(事件と判決)
秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚の刑が、2022年7月26日に執行されました。
事件が起きたのが2008年6月8日。
一審(東京地裁)判決が2011年3月14日。二審(東京高裁)判決が2012年9月12日。最高裁判決が2015年2月2日で、事件から最高裁判決までは7年弱、同判決から執行までは7年強です。
(同事件の要約)
一審判決はこの事件を以下のように要約しています。
「本件は、被告人が、歩行者天国で賑わう休日の秋葉原において、横断歩道にトラックを突入させて通行人をはね、その直後、トラックから降りて、ダガーナイフを手にして、通行人らを次々と突き刺すなどして、7名の命を奪い、10名に傷害を負わせたという、殺人、殺人未遂(殺人未遂の被害者は11名)等の事案である。」
この事件の性質。
「白昼の大都会で、それまで一面識もない多数の通行人に対する無差別殺傷事件」
以上のような事件で責任能力にも問題がない以上、一審判決は死刑であり、高裁、最高裁もこれを維持したという経過です。
(児童虐待、幼児性の残存)
一審判決は、「犯行に至る経緯、背景事情等」という表題のもと、次のような母親の児童虐待を認定しています。
「被告人は、昭和57年、青森県で二人兄弟の長男として出生した。被告人の幼少期から両親の夫婦仲は良くなく、母親は、父親に対する不満を被告人に対してぶつけることがたびたびあった。例えば、屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすようなまねをしたり、食事をちらしの上にあけて食べさせたことなどがあった。」
その後、中学での成績優秀であったので高校は地元の進学校に入学したが、高校での成績は芳しくなかったようです。そのあとのエピソードが気になりました。
〈母親は被告人が特定の名門大学へ進学するように望み、合格すれば車を買ってあげると約束していたが、被告人は、高校での成績は芳しくなく、別の大学への進学を希望したところ、車は買わないということになり、被告人は、「大学に行ったら車を買ってくれる」という約束を母親が反故にしたことへの反発から大学への進学自体を辞めることにし、ちょっと遊びに行くくらいの軽い気持ちから、岐阜県にある自動車関係の短期大学に進学した。同校は、自動車整備士の資格が取得できる学校であったが、被告人は、父親が奨学金を受領したのに被告人に渡さなかったことへのあてつけとして資格を取得せずに卒業した。〉
大学へ進学せず、自動車関係の短期大学に進学したこと、資格もとらずに卒業したことは、いずれも両親へのあてつけです。自らの進路に関することであるのに、親のことを理由としてマイナス方向に自らを向かわせてしまうのは、幼児性の表れといえます。
なお、判決は、児童虐待の影響について次のように判示しています。
「被告人は、前記のとおり、幼少期に母親から虐待とも評価され得る不適切な養育を受け、その影響もあって、他者との共感性に乏しく、他者との強い信頼関係を築くことができなくなっていた。」
(自殺企図)
この点は、あまり報道されていなかったような記憶ですが、一審判決では認定されていました。
「被告人は、平成18年8月ころには自殺を考えるようになり、夏季休暇の後職場に戻らず仕事を辞め、青森県内で車を衝突させて自殺するため、車で青森県に向かい、同月31日、高校時代の友人らに自殺を予告するメールを発信し、母親にもその旨電話した後、青森県弘前市内で自殺を実行しようとした。しかし、運転を誤って車を故障させてしまったために自殺は失敗し、結局は自殺を諦め、母親に連絡して実家に帰った。」
池田小事件の犯人も自殺企図があったことから、無差別大量殺人と自殺願望、自殺企図とは関係があるのかもしれません。本件は違いますが、「人を殺せば死刑になると思った」というような動機の犯罪もあらわれてきております。このような者に対しては、死刑の抑止力は無意味となるおそれはないでしょうか。