ゆ わがこころ燃ゆ

恋すれば燃ゆるほたるも鳴く蝉も 我が身のほかの物とやは見る

 

奥山にたぎりて落つる瀧の瀬の 玉ちるばかりものな思ひそ

 

母が植えて母は見ざりし柿の実ぞ 青くつぶらに十あまりの柿

 



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出掛けに娘に「なにか おもしろい本ない? 天使はどう?」と訊いたら ”日の名残”を貸してくれました。電車で読み始めたら おもしろくて 乗り過ごさないかひやひやしました。

”日の名残”は執事スティーブンスの一人称で語られる イギリス貴族であり政治家であるダーリントン卿の邸 ダーリントンホールに住まうひとびとのものがたりであり ひとびとの織り成す英国の歴史のものがたりともなっています。いわゆる英国病を愛惜とともに語っているようにも見えるのですが 怒涛の終盤は古きよき英国というものがいったいなんであったか 愛惜に値するものであったか...もつきつけているような気がします。

自他ともに認める名家に勤める執事の鑑であるスティーブンスの目と口で語られるものがたりは 客観性のある視野を持つことができず 読者は不自由な目を強いられ 執事というめがねを通して英国社会を見ることになります。それはなかなか刺激的でもありいらいらもするのですが 終盤 スティーブンスの覚醒とともに 英国貴族社会の実態がボロボロと見えてくるのは圧巻です。

スティーブンスが身を粉にして求めてきた素晴らしい執事の条件”品格”とはいったいなんだったのか 親を看取ることもなげうち 愛する女の気持ちに気づくことも忘れて 捧げたものにいったいなんの価値があったのか.....かつての女中頭ミス・ケントンのことばによって残照のなかに映し出されてきたものは目を覆うばかりの自らの誤ちでした。

スティーブンスは自分の価値 品格というものを自分の中に持ちませんでした。彼は主人のダーリントン卿の影をもってそのかわりにした なにもかも捨てて仕えることで自分を主人の影としそれをアイデンティティーにしたのです。勇気ある誠実なダーリントン卿 実はそのダーリントン卿はナチの術中に嵌り 英国を裏切っていた。 スティーブンスは卿の甥からそのことを知らされながら 盲信し 結果卿が奈落の底に落ちるのをとめることさえできませんでした。

それはまるで 日本の企業に勤める会社人間を見るようでもあり 官僚の姿を見るようでもあります。組織と一体化し 客観的な視野を喪った男たち 悲しむべきことにそれを誇りにしている男たち......この小説はまことに苦い小説であります。これは 男の書くものがたりです。

作者は自らの過ちと人生で喪ったものに気づき桟橋で泣くスティーブンスに愛のこもったまなざしを投げているのでしょうか それとも侮蔑しているのでしょうか? まるでスカーレットの台詞のようにスティーブンスを慰める下層階級の男こういわせます。「過ぎちまったことはくよくよしてもしかたがないよ 楽しまなくちゃ」 スティーブンスは真剣に考えます。「新しいご主人、アメリカ人のファラディさまのためにジョークを覚えよう。まだ1週間あるじゃないか。」

英国は植民地に対しいったいなにをしてきたか....アメリカはなにをしてきたか.... そのことに思いを馳せるとこの小説はもっと苦くなります。英国貴族の暮らしはなにによって支えられてきたのでしょう。国王は女王はなにをしてきたでしょう。 

そして 女中頭のミス・ケントン 彼女はスティーブンスに思慕を寄せながら 愛してもいない男と結婚し告白もせず去ってゆく...... それは彼女のプライドのなせるわざであったのでしょうが どうでしょうね 男はともかく 今の女はそんなばかなことほとんどしないと思いますよ。だめでもともと自分のしたこと 言ったことは自分の身にひきうける そういう分別を持っている.............

この小説 とてもおもしろいのですが どこかに決定的な瑕疵があるように感じました。



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池上実相寺に行きました。まさに音 光 の曼荼羅でした。コアガラスの笛 デシュリジュー シンギングボール 弓 ..... 揚琴 声

とよもす倍音の洪水 光の渦 最初の一曲は いのちの水 二曲目は黄金の龍が生まれでて羽ばたき飛翔するイメージ

わたしは音...古楽器の...を色として感じます。雲龍さんの笛の音は光り輝く白....でした。

やはり....龍なのだと思います。それぞれの裡なる龍を飛翔せしめよ  身体の芯から足の先まで熱くなりました。6/16に向かってチャージできました。

⇒ こちら

『地球交響曲第六番・虚空の音』出演の音楽家4人による音の曼荼羅&スペシャルトーク

○出演
雲龍 大倉
Knob Nakamura
 和哉
奈良裕之

以上

地球交響曲 雲龍さんは那智の弐の瀧 ..... 長屋さんは神倉山での撮影だとのこと 撮影秘話が興味深かった、熊野 吉野は昨年回ったところなので感慨深かったです。

 



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日本の三大語り芸は 落語 講談と浪曲 です。落語はそこそこ盛んですが 講談と浪曲はかろうじて命脈をたもっているというか.....木馬座では月初めの1週間 公演をします。

3月 行ってみましたが 女流の講談 浪曲師が多く それぞれが精進していらっしゃるのがわかりました。14.5名の観客で 贔屓のおじさんから声が飛んだり金一封が届けられるのも下町ならではですが ファン層も高齢者ばかりでした。なぜでしょう? ひとつには 演目が古い。袋だけじゃなくて中のお酒も古い..... 萬斎さんが言っていたようにあたらしいものを取り入れなければ 伝統芸能はしぼんでしまう。

あと トークについて思ったこと.... 観客を味方に引き込むのにトークは必須なんですね そのトーク 楽しくて素敵なんですが 自分のことばかりでなくて.... もうすこし社会とか観客とかつなげてほしいなぁと思いました。ジャズの歌い手さんもそうでしたが 自分の上げ下げで笑いをとるのはそのときはいいのですが あとでさみしい感じがあります。

講談は理詰めで固い感じ 浪曲は歌いもあり三味線もありで 感情に訴えるものがあります。玉太郎さんがよかったです。



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