南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

原発ADR1531から1535までの和解事例

2019年08月06日 | 原子力損害

2019年8月2日、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)から和解事例が公表されました(和解事例1531から和解事例1544まで)。今回は、1531から1535までの和解事例を紹介いたします。

 1531は避難指示解除準備区域(南相馬市小高区)の慰謝料に関するもの、1532は旧緊急時避難準備区域(南相馬市原町区)の慰謝料に関するもの、1533は避難指示解除準備区域(浪江町)の慰謝料に関するもの、1534は自主的避難等対象区域(須賀川市)の慰謝料に関するもの、1535は避難難指示解除準備区域(南相馬市小高区)の慰謝料及び就労不能損害に関するものです。

和解事例(1531)
避難指示解除準備区域(南相馬市小高区)の同一敷地に所在する2棟の建物に居住していた申立人ら(夫婦及びその子3名並びに夫の両親及び妻の母)について、申立人夫の母が左半身軽度麻痺の状態にあり、同人を申立人夫の父が介護したこと等を考慮して、申立人夫の父母の日常生活阻害慰謝料(増額分)として、それぞれ、平成23年3月分から新たに住居を購入した月の前月である平成27年9月分まで、月額6万円(申立人夫の父母とその他の申立人らとの別離が生じていた41か月間)又は月額3万円(その他の14か月間)が賠償されたほか、財物損害(家財)について、直接請求手続においては、1世帯であることを前提に算定した金額が支払われていたが、2世帯であることを前提に算定した金額が賠償された事例(申
立人夫の母の日常生活阻害慰謝料(増額分)及び財物損害については、いずれも既払い金を除く。)。

和解事例(1532)
旧緊急時避難準備区域(南相馬市原町区)に居住し、かつ、同所において勤務していた申立人の日常生活阻害慰謝料について、勤務先が原発事故後に他県に移転したことや申立人が勤務先を退職したこと等を考慮し、平成24年9月分から平成25年6月分まで賠償された事例。

和解事例(1533)
避難指示解除準備区域(浪江町)に居住し、平成23年4月に結婚式及び披露宴を開催する予定であった申立人夫婦について、原発事故により結婚式等を開催することができなくなったことに係る慰謝料が一時金として賠償された事例。

和解事例(1534)
自主的避難等対象区域(須賀川市)から避難した申立人ら(夫婦及び子ども2名)について、避難費用(引越費用)、生活費増加費用(家財購入費)等のほか、子ども1名につき月額2万円の避難雑費が平成27年3月分まで賠償された事例。

和解事例(1535)
避難難指示解除準備区域(南相馬市小高区)に居住していた申立人ら(父、母、子及び祖母)について、1.平成27年3月分以降の日常生活阻害慰謝料(増額分)として、申立人子は精神疾患(精神障害等級2級)を抱え、申立人祖母は要支援2の認定を受けていたなど、一定の援助を要する状態にあり、また、申立人父母は避難先で申立人子や申立人祖母の介護等に従事したこと等を考慮し、一戸建て住宅への転居時期である平成27年10月分まで、申立人らそれぞれについて月額3万円が賠償された(申立人子は平成27年11月分から平成30年3月分まで月額1万5000円の増額分がさらに賠償された。)ほか、2.平成27年3月分以降の就労不能損害として、申立人父につき平成29年2月分まで、申立人子につき平成
30年2月分まで、それぞれの事故前収入を基準として、原発事故の影響割合を平成28年2月分まで10割、平成29年2月分まで5割、(申立人子については)平成30年2月分まで3割として賠償された事例。



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 原発ADR、1527から1530までの和解事例 | トップ | 2019年3月11日付、日弁連の会長声明 »
最新の画像もっと見る